#169 【海岸の主、未だ双壁に傷を負ず】その一 『そこは仄暗い海の底』



▷【海岸の主、未だ双壁に傷を負ず】1st Area 【星海の底】



 一定のリズムで天井から水滴が落ちる音で、意識が戻る。

 亀裂に飛び込んですぐに意識が刈り取られてしまったのは想定外だった。

 目を覚ましても特に攻撃が無い事から、どうやら【双壁】と即エンカウントという訳ではないらしい。


 俺達がここに侵入してくる際にあった亀裂は既にその場に残っておらず、帰還する手段が封じられているようだった。

 意識が戻ったばかりのぼんやりとした視界で周囲を見回してみる。

 すると、俺達と少し離れた所に倒れ込む、一足先に呑み込まれた少女の姿が視界に入った。思わず立ち上がって駆け寄っていき、彼女の身体を揺さぶると、彼女の瞼がゆっくりと開いた。


(ポン……!……ああ、畜生。例のアレか)


 声を出して呼びかけようとしたが、声が出なかった。

 ポンはゆっくりと起き上がると、同じ現象が起きている事に気付き、すぐに状況が分かったのか頷いていた。

 この現象は前にも体験したことがある。

 1st TRV WAR予選で侵入した、【星海の地下迷宮】で起きた現象だ。


(はっ、超高難易度コンテンツで通常時は声での連携不可……?とことんプレイヤーに攻略させるつもりはないらしいな。だが、それでこそ攻略しがいがある)


 だが、この現象は呼応石と感応石と呼ばれる二つの石があれば、問題なく会話が可能になる。

 すぐに周囲の地面を見回してみると、そこかしこに見覚えのある石が転がっていた。


(ビンゴ。ここである程度石を回収しておかないとこの先で詰むって訳か)


 確か五分程度で石の効力が切れてしまう筈なので、拾えるだけ拾っておこう。

 一応大会でも戦術の一つとしてライジンに使ったように、【星海の地下迷宮】で拾った予備があるにはあるが、このまま先に進んでいけば確実に数が足りなくなってしまう。

 石を拾って回っていると、ゴボゴボ……と気泡の音が聞こえてきたので思わず頭上を見上げる。


(しっかしどこだここ……?地面の作りこそ【星海の地下迷宮】に似ているが、これは……)


 天井を見上げると、そこにあったのは薄い空気の膜だった。その上に広がっていたのは……漆黒を思わせる、ぞっとする程ドス暗い海。

 その暗い海の中に輝く星のような光が散見出来た。


(海の中か?なんか感覚が狂うな。それに、身体が重い)


 この空間では地上での1.5倍ぐらい身体の重量が増しているような気がする。

 この状態で戦闘になったら、普段のようにはいかないだろう。

 と、そこで後ろから肩を叩かれたので振り返ってみると、ライジンが立っていた。ライジンが口パクで何やら伝えてくるので、口の動きを見て言葉を読み取る。


(チャットも封じられている、か)


 ウインドウを開き、試しにライジンにメッセージを送ろうとしてみると、すぐにエラーメッセージが表示される。

 恐らく会話手段を石での会話に限定する為だろう。


 ライジンの他にも、既に何人かが起き上がり、周囲を確認していた。

 一応、ここでの敵とのエンカウントは無さそうだから、一度状況を整理する事にしよう。


 呼応石と感応石をこつりと当てると、一つは青、一つは赤に淡く輝き始める。

 輝き始めた赤い石を、ライジンに放り投げると、それを受け取ったライジンは首を傾げる。


「あー、ライジン。聞こえるか?」


「ああ、なるほど、こういう原理か。村人が俺と戦った時に使ったのもこいつか?」


「そうそう。良く分かったな。ライジンはある程度原理は分かったかもしれないけど他のメンバーに説明がてら少し状況整理しようぜ」


 そう言うと、周囲を見回していたメンバーを手招きしてこちらへと呼び寄せる。

 全員集合したところで、石を手渡して説明を開始する。


「多分だけど、このコンテンツ……突入時になんか出てたな。【二つ名レイド】って言ったか?の中での会話手段はこの石を用いるぐらいしか無いらしい。そこで、こいつの仕様について説明したいんだけど。ポン、頼めるか?」


 ポンの方を見ると、少し目を瞬かせ、すぐに頷いた。


「ええと……分かりました。この石は簡単に言うと無線機みたいな物だと思って下さい。青が親、赤が子と考えてください。青からは赤に伝達することが可能ですが、赤からは青にしか声が通りません。確か、一つの親機につき子機の制限は五個までだったはずです」


