兄の追想
スープは一杯ずつ、それと一緒に、ハムとキャベツのサンドイッチを三個頂く。
「旦那様って食の細い人でさ、食事も一品だったり軽めにしか作らないの。足りなかったら材料あるし、作れるけど」
「充分です! ありがとうございます!」
最初に一口噛みついただけで、軽く唸ってしまった。……美味しい! 素材の味そのまま、パン・キャベツ・ハムだけなのに、何でこんなに美味しいんだろう。
あっという間に一個食べ終わり、二個めに手を伸ばした所で、アッシュさんが口を開いた。
「昨日、旦那様からお話があったと思うけど、これから婚姻の解除方法について、色々調べていくことになったじゃない?」
「はい、その代わりに翻訳のお手伝いをと」
「それは旦那様が帰ってからね。で、その旦那様、今朝から本家に行っているんだよ」
「昨日の今日で……」
手掛かりがないか調べるとは言ってくれたけれど、行動の速い方だ。
「魔法を使えばひとっ飛びだからね。遅い所を見ると、イーディス様はいらっしゃらなかったようだね」
「その方は」
「旦那様の兄上、アレイスター様の奥方さ」
「強烈な方」
「うんうん、そうそう」
とんでもない所に旦那様を送ってしまったみたい。無事に戻って来られると良いのだけど。
アッシュさんの目線が、テントの出入口へと移ろう。私もつられて視線を向けたけれど、誰かが入ってくることはなかった。
「今さ、僕と君だけじゃない?」
潜めた声は、無邪気そのもの。
ですね、とだけ返して、視線はそのままに、二個目のサンドイッチに口を付けた。
「今の内に話しておきたいんだけど、アシュリーは元気そうだった?」
咀嚼している間に思い出す。
「そうですね、きょっ……お願いをしてきた時なんて、まさに元気で」
──話してくれたら、いくらでも血をあげる。
スピカさんに押さえつけられながら、時間を掛けて、目の前に滴る血をさんざん見せつけられたっけ。
これがまた花のように甘ったるい香りで、スピカさんよく耐えられるなと、途切れ途切れに称賛した記憶がある。
「うちの妹が本当にごめんね!」
「過ぎたことですので」
おぼろ気な記憶を打ち消すように、頭を振った。
「やはりお兄さんとしては、妹さんのことが気になりますか」
「……そうだね。たった二人の家族だし、それに……」
それ以上は続かず、気になって出入口からアッシュさんへと視線を動かすと、彼の笑みには翳りが生じていた。
無理に聞きたいわけではなかったから、二個目のサンドイッチに集中して、全てお腹の中に入った頃に、アッシュさんはゆっくりと語り出す。
「元々、旦那様と僕には面識があったの。本家分家の中で、年の近い子供は僕らだけ。まぁ、三歳くらい差があって、纏わりつく僕に、お兄さんの彼が構ってくれてた感じ」
「……可愛い」
リトルな彼らの姿を想像して、思わずそうもらせば、アッシュさんはおかしそうに笑ってくれて、ありがとうと何故かお礼まで言われてしまった。
「まだその頃は、家も取り潰されてなくて、ただの子供同士として会えていたんだけど……家がなくなって、僕とアシュリーだけになって、さて、僕らの処遇をどうするかって大人達は話し合い、ちょうど双子だから魔法の実験体にでもするか、なんて」
「……実験体」
「よくあることみたいだし、そうなっていないから気にしないで。決まり掛けた所で旦那様が割って入ってくれたの」
小さなアッシュさんとミス・シラーが身を寄せあって、話し合う大人達を見つめる姿を、自然と思い描いていた。
そこに割って入る、彼の姿も。
「旦那様は十歳だった。そろそろ従者をつけようって話が出ていたみたいなんだけど、その従者を僕にしたいって。大人達はもっと年上の人が良かったみたいだけど、旦那様──坊っちゃんは、僕じゃなきゃ嫌だって、ゴネてくれて」
それで僕らは命拾いしたの、と。
「僕は従者で、アシュリーは侍女。アシュリーとまとめて引き取ってもらった恩を返そうと、必死に仕事を覚えたけれど、アシュリーは……母にかなり可愛がられて育ったものだから、その癖が抜けなくて……普通にスピカさんに会いに行ったり、禁書を持ち出したり、自由にやってて」
「その頃からもう……あ、すみません」
「事実だから」
溢れた苦笑には、疲労がたっぷり込められていた。
「周囲の人からいくら反感を買っても、我が路を行ってね……ついに、ブチ切れさせてはいけない人をブチ切れさせちゃって」
「……もしかして」
話にしか聞いていないけれど、思い当たる人物がいる。アッシュさんも頷いてくれた。
「既に嫁入りしていたアレイスター様の奥方、イーディス様のドレスを勝手に着て、屋敷内を歩き回ったんだ。身長がまるで足りていないから、床に引きずってかなり汚した」
「……」
「自分が着るべき素敵なドレスだから着た、丈が無駄に長いから汚れたじゃない、なんて面と向かって言うもんだから、奥方大爆発で、すぐにアシュリーに向けて攻撃的な魔法を使ったの。周囲を巻き込むほど、ド派手なのをね」
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