#151 渚宅にて
「んあ、今、何時だ……」
いつの間に寝ていたんだろうか。重すぎる瞼をこじ開けると、見慣れた我が家の天井があった。
窓の外に顔を向けると、外は既に日が落ちて、暗くなっていた。
全く回らない頭をフル回転させて、寝る前の記憶を辿る。
確かAimsで一徹して、その後SBOで一徹して……寝ようとした所に紫音がやってきて、一騒動起こしたんだっけか。その後家に帰ってからの記憶がねえ。
ああくそ、身体が重くてだるい……。二徹の身体に鞭を打ち過ぎたか。これは、ハウジング戦争が始まるまでベッドでおねんねコースだわ……。
瞼を擦りながら、喉がカラカラなので水分を補給しようと、自室のドアを開ける。
途端、ふわっと良い香りが鼻をくすぐった。
「あ、渚君。お目覚めですね。ご飯、出来てますよ」
自室から出ると、人影が三つあった。
一人は、白い花柄のエプロンを着ている紺野さん、もう一人は、ソファでARデバイスを操作している雷人。そして最後は……首から何かプラカードを下げて座布団の上で正座している紫音だった。
なんで紫音はプラカードなんか付けてるんだ?えーっと何々……『私は人の心を弄んだ悪い子です』……うーん残当だな。そのまま正座していなさい。
「あー……いつもありがとう唯さん、愛してる」
「ッッ!?」
くぁ、と欠伸をしながらキッチンへとゆっくりと歩いていく。硬直している紺野さんの隣を通り過ぎ、冷蔵庫を開ける。中から麦茶を取り出して、後ろを振り向くと、紺野さんが顔を赤く染め、頬を膨らませていた。
「……そういうの、心臓に良くないので駄目です」
「あー、紺野さん。渚、マジで寝起きは弱いからそいつの口から出る戯言は気にしなくていいよ」
「戯言て」
ライジンにほんの少し批難の気持ちを込めた視線を向けながら、麦茶をコップになみなみと注ぐ。
そして、ぐいっとコップを呷り、カラカラだった喉を潤していく。
「あー生き返る……。んで、紺野さんは良いとして、なんで二人まで俺んちに居んの?」
「こ、紺野さんは良いんだ……?というか、いつも渚はこんなことしてもらってるのか?」
雷人の言葉に、首を傾げながら、最近を振り返ってみる。
考えてみれば、紺野さんに料理を作ってもらってばっかりだな。
「……そういや、そうだな」
「……半同棲?……通い妻?」
「つ、妻!?……うぅぅ」
紫音の言葉に意識してしまったのか、紺野さんは赤く染まった顔を更に紅潮させ、小さくうめき声を上げると、頬に手を添えて蹲ってしまう。
雷人が座っているソファに腰かけると、紫音にジト目を向ける。
「おい紫音、紺野さん恥ずかしがり屋なんだからあんまりからかうな」
「……傭兵にだけは言われたくない」
「確かにお前にだけは言われたくないな」
なんだこいつら、やるってのか?良いぜ、俺の二徹明けパンチは小学生のそれとタメ張れる威力なんだぞ?(シャドーボクシングしながら)
「で、なんでお前ら居るの?」
「いや、渚が玄関でぶっ倒れたって話を聞いたから、慌てて来たんだよ。聞いてみれば渚、二徹した上であのショッピングモールに行ってたんだって?」
「あー……そいつはすまなかった。確かにその通りだわ、家着いてから記憶ねえもん」
「紺野さんが何とか運ぼうと頑張ったみたいなんだけど、変なところにぶつけてケガしたらって思ったらしくてね。良い子だよ、本当。俺だったらなりふり構わず動かしてるし、むしろ日頃の恨みを込めてタンスの角に小指をぶつけておくぐらいはするかな」
「マジで洒落にならない奴だからやめろ!お前が紺野さんじゃなくて良かったわ」
背筋冷えたわ。まあ、結局身体のどこもケガしてないし、紺野さんと協力して運んでくれたみたいだし感謝はしておこう。
「で、協力してくれたお礼に夕飯はご馳走してくれるって言ってくれたからさ。渚が起きてくるのを待ちつつ、渚の家でくつろいでたわけ」
「……快適。一人でこの空間に居るのは贅沢」
「まあ家賃高いからな。本来高校生が住むところじゃねえし」
「……にぃの監視を逃れるためにも私も引っ越そうかな」
え?マジで言ってるのこの人。いやでも国内トップのFPSプロゲーマーである紫音だし、全然可能なのか。……絶対串焼き先輩が黙ってないだろうが。
「雷人もどうだ?いっその事このマンションに引っ越すってのも」
「うーん……まあ全然ありだとは思う。ただ、父さんが許可してくれるかって所なんだよね」
「あー、まあ、確かにな」
雷人の家は母親が子供の頃に亡くなったという話を本人から聞いたことがある。これまで男手一つで育ててきてもらった恩があるから、気軽には決断できない内容だ。
「父さんの事だからOKは出してくれるんだろうけどね。けどやっぱ一人にするのは心配かな」
「いやわりい、簡単に口にする話じゃなかったな」
「はい、今日はハンバーグですよ~。あれ、何の話をしてたんですか?」
「いや、何でもないよ」
ベストタイミング紺野さん。気まずくなりかけていた空気が弛緩した。
トレイに乗せた料理をテーブルに移してから、紺野さんが立ち上がり、キッチンへと戻ろうとするのを見て、彼女に向けて。
「あ、俺が料理運ぶよ。紺野さんは疲れてるだろうし、先に座ってて」
