兄の悔い

 大人げないと言うべきか、いや、他人のドレスを勝手に着たミス・シラーが悪いか。

「人が傷付いたり、物が壊れたりしても、魔法使いの家だから魔法でどうにでもなる。アシュリーに向けて放たれる家具や調度品を、後始末が面倒だなって眺めていたら──瞬きの間に床に落ちてた」

 ん?

「それはどういう」

「アシュリーね、こっそりスピカ様から涙を頂いていたみたいで、自分にぶつけられる攻撃を、全て、当たる前に悉く魔法で打ち消していったの」

 この時のミス・シラーは、子供で、侍女。

「侍女が魔法を行使することって」

「いくら分家の出身でも、使用人だからね、許されていないよ。そもそも使えないと思われていたね、僕の双子の妹だから」

「あぁ……」

「結局、騒ぎを聞いて駆けつけたご当主様とアレイスター様が二人を止めて、第一次魔法合戦は終了。これをきっかけにアシュリーの才能は知られ、話し合いの末に、旦那様の婚約者になった」

 何となく、困り顔の彼の姿を思い浮かべる。

 その隣にはミス・シラーがいるけれど……ぐしゃぐしゃとペンで書き殴ったみたいになって、表情を見ることはできなかった。

「ある程度の自由を許されたアシュリーは魔法にのめり込み、今まで通り許されていないのにスピカ様に会いに行った。ちゃんと配布はされていたのに、涙が足りないって言って、足繁くね」

 ミス・シラーは変わらない。

 どうしたって彼女は彼女だ。

「……皆さ、注意したんだよ。今は婚約者でも、元は使用人。身勝手な行動は慎めって。だけどアシュリーはそんなことしないから……僕や、坊っちゃんに来るんだよね」

 妹の、婚約者の躾をしろ、と。

 耳に入ってくるアッシュさんの声は、徐々に悔しそうなものに変わっていく。

「坊っちゃんには、悪いことしているなって思う。僕がちゃんとするべきだった。甘やかす母さんの代わりに、アシュリーに厳しくするべきだった。そして、二人で坊っちゃんを支えられたら……坊っちゃんの名誉は、守られたんだ」

 名誉。

 そうだ、彼は──婚約者に逃げられているんだ。

 家の大事な吸血鬼も連れ出されている。当主の息子といえど、追放はやむをえない。

 元婚約者の兄として、従者として、この現状を悔しく思っているのか。

「坊っちゃんの方が、アシュリーよりもずっと素晴らしい魔法使いなのに……なんて、ごめんね。雨だからかな、湿っぽい話をしちゃったね」

「い、いえ。ちょっとびっくりはしましたが、アッシュさん達のことを知れて、その」

 嬉しい、とか、楽しい、はおかしいか。

 同情するのも何か違う。

「……そ、の……」


「いつまでそんなことを言っているんだ、アッシュ」


 呆れたような彼の声。

 瞬時に聴こえてきた方へ目を向ける。視界の端でアッシュさんも同じようにしていた。

「何度も言っているだろう、俺は今の方が幸せだ」

 彼は──ボロボロだった。

 ご立派なコートは破けて焦げて汚れて、髪も記憶にあるよりボサボサ。目には生気がない。

「どうし」

「イーディス様に遭遇したの?」

 私の問いはアッシュさんに遮られる。

 彼が頷くのを見てアッシュさんが駆け出す。外に出るつもりだったのかもしれないけれど、すれ違った時に彼に腕を掴まれて、足を止めた。

「まだ効果はある。いらない」

 返事をした瞬間、彼の黄金色の瞳が赤く染まり、ボロボロの全身が一瞬で綺麗に整えられた。

「コート、預かるよ」

「頼む」

 脱いだコートを渡すのも、それを受け取るのも、あまりにも自然で、改めて主従なんだなこの二人って、ぼんやり眺めていた。

 彼はシャツの袖口のボタンを外して捲りながら、アッシュさんとの会話を続けている。

「何か見つかった?」

「禁書庫を漁ってみたが……それらしい本はなかったな」

「……紙は?」

「紙?」

「アシュリー、たまに本じゃなくて、書類とにらめっこしてたことがある」

「本当か! 時間をおいてまた本家に行くか……」

 その言葉に、身体が強張る。

 また、この人はボロボロになって帰ってくるのかと。

 ミス・シラーによってもたらされた事態だとしても、私が迂闊だったからこうなったわけで、申し訳なさに視線が下がる。

「そっちはどうだ? 鳥か、鼠か」

「相手がアシュリーだからね、総当たりで行くつもりだけど……雨だもんな、報告は止んだらだろうね」

「そうか」

 ん?

 何の話を二人はしているのか。

 下がった視線が徐々に上がっていくが、見えたのは近付いてくる彼と、外に出ようとしているアッシュさんの背中だった。

「夕食はサンドイッチとスープだから」

「どっちかでいい」

「どっちも食べて」

 そのままアッシュさんは外へ。

 濡れないかと思ったけれど、よく見ればアッシュさんの頭上に薄い膜が存在していて、きっとそれが傘の代わりになっているんだ。

 テントの中に、私と彼。

 アッシュさんのいた場所に腰を下ろし、彼は私に問い掛けた。

「調子はどうだ?」

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