 今は呼応石と一つの感応石の周辺で会話しているため、会話が可能だが、少しでも離れてしまうと複数個感応石を使わないと意思疎通が困難になってしまう。

 静かに熟考していた厨二が、顎に手を添えながら呟く。


「という事は、戦闘になった際には必然的に散開する事になるだろうから、指令塔を作らないといけないわけだねぇ……」


「そうだな。だが、司令塔っつっても、一番IGLインゲームリーダーに向いてるボッサンがいねぇしなぁ……」


「……私は正直IGLに向いてないからパス。……言われた事を淡々とこなす方が性に合ってる」


 確かに、それが問題だ。子機から子機への伝達が出来ない以上、正確に情報をまとめて指示を出さないといけない人間が出てくる。

 しかも、五人分の情報をまとめてだ。運営は俺達に聖徳太子にでもなれというのか。


「俺も射撃に集中したいからパスだな。そうなると、ポンかライジン辺りにやってもらう事になるかな……」


 厨二は自分基準で物事を考えるから、時折とんでもない事を要求してくるので論外。

 串焼き先輩は一応紫電戦士隊のIGLを務めてはいるが、彼の堅実な立ち回りは俺達の立ち回りに合わないから多分難しいだろう。

 シオンは本人が言っているように、指示を完璧にこなすのが彼女のスタイルだからな。

 そうなると、ライジンやポンは視野が広く、俺達の立ち回りを理解しているので、その二人のどちらかが適任だろう。


「それなら俺がやるよ。ただ、このレイドのギミック次第で俺も集中しないといけないかもしれないからその時はポンに頼む」


「分かりました。ではライジンさん、よろしくお願いします」


「おう。えっと、この石を当てれば起動するんだよな。取り敢えず効果時間が切れたら隙を見て配るから。石を配る余裕が無かったら各自一番最善だと思う立ち回りをしてくれ」


「了解。頼んだぜ、ライジン」


 そう言ってライジンにアイテムストレージ内にある感応石と呼応石をあるだけ渡す。


「ここからどこに向かえば良いんだ?」


「……さっき周囲を確認してたら、あっちで下に続く下り坂を見つけた。多分、そこが先に続く道」


「でかしたシオン。準備が出来たら向かおうぜ」


「そうだな。……あまりここで長居してるのも良くない気がする。早めに先に進もう」


 ライジンが頭上を見上げながらそう呟く。

 そういえば……なんか、さっきと何かが変わっているような……?


「あの、私の気のせいなら良いんですけど」


 ポンも頭上を見上げながら、言葉を続ける。


「――――水滴の落ちるリズム、少しずつ早くなっていませんか?」


 その言葉を聞いて、背筋がひやりとする。

 思わず振り返ると、確かに少しずつではあるが、水滴が落ちるリズムが早まっているような気がする。もし、本当に早くなっているのであれば、それが何を示すか。


 ゴポァ、と空気の膜からひとしきり気泡が生じたかと思うと、バシャリ、と水が地面へと零れ落ちる。それを見て、俺達一向は顔を青ざめる。


「おい、おいおいおいおい!溺死は流石にゲームでも勘弁だぞ!」


 串焼き先輩がそう言うと、足早にこの場所を去ろうとする。

 その後ろをついて行くように、唯一のこの場所からの抜け道……闇が広がる、深淵へと向かう穴の中へと飛び込んだ。





「走れ走れ走れ!あの質量の水が流れ込んできたら俺達は一瞬でお陀仏だぞ!!」


 斜めに下る坂を、走り、滑りながら下っていく。

 串焼き先輩の焦ったような声が聞こえてくるが、重量がかさ増しされたこの空間では思ったように身体が動いてくれない。

 段々下っていく内に、周囲の景色に水晶が増え始めていく。


「おい、この勢いのまま水晶に激突したら串刺しだぞ!ちゃんと気を付けながら進め!」


「君は本望なんじゃないかい?串刺しくぅん」


「軽口叩いている場合か!」


 厨二のいつものイジリに対して串焼き先輩が余裕の無い返答をする。

 実際、マジで余裕が無い。鋭利に尖った水晶が身体を掠め、赤いポリゴンが宙を舞った。


「いってぇ、これ少し速度落とさないと裂傷ダメージだけで死ねるんだが!」


「スピードを落としたら落としたで後ろからの水にぺちゃんこに潰されておしまいだ!何とかして避けろ!」


 ライジンが地面を踏みしめると、水晶を砕きながら先行する。

 下り坂なので足元は非常に不安定だが、彼の数多のゲームで鍛えてきた体幹は伊達じゃない。

 だが、段々ライジンも水晶を砕く余裕が無くなってくる。


 角度が、更に急になっているのだ。

 最初は三十度程度だったのが、今は四十五度程度。このまま進めばさらにきつく――――!?


