番外編⑧ 勘違いトライアングル 『さんかく、まる、にじゅうまる』


「はぁっ、はぁっ、紺野さんはどこに行った……!?」


 最後に全力で走ったのはいつだったか。確か夏休み前の体育の授業で走ったか。

 そんな事をぼんやり思いながら久方ぶりの全力疾走に息が切れ、頭ががんがんと痛み続ける。こんな状態で休日のピークな時間帯のショッピングモールの人混みの中から一人の人間を探すのは至難の技だ。


(くそ、考えろ。紺野さんはきっと体力には自信がある方だ。だから、引きこもり続けたせいで体力の衰えた俺なんかよりずっと遠くに行っている可能性の方が高い。しらみつぶしに走ってるだけ時間の無駄だ)


 痛む頭で考え続ける。紺野さんはそもそも、なんであの場面で泣き出してしまった?

 答えはきっと、俺が失言をしてしまったからというのが正解なのだろう。

 でなければ、あんなに取り乱してしまう事は無かった。

 ずくり、と頭の痛みとは別に、胸が痛みを訴えた。


(人の心を知れ。鈍い、か)


 頭の中で、紫音に言われた言葉がぐるぐると回り続ける。

 鈍いという台詞は産まれてこの方あまり言われた事が無かった。ちゃんと周りのことを見て行動していたつもりだったし、察しが良い方だったから相手が望む言葉もある程度取捨選択出来ていた。

 だが、どうしても理解出来ない感情があるというのも事実。


(あるとすれば、紺野さんが俺に対して本当に好意を抱いていると言う可能性か)


 頭の片隅に、ぼんやりとそんな思考が浮かび上がってくる。

 今回の一件を振り返ってみると、それを裏付けるだけの理由がある。

 だが、紺野さんには彼氏がいるはず。……どういうことだ?彼氏に飽きて乗り換えたいという魂胆だろうか。いや、彼女はそんな淡泊な人間ではない。それは、今まで彼女という人間をずっと見てきたから、それだけは絶対に無いと胸を張って言える。


(そもそも今回の一件、軽はずみな気持ちでやるべきでは無かった、という事か)


 最初に話を聞いた時、また紫音のわがままに付き合ってやるか、程度の気持ちだったのだ。……まあ、ライジンを弄り倒せるというのも要因の一つではあったが、それは微々たるもの。

 そして、決定打となってしまったカフェでの話合いも、AimsWCSの特別招待券を貰えるという話を聞いて浮かれてしまっていたのもある。

 その結果がこのザマだ。紺野さんを傷つけてしまい、悲しい思いをさせてしまっているらしい。


(ああくそ頭がいてえ、頭をフルに回転させているから酸素が足りねえ。二徹の身体にこいつは厳しいな)


