#194 『やまびこ』


「夢中になって訓練していたら夕方になっちゃった……」


 思いがけぬ体験に気分が高揚し、弾むような足取りで夕暮れの沈む海岸を歩き続ける。

 私は今、漁村ハーリッドに向けて歩いていた。【船出の唄】について聞きたい事があって、ミーシャさんに直接会いに行こうと思ったからだ。


 それから歩く事数分。漁村ハーリッドに到着し、村長さんの家のドアをノックする。

 すると、ドアを開けてミーシャさんが顔を覗かせる。


「はい?」


「こんな時間にすみません、私です」


「あら! ポンじゃない。どうしたの?」


 私だと気付くと、ミーシャさんは表情を明るくする。

 本当に、このゲームの技術は凄い。人の感情の機微を感じ取れる程、精巧に作られている。

 この人が本当にNPCなのか疑ってしまう程だ。

 私は一歩前に出ると、用件を伝える。


「少し、『船出の唄』について聞きたい事があって……」


「演奏はもう私と遜色ないレベルにまで仕上げたはずだけど、まだ何かあったの?」


 ミーシャさんが私の言葉に首を傾げる。

 確かに、【船出の唄】については習得できたと自負している。それに、スキルと魔法はカテゴリが別であり、魔法は習得した時点で自分のステータスに記載されるという仕様だ。『船出の唄』が習得魔法欄に記載されている事から、完全にマスターしているとシステムにも認識されている。

 だが、私が聞きたかったのは演奏そのものの話ではない。


「私が聞きたいのは、『』についてです」


 私がそう言うと、ミーシャさんは少し目を見開いて、やがて申し訳なさそうに目尻を下げる。


「ごめんなさい、それについては私も正確な情報が分からないの。……巫女としての引継ぎがままならないままに巫女になってしまったから」


「やはりそうですよね……。ごめんなさい、一度聞いた事なのに」


「気にしないで。次代の巫女と言われていたのにも関わらず真面目に姉さんの話を聞かなかった私が悪いのだから」


 前代の巫女の、次元の亀裂に呑み込まれてしまったという話。

 その影響で、巫女として継承すべき事が継承できていないという話を、『船出の唄』を教えてもらっている最中に聞いていた。

 その一つが先ほど私が口にした、『やまびこ』。海鳴りの洞窟の伝承を確認している最中に知った単語で、巫女の壁画と共に記載されている事から、『船出の唄』に関係しているらしい。

