番外編⑨ 勘違いトライアングル 『さいどぱーぷる』


「取り返しのつかない事をしてしまった」


 震える声で、ぽつりと呟いた紫音。

 罪悪感で胸が押し潰されそうになり、思わず胸に手を添えると、涙目になりながら熱い吐息を漏らした。


 グレポン丸、いや、紺野唯の話は彼から聞いては居たが、ゲーム友達以上の関係ではないと思い込んでいた。

 それに、今日一緒に居た男性はきっと彼氏なのだろうと決め付けていたからこそ起きた勘違い。


『渚君にはもう――――素敵な女の子が居ますもんね』


 あの、最後に自分に向けた表情は、寂寥と諦観をこれでもかと詰め込んだ物だった。

 間違いなく日向渚という人物に想いを寄せているのは勘違いのしようもないと思わせる程には。


 胸が苦しい。もし、自分が反対の立場だったらどう思うのだろうか。

 感情の起伏が少ないとよく言われはするが、顔に出していないだけで人並みに心は動く。

 恐らく、自分も同じ事をされれば今回彼女が取った行動を取るか、若しくは――――全てを投げ出してしまうだろう。


「ッ」


 そんな光景を想像し、思わずぶるりと身を震わせる。目の前にいる桐峰雷人が、彼女を連れて自分の前に現れたら、きっと再起するのには相当な時間を要するだろうから。


「なぁ、紫音」


 ビクリ、と肩を大きく震わせる。

 雷人のよく通る声が何を紡ぐのか、気が気で無くなってしまい、鼓動が早まっていく。

 今回の事を怒るのだろうか。怒るだろうな。散々人の気持ちを弄び、挙句傷付けた。それだけの事をしてしまったのだから。

 溢れそうな涙を押し留めながら、雷人へと視線を向けると、彼はふっと微笑んだ。


「コーヒー、おかわり頼むか?」


 まさかそんな言葉が出てくるとは思わず、目を瞬かせる。彼なりの気遣いなのだろう、その提案に対して静かに俯くと、「飲む」と呟いた。





「で、なんでこんな事したんだ?」


 渚が唯を追いかけてからしばらく。静かにちびちびアイスコーヒーを飲んでいる紫音を見ていた雷人は、優しい声音で問い掛ける。

 紫音がどう答えるか視線を彷徨わせながら悩んでいると、雷人はテーブルに肘をつきながら、ため息を吐いた。


「どうせ渚がからかいたいからって提案したんだろ?ったく、タチ悪いぜ」


「えと、その」


 不機嫌そうに悪態付いた雷人は、「あいつ今度何か奢らせよ」とぼやいた。

 たかだかその程度で許してくれるのか、と紫音は思わず彼の器の大きさに感心してから、本当の事を言うべきか逡巡する。

 また一つ、胸の奥底で罪悪感が産まれるが、こんな形で自分の好意を伝える訳には行かないと紫音は薄く口を開いた。


「……そう、傭兵の方から提案された」


「だろうと思ったよ。しかしあいつ、紺野さんにもこのタチの悪い冗談やるのは流石にダメだろ。いくら鈍いとは言え、少しは好意を感じろっての」


 そう言って雷人は残り少ないカフェオレを口の中へ流し込む。本当は自分から提案した挙句、唯の事は彼氏と喧嘩別れしたと勘違いしたせいでこんな事になったとはとても言えない。

