#282 放課後の一幕
「渚君、起きてください」
優しい声音と共に肩を叩かれて意識を覚醒させる。
寝ぼけ眼を擦り、顔を上げると、そこには紺野さんが居た。
「ぐっすりでしたね。もう放課後ですよ」
「ああ……もうそんな時間か……」
机から身体を起こし、大きく伸びをする。
昨日……というよりも今日、ほぼ徹夜でゲームしていたから日中が眠くて仕方なかった。
というか紺野さんも殆ど俺と同じスケジュールの筈なのだが……良く眠くならないな。ショートスリーパーなのだろうか? 羨ましい。
「起きたばかりの所、申し訳ないんですが……渚君、一緒に帰りませんか?」
「お、丁度俺も用事あったから声掛けようと思ってたんだ。待っててくれて助かったよ」
というのも、今週末のAimsWCS外泊について、ある事を話しておかないといけないと思ってたしな。
流石に打ち合わせ無しに泊まり込みの旅行というのもあまりに計画性が無さ過ぎるからな。
「あの件ですか?」
「ん、あの件。まぁ、帰りながら話そう」
紺野さんが敢えてぼかしたのは、周囲にまだ人が居るからだろう。ここでお泊り旅行なんて口走ろうものなら、クラスの連中にどんな目に合わされることやら。
「やっぱりあの二人……」
「そういう関係なのか……?」
「何故ゲーム漬けの男にあんな美少女が……!?」
「日向殺す……!!!」
……まあ、そんな小さな努力も虚しく、殺意に溢れた視線が背中に突き刺さる。応対するだけ時間の無駄だし無視無視……いや本当に後ろから刺されないよな? 大丈夫だよね?
◇
ある程度帰り道を歩いてから、周囲にクラスメイトの気配が絶ったのを確認し、早速あの話題を切り出す。
「紺野さん、あの件についてなんだけど……」
「あっ、は、はいっ!」
「流石に年頃の男女が同部屋で寝泊まり……という事実は非常にマズいわけですよ。世間体的にも」
「そ、そうですよね……」
しゅん、と目に見えて落ち込む紺野さん。そんな落ち込んだ表情されるとこっちも気分が沈むが……別に嫌だと言っている訳じゃ無い。話はここからだ。
「……だけど、同部屋に寝泊まりせにゃ世界大会の観戦は出来ない訳で。……だから、俺は日中寝ながら考えて、結論に至りました」
「……?」
「親御さんの許可を頂ければそれで良いんじゃないでしょうか、と」
「!?!?!?!?!?」
ちゃんと事前に紺野さんの両親に話を通しておくのが筋という物だろう。
年頃の娘を顔すらほぼ知らない男と外泊させるなんて以ての外だろうしな。紺野さんの母親はちょこっとだけ顔合わせたけど……う、嫌な記憶を思い出した。初対面が膝枕の現場を目撃されるとか思い出すだけで死ねるんだが? ……まあそれは置いといて。
「まぁ俺達未成年だし、そもそも旅館の人からストップ入りそうな気もするしな。事前にお互いの両親から了承を得て、それを何らかの形で証明すれば、お泊り問題は解決できそうな……聞いてる?」
「あわ、あわわわわわわわ……了承……!? 親公認……!?」
「おーい、戻ってこーい」
夕陽に負けないぐらい赤面した紺野さんの顔の前に手を振り振りしていると、はっと意識を取り戻す。
「失礼しました……取り乱しました」
「おかえり。……とまあ、今週末までに御両親に話出来るようにセッティングする事って可能ですか、という話でした」
「わ、分かりました……今日、帰ってから両親に話を通しておきます」
「悪いね、ウチの親は多分秒でOK出すだろうから必要ないかもしれないけど、一応伝えておくよ」
母さんの事だ、紺野さんを分かってて俺の部屋の隣に引っ越させてきた以上、絶対OK出すに決まってる。父さんは……まあ母さんに押し切られるだろうな。
「このまま立ち話するのもなんだし、旅行計画については帰ってからでも良い? 道端で話すにはまだ外は暑すぎるから」
「そうですね。家で話すのが良いと思います」
夏休みが終わってすぐ、蝉がまだ元気に鳴いている時期だ。流石に外は夜でも暑い。
こういう時、部屋が隣だと便利だよな。リアルで会えるならわざわざネットを介する必要も無いし。
と、紺野さんが何かを思い出したのか「あ」と声を漏らした。
「すみません。ちょっと寄りたい場所があるので、寄り道しても良いでしょうか……?」
「勿論。わざわざ俺を待っててくれたんだし、全然付き合うよ」
「ありがとうございます!」
そのまま雑談しながら歩く事数分。とある店の前で、俺達は立ち止まった。
「……花屋?」
「はい。毎年、母の誕生日に花を贈っているんです。そろそろ母の誕生日なので、事前に花を見繕っておこうかと思いまして」
そう言って、両手を合わせて表情を綻ばせる紺野さん。うーんこれは産まれながらの善属性。笑顔がまぶしい。