 それについて分かれば、もしかしたら【双壁】攻略の手がかりになるかもしれないと思ったのですが……。


「……『やまびこ』?」


 と、その時だった。

 ミーシャさんの後ろに、いつの間にかアラタ君が立っていた。


「アラタ君、知ってるの?」


「うん。母ちゃんが教えてくれた。小さかったからあんまり覚えてないけど、教えられることがあるかも」


 思わぬ所からの情報源に、足を運んで良かったと内心安堵する。

 アラタ君が駆け足でこっちへと駆け寄ってくると。


「少し外に出てきても良い?」


「もう遅いから外は駄目よ。ここで話しちゃ駄目なの?」


「このお姉ちゃんと話がしたいの」


 そう言ってアラタ君は私の傍に立つと、手を引いてくる。

 その様子を見ていたミーシャさんは、困ったように苦笑していた。


「あの、ミーシャさん。大丈夫ですよ。万が一の時は私が守りますから」


「貴女がそう言うなら……でも、すぐに帰ってくるのよ。ポンさんも、お願いしますね」


「分かりました」


「行こう、お姉ちゃん」


 そう言って、アラタ君が私の手を引っ張ってどこかへと連れて行こうとする。

 ミーシャさんには聞かせたくない事なのかな、と思いながらアラタ君に従って着いて行った。





 アラタ君に連れてこられた場所は、以前訪れた場所……アラタ君のお母さん、ラミンさんの墓もある歴代巫女の墓だった。

 お供え物の花を供えて黙祷してから、アラタ君がこちらへと振り返る。


「お姉ちゃん、ここまで連れてきてごめんね」


「ううん、気にしないで。……でも、どうしてここに?」


「僕が信頼出来る大人だから」


 アラタ君がそう言い切った事に、少しだけ心にもやがかかる。

 まだ、アラタ君は6歳ぐらいの子供だ。この年齢の子供が大人を信じ切っていないというのはとても……悲しい気持ちになる。


「アラタ君……」


「皆、口ばっかりなんだ。だから、少しでも信頼出来るお姉ちゃんにしか教えたくない」


 信頼してくれているのは嬉しいが、とても複雑だ。

 だから、私はしゃがんでアラタ君に目線を合わせると、その頬に触れる。


「アラタ君。……今は信頼出来ないかもしれない。でもね、皆が皆、嘘を吐きたくて吐いている訳じゃないって知ってほしいな」


 安心させるように、その柔らかな頬に触れながらゆっくりと語り掛ける。

 でも、心を閉ざしてしまったアラタ君の心には響かない。


「……お姉ちゃんもそう言うの? お姉ちゃん、強いから信じてたのに……」


 アラタ君の表情が陰りを見せる。

 掛けてあげる言葉を間違えたかな。……ううん、でもこれは彼の成長に必要な事。

 真実だけが存在する世界なんて、きっと居心地が悪くて、生き辛いだろうから。

 時には優しい嘘も、必ず必要になってくる。だから、それを知ってもらいたい。

 けれど、今はどんな言葉を掛けた所で彼の心には響かないだろう。だから、取り敢えずは。


「じゃあ、お姉ちゃんを、村人君……あの時会った強いお兄ちゃんを信じて。絶対、絶対アラタ君のお母さんを連れ戻してくるから。皆を怖がらせてる、怖い神様をやっつけてくるから」

 

 そう言って、微笑みかけるとアラタ君の表情が柔らかくなる。

 これは、優しい嘘。勿論、そうなって欲しいと私は望んでいるし、次のトライでは【双壁】を倒すつもりで挑むつもりだ。だけど、全てが全て上手く行くとは限らない。ラミンさんが生きている保証なんて無いし、【双壁】にだって負けるかもしれない。

 だから、今は安心させる為に。少しばかり、心地の良い嘘に騙されて欲しい。

 胸の奥でほんの少しの罪悪感が芽生えるが、目を閉じて見ないふりをする。


「だから、教えて? アラタ君が知っている事」


「うん、分かった……教えてあげる、『やまびこ』について」


 アラタ君がそう言うと、大きく息を吸って。


「わっ!」


 突然、大きな声で叫んだ。その先には、双子島があり、声が反響して返ってくる。

 と、同時にアラタ君の声に驚いた鳥達が森から一斉に飛び立つのを見て、アラタ君がおかしそうに笑った。


「もしかして、今の事……?」


「うん、そうだよ」


 アラタ君が自身満々に答える。

 きっと、ここに連れてきたのも、実践してみせる為だったのかもしれない。

 文字通り、やまびこの事だったのかと落胆してしまうが、アラタ君はまだ幼い。まるであたかも大切な秘密のように隠していたとするのなら、それは子供特有の可愛らしい部分じゃないか。

 そう思っていた所で──。


「初代の巫女様は、今のを『船出の唄』でも出来たんだって」


 思いがけない言葉に、思わず目を見開く。

 演奏を、反響させる? どういう原理で……。


「えっと、それは……『船出の唄』が今みたいに、繰り返し反響していたと?」


「うん。母ちゃんはそう言ってた。一度演奏すれば、それが何度も何度も響き渡るんだって。それが『やまびこ』って伝えられてるらしいよ。でも、それが出来るのは初代の巫女様だけって言ってた」


 何度も反響する。それが本当ならば……凄い事だ。曲がりなりにも『船出の唄』は【儀式魔法】と呼ばれる魔法のカテゴリに属する。一度の演奏で何度も反響するのなら、その効果も増大するのだろう。

 ティーゼ・セレンティシア。……恐らく初代巫女と呼ばれていた彼女の存在が脳裏に浮かび上がる。

 もう少し、その情報について詳しく知りたい所だったけど……アラタ君はそれ以上の情報を持っていなかった。


「僕が教えられるのはこれだけ。……役に、立てたかな?」


 少しだけ不安そうな表情を浮かべるアラタ君。そんな彼に微笑んでから、頭を撫でる。


「うん。ありがとう、アラタ君。すっごく助かるよ」


「そう!? ならよかった!」


 アラタ君は子供らしい純粋な笑みではしゃぐ。

 『やまびこ』。思いがけず得られた情報は、もしかしたら【双壁】攻略の鍵になるかもしれない。

 まだ分からないことが多いけれど、再トライまでには調べ上げよう。


「さて、と」


 ぐいっと身体を伸ばしてから空を見上げると、爛々と輝く星々が見えた。

 これ以上遅くなると、ミーシャさんが心配するだろう。


「帰ろっか?」


「うん!」


 アラタ君の手を取り、ゆっくりと歩き出す。


 明日は二つ名、【龍王】との決戦だ。先に控えている【双壁】よりも優先しなければならない。

 敗北すれば……サーデストが滅んでしまうのだから。


「……頑張るぞっ」


 誰にも聞こえないぐらいの小声で呟いて、自分を奮い立てた。

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