 居た堪れない気持ちになり、視線をカフェのメニューへと逃していると、雷人から「何か頼みたい物でもある?」と聞かれる。

 食い意地が張っている女の子と思われてしまったのが恥ずかしくなり、顔が赤くなっていくのを感じながら、「いや、いい」と思わずそっけなく答えてしまう。


「「……」」


 それきり、会話が途切れてしまった。

 元々紫音は人見知りなのだが、何でも気兼ねなく話せる異性の友人は渚ぐらいしか居ない。

 雷人には好意を寄せているが、いざ2人きりになってしまうと、緊張して何も話せなくなってしまう。

 しばらく沈黙が続いていると、雷人が痺れを切らしたかのように口を開いた。


「まあ、紫音がそこまで気にする必要は無いぞ。俺だってあんな悪戯された所でそんなに気にしてないからな」


「……気にしてない……」


 雷人の言葉にショックを受けて目に見えて落ち込む紫音。まさかそんな反応をされると思っていなかった雷人は、慌てたように立ち上がる。


「や、今のは言葉が悪かったな。確かに紫音は悪い事をした。だからしっかり反省しないといけないし、後で紺野さんにも謝らないとだぞ」


「……それは分かってる。でも、そっちじゃない……」


 言葉の意味が分からず、思わず首を傾げてしまう雷人。

 なんでポンが傭兵に向ける好意には気付けて自分の好意には気付けないんだと紫音は思わず言いたくもなるが、唇を噛んで黙り込んだ。


「ええと……?まあ、俺も後で一緒に謝ってやるからそこまで気に病むなよ」


「……でも、どうしよう……もし、これでポンの心が壊れてしまったら。傭兵とポンの関係に亀裂が入ったら。全部私が、」


「それだけは絶対に無い」


 紫音の言葉を遮るように雷人が断言したので、驚いたように見上げると、彼は真剣な表情で言葉を続ける。


「渚は確かに他人からの恋愛感情に関しては鈍い奴だけど、他人を傷つける事に関しては誰よりも敏感だし、辛い思いをした人間に寄り添ってやれる奴だよ。だから、それだけは絶対に無いって保証する」


 そう言って雷人はふっと笑みを浮かべた。

 その言葉を聞いて、ああ、そこまで信頼してもらえるなんて羨ましいな。と眩しい物を見るように目を細めた。


「まあ、渚が紺野さんに追い付ければの話だがな。あいつ夏休み入って引きこもりっぱなしだから体力が持つかどうか……」


「……ふふ」


 冗談めかして言う雷人の言葉に、思わず笑みが出てしまう。

 と、雷人のARデバイスが通知音を鳴らす。手早くデバイスを操作してメッセージアプリを表示させた雷人はメッセ―ジを見て、「良かった」と安堵のため息を漏らした。

 

「どうやらケリがついたようだぜ。さて、そろそろ俺らも出よう。紺野さんに謝る為にも色々買わないといけないしな」


「……買わないといけないもの?」


「そうだ。こういうのは形から入らないといけないからな。さーて、まずはマジックから買わないとだな……」


「……何をするつもり?」


 そう言って、雷人と紫音はプラカードと必要な物一式を購入してショッピングモールを後にしたのだった。





「ポン。その、ごめんなさい」


 時刻は午後五時を回っていた。

 渚が玄関で倒れたという話を聞いて雷人と共に駆けつけていた紫音は、渚を彼の自室のベッドに運んだ後、リビングへと戻ると、開口一番唯に頭を下げた。

 今日の出来事は全面的に自分が悪かったので、口汚く罵られても構わない。

 自分がした事を考えれば最悪二度と関わらないでほしいとまで言われても仕方あるまい。

 そう言った思いで紫音は頭を下げ続ける。


 それに対ししばらくの間呆けていた唯は、やがて微笑を浮かべた。


「終わった事ですから気にしてませんよ。それとも、紫音さんは私に怒ってほしかったんですか?」


「……それでも、私がやった事は許されない事だから。傭兵の事が好きなポンの気持ちを弄んだのも同然」


「確かに、凄く傷ついたし、悲しい気持ちになりましたけど……これでも、私もゲームの中の『シオン』さんとは交友歴が長いんですよ?貴女が本当は不器用で、口下手なのは知っていますから」


 そう言って、唯は紫音に笑いかける。

 その笑顔を見て、紫音は思わず泣きそうになりながら声を絞り出す。


「なんで、そんなに他人に対して優しくなれるの……?しかも、リアルで会うのは初めての人間に」


「憧れている人が居るんです」


 思わず顔を上げて、唯の顔を見る紫音。

 どこか懐かしむように、口元に笑みを浮かべながら、彼女は話し始める。


「私が憧れている人はこう言ったんです。『その人の外面だけじゃなく、内面を見ろ』って」


 大切な思い出を思い起こすように、彼女は胸に手を添えた。


「確かに今こうしてリアルで紫音さんに会うのは初めてですけど、Aimsでは幾度となく対戦しましたし、チーム間での交流もありました。私自身、紫音さんに対して悪い印象は持っていません。むしろ好意的にすら思ってます」


「でも、私のせいでポンが傷ついて、」


「今日起きてしまった事は全て勘違いから起きてしまった事。何か一つ、誰かが間違いに気付けていれば起きなかった事なんです。私も、渚君も、紫音さんも、みんな悪い。平等に悪なんです。それなのに、どうして私だけが紫音さんを責める事が出来るんでしょうか?」