「なるほどな……偉いなぁ、紺野さん。俺なんて、親の誕生日にはスキン購入用のプリペイドカードしかあげて無いぞ」
「ま、まあそれはそれで嬉しいんじゃないでしょうか……?」
俺の返答に紺野さんは苦笑いする。
だってそれが一番喜ぶんだもんなぁ……うちの親。丁度欲しいスキンがあったのよねー!!とか言いながら秒でログインしに行くもんな。我が親ながらどうかと思う。いや俺も逆の立場だったらクッソ喜んでるんだけど。
「流石に毎度カードだけだと雑過ぎるからたまには俺も花でも贈ってみるか……?」
「良いかもしれないですね。きっと喜んでくれると思いますよ」
とは言った物の、マジで花について知らないんだよな……薔薇とかチューリップとか、そこら辺のメジャーな種類しか分からん。
紺野さんの隣を歩きながら、店内に入り、飾られている花々に視線を向ける。
「うおっなんだこの花、見た目ちょっと毒々しいけど綺麗だな」
「これはチグリジアの花です。花の中心部に、虎に似た斑点がある百合の花という事で、タイガーリリーという名前も付いているんですよ。ちなみに、チグリジアという名前は、ラテン語で『トラ』という意味でもあるんです」
「へぇ、聞いたことない名前の花だ……それにしても見た目のインパクト凄いな……」
一度見たら忘れ無さそうな花だな。チグリジアね、覚えておこう。
そのまま店内を歩きながら、ふと目に入った綺麗な花に指を指す。
「紺野さん、この花は知ってる?」
「この花はトルコキキョウですね。リシアンサスという名前でも通ってて、アメリカのテキサスが原産地なんです。トルコという名前が付いたのは、つぼみの見た目がトルコ人の方が身に着けているターバンに似ているとか、原種の紫色の花の色がトルコ石やトルコの海の色に似ているから……とかいろいろな説があるんですよ」
「……珍しいな、紺野さんがこんな饒舌になるなんて」
「えっ!? わ、私そんな熱弁してました……!? ご、ごめんなさい……!」
「いや、紺野さんの新しい一面を見れて新鮮な気分になっただけだから気にしないで」
好きになれる事があるというのは良い物だ。俺だって、Aimsについて語れって言われたら数時間でも語れる自信があるし。
紺野さんは赤面させながら、頬を掻いてぽつぽつと語り出す。
「私も、最初はあまり興味無かったんです。ですが、毎年花について調べながら母に花束を贈っている内に、いつの間にか……という感じですね」
「あーあるある。意外とそこまで惹かれて無いジャンルとか調べてる内に興味が湧いてくるよね」
意外と雑学として覚えるだけでも面白かったりするんだよな。話のネタにもなるし。
と、他のお客さんの対応をしていたらしい、老紳士のような店員さんがこちらへと歩いてくる。
「いらっしゃいませ、本日はどの花をお探しでしょうか?」
「あ、えっと母に贈る用の花を探していまして……」
「贈り物用ですね、畏まりました。今の時期ですと、こちらの夏が旬の花々のアレンジメントなどがオススメです」
「わ、本当に素敵ですね。どうしよう、迷っちゃうな……」
老紳士の店員さんが紹介した、バスケットや花器に入ったアレンジメントを見て、紺野さんが目を輝かせる。
花の贈り物って花束のイメージがあったんだが、こういうのもあるんだな。そのまま飾れる見た目なのは受け取る側からしても嬉しいだろうな。
と、紺野さんの横でぼんやりとアレンジメントを眺めていると。
「そちらの彼氏様は何かお選びになられますか?」
「ッ!?」
「あー、えっと、彼氏では無いです。一応。今日は友人の付き添いとして一緒に来たので……」
「左様でございましたか。大変失礼致しました」
ぺこりと頭を下げる店員さん。紺野さんの動きがぎくしゃくしだしたのを見て、こちらへと近寄ると耳元で囁く。
「……もし、恋仲になられましたら是非当店をご利用ください。あのお嬢様がお喜びになられるよう、最大限努めさせていただきますので」
「はは……あ、ありがとうございます」
おっかしーな、なんで関係ない所でも外堀埋められ始めてるんだ? ……まあ、万が一そういう事になったら使わせてもらおう……だって俺、花の知識無いし。
顔を真っ赤にさせた紺野さんが、ぱたぱたと手で顔を扇ぎながら早口でまくし立てる。
「色々見せて頂きありがとうございました。母の誕生日が近くなったらまた来店させて頂きますっ」
「畏まりました。またのご来店をお待ちしております」
「い、行きましょう渚君!」
「あ、ちょっ、ありがとうございました!」
そのまま紺野さんに手を引かれ、店を後にする。
老紳士の店員さんに会釈すると、朗らかな笑みを浮かべ、深々とお辞儀していた。
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