 頭を高速で回転させることで頭痛が増していく。これは帰ったら速攻ベッドダイブからの半日以上爆睡しなければ回復しないだろう。

 くらくらする。眩暈が止まらない。吐き気がする。でも、それでも前へ。この嫌な予感が的中してしまえば、紺野さんとの仲はきっと元に戻らない。そんな気がするから。


「ぶっ倒れるのは全てが終わってから!ここが気合の入れ所だぞ、俺!」


 パン!と頬を叩いて気付けすると、再び走り出した。





 ずっと、考え続けながら走っていたからか、いつの間にか知らない場所まで来てしまっていた。

 最近はあまり身体を動かしていなかったから、足がズキズキと痛んだ。

 休める場所はないかと周囲を見回し、木陰のベンチを見つける事が出来たので、そこに座って荒い息を整える。


「…………」


 周りの景色が色褪せているように感じる。

 一面の晴れ渡る快晴も、周囲の景色も、全てがモノクロに染まっているように感じる。

 ああ、これが失恋と言う物なのか。長い、本当に長い間思い続けて、その終わりは極めてあっさりしたものだった。

 思い続けていた彼から、彼女を紹介されるという最低の結末で。


「本当に、馬鹿だなあ、私」


 情けない姿を晒して、渚君を困惑させてしまって。

 今もきっと、めんどくさがりだけど、根が優しい彼の事だ。もしかしたら追いかけてきてくれているのかもしれない。


 一度蓋をした思いが、再び決壊してしまう。

 思い続けてきた分の代償が、とめどなく溢れ出てきてしまう。

 必死に涙を拭い続けるが、零れ落ちる涙を止めるだけの精神的余裕は、持ち合わせていない。


「もっと早く渚君に会っていれば、何か変わっていたのかなぁ?」


 嗚咽を漏らしながら、葛藤を続ける。

 彼と彼女が付き合ったのは一ヵ月前だと言っていた。

 それは、私と彼が現実で出会う前の話。それなら、手の出しようが無かったのも仕方ない。


 ――――それでも。


「悔しいなぁ……っ」


 自分の正体を晒して、思いを伝える事がもっと早く出来ていれば、もしかしたら今日彼の隣に居たのは自分だったのかもしれない。

 こんな自分の醜い部分を、彼に見せる事も無かったのかもしれない。

 悔しい、苦しい、悲しい。


 ――――こんな姿を、彼に見られたらどう思われてしまうのだろうか。


 ――――幻滅するだろうか。


 ――――呆れてしまうだろうか。


「なぎさ、くん」


 その言葉を呟く度に、胸が締め付けられる。

 ああ、私はこんなにも彼の事が好きだったんだ。

 だからこそ、私は諦めなければならない。


 彼の幸せを願う事が、私が最後に彼に対してできる事だから。


 家に帰って、寝て、起きて。明日からはただのゲーム友達。それですべてが丸く収まる。


 その時だった。私の前まで何かが駆けてくると、そこで止まった。

 足を止めたその主は、尋常でない程呼吸を荒くさせていた。恐らく相当必死になって探し回っていたのだろう。


 ゆっくりと顔を上げて、半ば確信しているその正体を見てみる。



「――――呼んだか?」



 今一番、会いたくなかったひと。



 今一番、会いたかったひと。



 私の心をいっぱい揺れ動かす迷惑なひと。



 私がこれまで会ってきた人の中で、誰よりも大好きなひと。



 そんな彼は、身も心も迷子になってしまっている私を見つけてくれた。






 ああくそ汗が引かねえ、全力疾走で駆け抜け続けてきたから、足がガクガク震えてやがる。

 呼吸が安定しない。暑さで眩暈がする。肺が酸素を求めて悲鳴を上げている。

 だが、こんなみずぼらしい醜態を晒さなければ紺野さんに追い付くことが出来なかった。

 半ば過呼吸になりそうになりながら、彼女を見据える。


「……紺野さん」

 