 唯の言葉に、紫音は言葉を詰まらせる。

 自分が一番悪いのは明確に分かり切っている事だ。だというのに、彼女は心の負担が少なくなるように、平等に悪だと言ってくれている。

 違う、私が悪いと主張しようにも、それは彼女の優しさを無碍にする行為に等しい事。

 そう思った紫音は、唇を噛みながら黙り込んだ。


「だから、こんなつまらない事で紫音さんとの縁が切れてしまうのは嫌なんです。もう終わった事をうじうじと悩むよりも、これからの事を考えたいんです」


 そう言うと、唯は硬くなった表情の紫音の頬に優しく触れるように手を添える。

 その掌から彼女の熱が伝わり、強張った身体が弛緩していく。


「もっと紫音さんの事が知りたいな。こうしてリアルでも会えたのだから、今日少しだけ離れてしまった距離を埋めて、もっと仲良くなりたいな」


 そう区切ると、唯は少しだけ顔を赤らめながら、柔らかい笑みを紫音に向ける。


「……あなたと友達になりたいな」


 その言葉を聞いて、一層目を見開いた紫音の視界がぼやけていく。

 もう修復のしようがないほどの亀裂が出来てしまったと思い込んでいた。

 それでも尚、自分という人間に向き合おうとしてくれる事が凄く嬉しかった。

 涙がとめどなく溢れてきて、頬を伝って零れた雫が地面へ向かって落ちていく。


 そのまま感情の赴くままに唯に抱き着くと、顔をくしゃくしゃにしながら。


「うん……。ごめんね……ポン……本当にごめんね……」


 唯も紫音の事を抱きしめると、紫音が泣き止むまで、宥めるようにずっと優しい手つきで頭を撫で続けていた。

 




「お、話し合いはもう大丈夫か?」


「はい。ライジンさん、気を利かせて下さってありがとうございます」


「いやいや、流石に立ち聞きなんて無粋な真似はしないよ。それに……その様子だと、和解出来たみたいだな」


「……ん」


 唯に隠れるように少しだけ顔を出す紫音。

 目元は赤くなっているが、その表情は柔らかい物だった。

 それを見た雷人は安堵のため息を漏らした。


「良かった良かった。ったく、渚の野郎も起きたら少し説教だな。あいつが提案した事で二人の仲が険悪になるところだったんだから」


 雷人の言葉に、ビクッと肩を震わせる紫音。

 唯は恐る恐る紫音の方へと振り向くと、耳元で話しかける。


「……もしかして、ライジンさんには今日の事は渚君から提案したと伝えたんですか?」


「……ごめん、唯。話を合わせてもらえると助かる」


 その言葉を聞いて、唯は思わず苦笑を漏らした。

 渚から紫音が雷人に惚れているという話は聞いていたため、どうしてこうなったのかある程度察しがついていた。

 全く、本当に不器用な人だなあと思いながらも、口を開く。


「まあまあ。もう既に渚君とお話はしましたから。ライジンさんも、ずっと根に持つのは女々しいですよ?」


「べべべべ、別に気にしてないからな!?何の話だかライジン君さっぱり!?」


 からかうようにそう言うと、目に見えて慌てだす雷人を見て、唯はくすりと笑ってしまう。

 雷人の反応を見て首を傾げている紫音を見ると、こっちも苦労しそうだなあと唯は密かに思った。

 誤魔化すように一つ咳払いをした雷人は、何やら袋からある物を取り出す。


「とにかくだ。確かに仲直り出来たかもしれないが、やる事はやってもらおうか」


 雷人が取り出したのは首から下げる用のプラカードとマジック。

 それを見た紫音は顔をヒクつかせた。


「……許してもらえたから、それは無しにしない?」


「それとこれとは話が別だ。潔く諦めるんだ紫音」


「良いですね、私がしっかり押さえておきますからやっちゃってください。諦めましょう、紫音ちゃん」


 茶目っ気のある笑顔を浮かべた唯は紫音をしっかりとホールドする。


「唯まで!?ううう、離せ、離せー!!」

 

 こうして、『私は人の心を弄んだ悪い子です』と書かれたプラカードがぶら下げられるに至るのであった。



【補足】

番外編は次でラストですが、数日後の話になりますので、この話から直接#151に飛んでも問題ありません。

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