#229 【海岸の主、未だ双壁に傷を負ず】その二十九 『かつて友だった君へ』
粛清の代行者。
未だ謎多き存在であり、現在知り得ている情報だと【粛清者】と呼ばれる者の僕であり、来るべき時に世界を滅ぼす為の存在という事だけ分かっている。
これまで会った【戦機】や【龍王】も粛清の代行者に該当し、確かに世界を滅ぼせるだけの力を持っていた。
だがしかし、今この目の前に居る青年には、とてもそんな力があるようには思えなかった。
「……【双壁】は島クラスの巨大なモンスターじゃなかったのか?」
『ん? ああ。この身体の事かい? 今は思念体を通して話に来ただけだからね。安心してほしい、僕の本体はちゃんと別にあるから』
その言葉に顔を引き攣らせる。
何が安心してほしい、だ。より絶望度が増しただけなんだが。
【双壁】の一体──ヘルと名乗る青年は、苦笑しながら。
『
どうせ忘れる? どういうことだ? 思念体としての記憶は共有されないという事か?
「なあ、リヴェリア。こいつは本当に──」
お前の知っているヘルなのか。そう問おうとした所で、リヴェリアが紫色の水晶で覆われていた事に気付く。
リヴェリアの身体を全て覆う程の巨大な水晶だというのに、気付く事すら出来なかった。
「ッ」
『安心してくれ、彼に危害を加えるつもりは無い。リーヴェはティーゼの大事な友人なんだ。彼に何かあれば彼女が悲しむ』
ヘルは相変わらず柔らかい微笑を携えたまま語る。
人間をさも当然のようかのように攫っている事と言い、大事な友人だと言っていたのに、一切の躊躇も無く水晶に閉じ込めた事と言い──元人間としての倫理観が欠如しているのだろうか。
ざわ、と身体の奥底から嫌な感覚が込み上げる中、心を落ち着けてからヘルに問う。
「……どうして村の人達──ハーリッドの巫女達も、リヴェリアと同じ様に水晶の中に閉じ込めたんだ?」
情報を集める上で、【双壁】にずっと感じていた違和感。
【双壁】は『船出の唄』を演奏した巫女だけを狙い、空間の亀裂に引きずり込み、そしてこの場所に幽閉していた。
その目的が、ついぞ分からないままだった。
ヘルは俺の問いに対し、より一層笑みを深めると。
『閉じ込める? 人聞きが悪い事を言うなぁ。……
「……護る為?」
水晶に閉じ込めて幽閉する事が、どうして護る事に繋がるんだ?
ヘルは水晶へと歩み寄ると、大事な宝物に触るかのようにそっと触れる。
『もう君達も気付いていると思うけど、僕らの力は“時間”と“空間”に干渉する事が出来る力だ。彼女達は、僕らの力によってこの水晶の内部……この世界とは別に存在する隔離空間の中で時間を凍結した状態で眠っている。どれだけ外部から干渉しようと、この水晶が一切壊れる事は無いし、中に居る彼女達が老いて死ぬ事も無い。まさに絶対的な安全地帯。ここに居る彼女達は、何者にも脅かされる事は無いんだ』
……なるほど。視点を変えればそうなのかもしれない。
俺達の視点から見れば、【双壁】は巫女を攫い、この場所に幽閉しているように見える。
だが、ヘルの言葉が本当ならば、彼女達は安全な檻の中で眠っているだけに過ぎない。
……無論、彼女達がそれを望んでいる訳では無いだろうが。
それを聞いて、強張った表情のポンがヘルに問う。
「でも、なんでそんな事を……」
『……そうだね、記憶が欠落しているんだった。なら、教えてあげよう。……忘れもしない、三千年前のあの日──漁獲祭でティーゼがユースティア軍に攫われた日。彼女を取り戻そうと、兄さんと『祝福』の力を振るった。だけど、僕らが力不足だったばかりに、彼女は攫われてしまい──あの残虐非道な計画の『核』として使われてしまったんだ』
ティーゼの身体を使って行われたらしい、謎の計画の存在。1st TRV WARの時にティーゼも実験材料として使われたと語っていた事から、その計画が今回の話に大きく影響してきている。
その話を聞いて、何かが引っかかるような感覚を覚える。……もしかしたら、俺達は何かを見落としているのかもしれない。
ティーゼ・セレンティシア。色々知っているようで、何も知らない彼女の事について。