「いやいや。私も運びますよ。渚君こそ、疲れているでしょうし、座ってても良いんですよ?」
「……似た者同士」
「確かに」
俺らの様子を見ていた紫音と雷人はくすくす笑った。その生暖かい視線を受けて、こっ恥ずかしくなり、頬を指で掻いた。
そして、キッチンへと向かうと、にやりと笑みを浮かべる。
「ほら、雷人も紫音も手伝え。紺野さんの料理は絶品だぞ。働かざる者、食うべからずだ」
「……がってん」
「勿論」
◇
食事が終わり、コップに入っていた麦茶を飲み干して一息吐く。
「美味かった」
「……想像以上、ぱーふぇくと料理。一家に一台一ポン丸」
「本当に美味しかったよ。ご馳走様、紺野さん」
「お粗末様でした。喜んで頂けて何よりです!」
にこにこ笑顔を浮かべる紺野さん。彼女はすぐに立ち上がって食器を片付けようとするので、慌てて手で静止する。
「紺野さんばかり働いてかなくて良いよ。俺が食器片づけるから休んでて」
「えへへ、大丈夫ですよ。私、家事全般好きでやってるので!」
そう言って紺野さんが手際よく食器を片付け始める。仕方ないな、と苦笑してから一緒に食器をキッチンへと運んでいく。
「……手際良し、器量良し、笑顔良し、文句なし」
「うーん、本当に完璧だな……。なんであんないい子が渚なんかに」
おい雷人聞こえてんぞ。確かに紺野さんは良い子だけども付き合ってるわけじゃないんだからな。
紫音に小突かれている雷人を睨んでいると、紺野さんが耳打ちしてくる。
「あはは……。実は、紫音ちゃんが今日引っ付いてた話、あれ渚君の方から提案したっていう風に変えたらしいんですよ。雷人さんにバレたくないからって」
「あーなるほどな……。俺は別に良いけど、紺野さんはそれで良かったの?」
「まあ、過ぎた事でしたし、そもそも嘘でしたからね。……私もつい好きな人に意地悪したくなる気持ち、わかりますから」
えっ、紺野さんもそういう事するのか?全然そんなイメージ無いんだが。むしろ意地悪しようとして自爆するようなイメージなんだけど。
紺野さんが食器を洗ってから、布巾を持った俺が、その食器を拭いて片付ける。
最近はこのように分担してるから随分手際が良くなってきたものだ。
「たまには俺が食器洗おうか?」
「だ、駄目です!……私が使った箸とか洗われるの、……恥ずかしいので」
顔を真っ赤にして顔を背ける紺野さん。確かに女の子的にそれは恥ずかしいのかもしれない。でも、俺だってそれ言われると恥ずかしくなってくるんだけど。
「……傭兵、セクハラ」
「言いがかりが過ぎる」
紫音の手痛い発言に苦笑する。俺はただ気遣っただけなんだけどな。
と、食器を一通り片付け終わり、リビングに向かうとこちらの姿を見た雷人が立ち上がった。
「さて、俺は明日も早いからお先に帰るかな。料理美味しかったよ、ご馳走様でした。ほら紫音、お前も帰るぞ」
「……この満腹感に浸っていたい。どうしても連れ出したいならおんぶしてでも連れだすべき」
「自分で歩きなさい」
紫音の言葉に、雷人がデコピンする。
それに対して「あう」と悲鳴を漏らした紫音はそのまま蹲ったのを見て、紺野さんが微笑むと。
「紫音ちゃん、またいつでも遊びに来ても良いですからね」
「……ん。それなら帰る。……お邪魔しました」
むくり、と起き上がった紫音はとたとたと玄関まで駆けていく。慌てて雷人は荷物を持って紫音を追いかけようとして、ぴたりと止まった。
「渚もあんまり無理すんなよ?紺野さんが甲斐甲斐しく世話してくれるからって甘え過ぎないように」
「分かってる。彼女の負担にならないように心がけるよ」
「それが分かればよろしい。紺野さんも、渚の奴が迷惑かけたらいつでも相談してくださいね」
「あはは、大丈夫ですよ。そちらこそ、紫音ちゃんの事で困ったことがあったら、相談してくださいね」
「な、なんのことだろうなぁ」
そう言って雷人は「お邪魔しました~」と言うと、逃げ出すように玄関へと向かった。それを見てくすくす笑う紺野さんを見て、思わずこちらも笑ってしまう。
「雷人の扱い方、紺野さんも分かってきたな」
「……彼らもまた、難儀な性格してますねぇ。じれったいなぁ、もう」
そう言って柔らかく笑う紺野さん。彼女も、雷人と紫音の関係性に気付いているのだろう。
というか、傍から見ればすぐに気付くからな、あいつらの場合。
ん~っとひとしきり伸びをした紺野さんは、笑顔を浮かべる。
「私もそろそろおいとましますね。今日はゆっくり身体を温めてから休んで下さいね。いっぱい汗かいてましたから、風邪引いちゃいますよ」
「ありがとう、紺野さんもゆっくり休んで」
玄関で靴を履いた紺野さんは、後ろを振り返ると、拳を突き付けてくる。
「明日はハウジング戦争、頑張りましょうね」
「ああ」
そう言って拳を突き合わせると、紺野さんは満面の笑顔を浮かべて外へと出ていった。そして、「おやすみ」と呟き、隣の部屋に入っていくのを見届けてから、自室へと戻る。
(さーて、明日も頑張りますかね)
彼女の笑顔に元気を貰った俺は、心なしか浮ついた足取りで風呂へと向かうのだった。
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