「やべえ、落ちるぞ!?」


 下り坂が途切れ、何もない空間に放り出された俺達は自由落下を開始する。

 矢継ぎ早に変わる状況に目が白黒していると、シオンが声をあげる。


「……待って……!下に鋭利な水晶が……!!!」


 ライジンが舌打ちし、【灼天】を発動させようとする。

 だが、それより先に加速して下に向かう一つの影が通り過ぎて行った。


「【水龍爆撃掌】!!」


 ポンの拳から放たれる水の爆発が、派手な破砕音を響かせながら粉々に水晶を砕く。

 だが、すぐにまた鋭利な水晶の壁が破壊した壁の先に現れ、落下する俺達を阻もうとする。


「【彗星の一矢】!!」


 ポンが作り出した時間で【チャージショット】を溜めておいたお陰で、再び迫った水晶の壁を難なく破壊する。

 そのまま二段の水晶の壁を破壊して、現れたのはまたしても水晶の壁。


「くぅ……!【水龍爆撃掌】!!」


 ポンが再びウェポンスキルを放つと、水晶の壁が粉々に粉砕された。


 また壁が来るか!?と矢を引き絞るが、その先に見えたのは……眩く輝く地面だった。


 水晶が放つ仄かな明かりに慣れていた目は、突然の眩い光を直視して眼が眩んでしまった。


「「「「「「うわああああああああああああああああああ!?」」」」」」


 加速したままの勢いで、受け身を取る暇も無くそのだだっ広い空間になだれ込んだ。

 凄まじい落下音を響かせ、地面へと不時着する。

 落下の衝撃でHPバーが急速に減少していき、ギリギリの所で止まった。


 正直、今の高度から落下して生きている事が奇跡だ。

 いや、恐らく落下の直前にほんの少しだけ爆風による浮遊感を感じたので、ポンが落下の衝撃を緩和してくれたようだ。


「ぜ、全員生きてるか……!?」


「お、おう……」


「……な、なんとか……」


「瀕死だけどねぇ……」 


「せ、戦闘もしてないのに既にボロボロなんですが……」


「こ、ここからが本番だぞ……!覚悟して臨め!!」


 どうやら今ので死人は出なかったらしい。

 ここまで走り続けたことによりスタミナが切れてしまった。荒い息を吐きだしながらアイテムストレージからHPポーションを取り出すと、それを一息に呷ってHPバーを元に戻す。


「ここは……?」


 ようやく慣れてきた視界で周囲を見回す。俺達が辿り着いた空間は四方500m程の広い空間だった。地面や壁、天井はひたすらに透明度が高く、美しい水晶で作られている。壁に手を触れると、ピカピカに磨かれた鏡のように俺達の姿が映り込んだ。

 

「凄いですね。綺麗ですけど……少し、酔いそうです」


 ポンが隣に立ち、感嘆のため息を吐きながらそう感想を漏らすので、思わず苦笑する。


「おい、気を抜くなよ。……あそこに、何か居る」


 ライジンがそう呟き、指を差すとそこに居たのは一体の【クリスタルリザード】だった。

 それを見て、緊張を解いて鼻で笑ってしまう。


「なんだ、あいつ一体だけか。なら、大した事なさそう……」


 と、呟いたのも束の間。オン!と周囲に高音が響き渡ると、周囲が光に包まれる。

 光ったのは一瞬だったが、光が落ち着くと、そこにはの【クリスタルリザード】が居た。


「……おい、待て待て。……もしかして、か?」


 嫌な予感が俺の胸中で渦巻き、弓を構えて矢筒に手を添える。

 もしこの予感が正しければ、になる。


 再び高音が響き渡ると、そこに居たのはの【クリスタルリザード】。

 それを見て、ライジンは双剣を抜刀すると駆け出した。


「各員戦闘準備!!……目標、【クリスタルリザード】!!……鹿、即座に殲滅する事!!」



 ――――2nd Area。【水晶回廊】。



 【二つ名レイド】、最初の戦闘が幕を開ける。

 

 




────

【補足】

【海岸の主、未だ双璧に傷を負ず】1st Area 【星海の底】


【海岸の主、未だ双壁に傷を負ず】のコンテンツに突入すると最初に到達するエリア。深海に存在し、空気の膜が張られているが、一定時間経過後に穴が開き、そこから水が流れ込み始める。

このエリアで感応石、呼応石のギミックをいち早く理解し、次のエリアである【水晶回廊】に逃げ込まないと溺死してしまう。

【水晶回廊】に行くまでの道中は基本的に下り坂となっており、奥に進むにつれてその角度は急になっていく。最終的に加速した勢いのまま鋭利な水晶が侵入者を串刺しにせんと阻むが、それを破壊しないと先に進む事が出来ない。


しかし、【星海の底】から流れ込んできた水は、そのまま【水晶回廊】へと流れてくるので、悠長に戦闘していると……。

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