『……これ以上、ティーゼのような犠牲者を出す訳には行かない。巫女は常人とは違う不思議な力を持っている。また、巫女の力を狙った何者かに狙われるかもしれない。だから、誰かに攫われるぐらいなら、僕達の目の届く所で、ずーっと護ってあげた方が良いってね』
一切笑みを崩す事の無いまま、ヘルは嗤う。
ああ、彼らは本当に村人達が語る守護神なのだろう。
常人には理解できない考えの持ち主で、自分勝手で、独りよがりで……傲慢で。
正しく、『神』の名に相応しい存在だ。
ヘルを正面から睨みつけると、一つ息を吐いてから。
「お前は確かに彼女達を護っていると認識しているかもしれないが、俺達からは……攫われた巫女の家族からすれば、お前は
『────黙れ』
これまで絶やす事の無かった笑みが消える。
突如として殺気が溢れ出し、空気を一瞬にして凍り付かせていく。
怒気を孕んだ声音で、殴りつけるかのようにヘルは語る。
『僕らがどんな思いでこんな事をしていると思っている? ティーゼがあの計画に使われた事で、どれだけの犠牲者が出たと思っている? 笑顔が良く似合う彼女が、淡々と人々を虐殺する怪物に成り果てたのを僕らがどんな思いで見ていたと思っている!? そんな彼女の事も、僕らの事も何もかも全て忘れた分際で、何が分かるって言うんだよ!? 無責任な発言はやめろ、トラベラー!!』
語気を強め、感情のままに怒鳴り散らすヘル。
水晶に触れたまま、ヘルは中で眠り続ける巫女達を見て口元を歪める。
『今、僕らは彼女達の命を握っているのが分からないのか? 下手な真似をすれば、一瞬で彼女らをこの世から永遠に消し去る事だって出来るんだよ。……それが嫌なら、言葉を選びなよ。トラベラー』
「ッ!! やめろ!!」
これはゲーム内の話だって分かっている。
だが、それでもNPCである彼らと交わした言葉は本物だ。
母親であるラミンさんの帰りを待ち続けているアラタは今も帰ってくる事を信じて疑っていないのだ。
俺達の判断ミスで、彼女が死んでしまう事があれば……アラタに合わせる顔が無い。
誰もが動けない中、厨二だけがにぃと口元を歪めて前に出る。
「ヘェ、そんな事言うんだぁ? 守護神サマとやらはやけに狭量なんだねぇ。気分を害したから人質を殺すなんて、護る為の存在が他者から何かを奪ってどうするのサ。本当にそんな事が出来るのなら、一思いにやると良いよ。……
厨二の言葉の意味を理解し、ハッとなる。
巫女とは、代々村長の家系から輩出される存在。……つまり、
ティーゼの友達であるリヴェリアに危害を加えるつもりは無い、と言っていたように彼女に関係する存在に危害を加えるなんて事は最初からするつもりは無いのだろう。
ヘルは感心したように厨二を一瞥すると。
『……へぇ。この脅しに動じないなんて凄い胆力だね。君は僕らが知っているトラベラーに一番近いかもね。
「ありゃりゃ、酷い言い様だねぇ。ま、否定はしないかナ」
厨二はあくまでのらりくらりとした様子でヘルの言葉を聞き流す。
この場における最適解を、厨二が即座に叩き出したお陰で何とか凌いだ。
人質に取られている、という思考をしないで済むのは精神的な負担が軽く済むからな。
『……以前の君ならさっき僕が脅しをかけるよりも早く助け出す事が出来たんだろうけど──まぁ、記憶を失っているのなら仕方ない。と言っても、記憶を取り戻した所で以前の力を使う事は出来ないだろうけどね。──
そう言うと、こちらへと歩み寄り、ジィっとこちらの眼を覗き込むヘル。
その視線はアバターとしての村人Aを見ているのでは無く、その中に居る
「ッ!」
どこまでも不気味な感覚に全身が泡立ち、コンバットナイフを抜き去りヘルに勢い良く振るう。
だが、その刃は思念体を捉える事無く、すり抜けるだけだった。
『おっと、無遠慮過ぎたかな。……ごめんごめん、驚かせるつもりは無かったんだ。
「……」
間違いない。目の前に立つヘルはトラベラーという名の器の中に居る俺の存在を認識している。
……過去のトラベラーは、一体何をしたというのだろうか。
ヘルは暫く黙ったままこちらを見ていると、やがて小さくため息を吐いた。
『……やっぱり、これ以上は平行線か。……ついてきなよ、トラベラー。決戦の舞台は既に用意してあるんだ。そこで、僕らと君、どちらが正しいか決着を付けよう』
そう言うと、ヘルは振り返ってどこかへと向けて歩き出す。
それを見て一瞬罠だろうか、と思いもしたが攻撃をする気配は無かった。
「……ついていこう」
ライジンの呟きに、小さく頷く。
ここで口論した所で、ヘルは考えを変える事は無いだろう。
ならば、【双壁】との戦いに勝利して巫女達を解放するのが最適解だ。
見えない道を歩いていくと、先の見えない深淵へと続く半透明な階段が出現する。
ヘルは一度振り返り、こちらがついてきている事を確認してから、階段を降り始めた。
『……あの時、僕らがあの計画について知らなければ最後まで君と旅を続けていたのだろうか』
階段を降り続けながら、ヘルは呟く。
その背中はどこか寂しさを漂わせていた。
『何も知らないまま生きていれば……こうして僕らが君の前に立ちはだかる事も無かったのだろうか』
ヘルが……この兄弟が、かつて旅を共にしていたというトラベラーへと敵意を向ける理由。
ティーゼを救う為と言っていたが、どうしてそれと結び付くのかはまだ分かっていない。
再び、何かが引っかかるような感覚。……俺は、一体何を見落としている?
だが、その答えに辿り着く間もなく、ヘルは次の言葉を紡ぐ。
『でもそんな“もしも”を考えた所で仕方ないよね。知ってしまった以上はもう止まれない。僕らは君と共に居る事よりも彼女を救う道を選んだ。君の旅から離れる選択をしたあの日から、一度たりとも後悔はしていない』
ヘルが階段を降りきると、踏んだ地面から波紋が広がっていく。
漆黒に包まれていた景色が色彩を帯び、その最後の決戦の場を彩っていく。
中央に存在する台座のエリアと、そこから隣接するように存在する、火山地帯、水晶群、森林地帯等……環境が全く異なる五つのエリア。
上空には大小さまざまな無数の星々が瞬き続け……巨大な球体状のオレンジ色の惑星のような物が鎮座している。
どこか神秘的で異様な最終決戦の場が、眼前に広がっていた。
ヘルは足を止め、こちらへと振り返ると両手を広げた。
『さぁ、始めようか! トラベラー! これは、僕らが彼女を救う為の戦いでもあり、君が世界を救う為の戦いでもある!!』
ヘルの姿が掻き消えていく。思念体を構成していた粒子が、遥か彼方へと飛んでいく。
『我らは粛清の代行者の一柱、【双壁】ネラルバ・ヘラルバ! 己が望みを叶える為、君の前に立ちはだかろう!』
ヘルが開戦の宣言をすると、遠くで四つの真っ赤な光が灯った。
そして、次の瞬間途方も無い程巨大な身体がせり上がってくる。
「ッ、でか……ッ!?」
「デカいなんてもんじゃねえ、マジで
せり上がってきたのは、見上げる程に巨大な純白の島。
その島の下方に、異常なほどに発達した鋏を携える怪物が顔を覗かせた。
目の前の怪物はまるで────そう、
村人達が島と認識していた物は、その超巨大ヤドカリが背負う
【冥王龍】リヴァイア・ネプチューンとは比較にならない程のスケールに、思考が停止する。
≪【二つ名】
システムメッセージがポップした音で思考が再び動き出す。
遥か遠くに出現した【双壁】が鋏を振り上げると、膨大な量のマナが溢れ出した。
『──【
【双壁】の鋏に、極光が収束していく。
本能が全力で警鐘を鳴らし、【双壁】の攻撃の回避手段を全力で探す。
視界に映ったのは、中央の台座のあるエリアに光る六つの巨大な貝殻。
同時に動き出したのは俺を含めて厨二、ライジンの三名のみ。
残る三人は、遅れて動き出した。
『【
【双壁】が鋏を振り下ろすと、時を穿つ奔流が凄まじい勢いで放たれた。
避ける事も敵わず、六人全員がその奔流に呑み込まれ、その姿を一瞬でポリゴンへと転じさせた。
◇
──final Area。星々が眠る神域【星骸】。
──粛清の代行者【双壁】ネラルバ・ヘラルバ戦。
──攻略開始。
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