「なんで、追ってきたんですか」


 その視線の先で、彼女は気丈な振りをして、冷たくそう吐き捨てた。

 数瞬前まで、涙を止める事すらできなかっただろうに。

 ああくそ、息が整わねえから何も言えねえ。畜生、日ごろから運動しておくべきだった。

 何も返答がない俺を見て、目を赤く染める紺野さんはぽつりと。


「紫音さんに言われたからですか」


「違う」


 紺野さんの言葉に、自信を持って返答する。

 即答した事に、目をぱちくりさせていた紺野さん。しばらくこちらを見ていたが、泣き腫らして赤くなってしまった顔を見られたくないのか、顔を背けた。


「では、なんで」


「紺野さんに、謝らなければ、ならない事が、二つある」


 紺野さんの言葉を聞く前に、こちらから切り出す。

 先手必勝。話はなるべく簡潔迅速に。勘違いをこれ以上産まない為にも、そうすべきだ。

 息を何とかして整わせつつ、汗を拭って話を続ける。


「一つは、紫音と付き合っている、という話は嘘だという事」


 その言葉を聞いて、紺野さんが完全に固まってしまう。信じられない、といった風にこちらへと顔を向けるがお構いなしに話を続ける。


「もう一つは、俺の言葉で傷つけてしまった事」


 『もう、料理を作りに来なくて良いよ』。俺の言葉で、紺野さんがどんな思いで受け止めて、どれだけ傷ついてしまったのかは、俺には分からない。

 だが、深く傷ついてしまったからこそ、こうして彼女は一人で泣いていたのだ。

 だからこそ。


「本当に、ごめんなさい」


 そう言って、深く、深く頭を下げる。

 こんなことで、彼女の気が収まるとは思えない。だけど、誠心誠意込めて、深く謝罪する。

 嫌われてしまっても仕方がない。それだけの事をしてしまったのだ。


「どういう、事ですか」


 彼女の言葉に、ビクリと肩を震わせる。

 恐る恐る彼女を見てみると、止まっていた筈の涙が再び零れ落ちていた。

 慌ててハンカチを差し出すが、彼女は首を振って突き返す。

 紺野さんはじっとこちらを見つめると。


「どういう、とは」


「渚君は、何のために今日紫音さんとデートを?」


「えっと……紫音が雷人に嫉妬してほしいからって、露骨な感じのデートをする羽目に」


「……はぁ」


 それを聞いて、呆れたようにため息を吐いた紺野さん。

 また気を悪くさせてしまったようだ。それもそうだ、こんなしょうもない茶番で振り回されてはたまったもんじゃないからな。


「なんであの場所に私まで連れてきたんです?」


「なんか紫音がポンの様子がおかしいから今すぐ呼んだ方が良いって言われて。それで」


「なるほど、通りで」


 紺野さんの中で合点がいったらしく頷いた。


「……渚君」


「はい」


「……今は、誰とも付き合ってないんですよね?」


「勿論。俺と付き合う物好きなんかいるわけないじゃん」


「確かに、渚君の彼女なんて、想像しただけで大変そうです」


「うぐっ」


「……ふふ」


 手厳しい事言ってくれるなあ、この人は。

 でも、表情が和らいだ。泣き笑いと言ったような表情を浮かべる彼女を見て、思わずこっちまで笑顔になる。


「あっ、なんで笑ってるんですか。私、今怒ってるんですよ。げきおこなんですよ」


「いやなに、やっぱり紺野さんは笑ってる方が良いよ。そっちの方が、ずっと魅力的だから」


「……そうやって、すぐに褒めそやして誤魔化そうとする。本当にズルい人です」


 ぷくっと頬を膨らまして、顔を赤くする紺野さん。だが、心から思っている事だから仕方がない。


「私、すっごく、すーっごく傷ついたんですよ」


「……本当にごめん」


「だめです、許しません。鈍感な渚君の事です。どうせ、私が傷ついた原因なんて分かりもしないんでしょうけど」


「分かるよ。確証はないけどね」


「……え?」


 俺が苦笑いしながらそう言うと、紺野さんはかぁーっと顔を赤く染めていく。

 そのまま困惑しながらわたわたしだす紺野さんは、膝を抱えて丸くなり、顔をちょっとだけ出す。


「え、え?えっと、本当に?」


「ああ。でもこれは言うべきなのか、言わないべきなのか」


「わあああああ!やめてください!お願いします、今言われたら羞恥心で死んじゃいます!」


 確かに、俺も言える言葉じゃないから安心した。『紺野さんは俺の事が好きなんですか?』と本人に聞くのは流石に気が引けるし、というか俺が逆の立場だったら全力でドン引きする。

 ……もし俺の思い違いだったら、「自意識過剰乙wwwww」と思われた挙句、多分とんでもないレベルで関係に溝が出来てしまう可能性を秘めている言葉だ。迂闊に発してはいけない。だから、取り敢えずはこのままで。


 うわあああ、うわあああと声を漏らして羞恥心に身を悶えさせているらしい紺野さんを見ながら、とある事を思い出して「そういえば」と話題を切り出す。


「紺野さん、彼氏がいるのになんで料理作りに来てたの?」


「…………え?」


 素朴な疑問を投げかけると、これまた紺野さんがフリーズする。

 何を言っているのか分からない、とばかりに首を傾げ、腕を組んで熟考し始めた。


「…………彼氏?」


「うん、なんか今日彼氏とデートしてたじゃん。あ、もしかして秘密だったりした?」


「…………えっと、従兄妹の優斗さんの事ですか?」


 ……? ちょっと待て、従兄妹?おいおいそんな馬鹿な。


「えっと、今日一緒にいたあの人って、従兄妹だった感じ?」


「そうですよ?……あの、もしかして勘違いしてました?」


 嘘だろぉぉぉぉぉおお!?いや確かに本人に聞いてなかったんだから、そら分かるわけないよな!仲良さそうにしてたのも、従兄妹っつー付き合いがあるんだからそら当然だわな!

 おいおいおい、それならまさか、俺はとんでもない失態を犯してしまったんじゃあ……!


「えーっとですね、紺野さん」


「はい」


「……料理の件、発言取り消しとかできたりとかします?」


「出来ませんね」


 紺野さんに苦笑しながらそう言われ、俺は今日一番絶望を感じて「うぉぉぉぉぉ」と言いながら地面に蹲った。


「人生プレミした。この世の全てが憎い。何故人間って愚かなんだろうな」


「あ、あの、そこまでショック受けなくても」


 心配するようにそう言う紺野さん。だが俺は今、この世の終焉を感じている。

 明日からまた楽しい楽しいカップラーメン生活の幕開けかぁ、ははっ!

 

「ふふ、冗談ですよ。今日は渚君がいっぱいいじわるしてきたのでいじわるしたい気分になっただけです」


「うおお紺野さんマジ女神!愛してる!」


「そ、そんな気軽に愛してるとか言わないでください!」


 やっぱりなんだかんだ言って紺野さんは甘い。でも、そんな彼女だからこそ、一緒に居たいと思わせてくれる。

 紺野さんは大きく腕を伸ばして深呼吸すると、笑顔を浮かべる。


「そうと決まれば、ご馳走する料理を作らないといけないので帰りましょうか。……今日は、いっぱい走って疲れちゃいました。足も痛いですし、駅までゆっくり歩いていきましょう?」


「そうするか」


 俺も彼女の隣に立っていてもおかしくないように身だしなみを整える。

 身だしなみを整え終わって、ゆっくりと歩き出そうとするが、彼女が一向に動き出さなかったので、思わず振り返る。


「……?あの、紺野さん?」


「実は、ふくらはぎが大分張ってしまってですね。足がもつれて転ぶと怖いので、手を繋いでくれませんか?」


 そう言って、紺野さんが手を差し出してきた。それに対し、少しだけ戸惑ってからその手を優しく握ると、紺野さんが指を絡ませてくる。

 突然の事に、目を白黒させるが、いたずらを成功させたかのように舌をチロっと出す紺野さん。


「えへへ」


 そう言ってはにかんだ彼女に、思わず見惚れてしまう。

 だが、そんな事を悟られてしまわないように、赤く染まった顔を前に向けると、今度こそ歩き出した。





 「好き」という感情は未だによく分かっていない。



 昔に勘違いをしたあの頃の思いをずっと引きずってしまっているからだ。



 でも、それでも、彼女の隣にいたいという気持ちがあるのは確かだ。



 喧嘩して、仲直りして、そうやって仲を深めていって。


 

 時々大きく後退して、それでも少しずつ、一歩ずつ前に進んで。



 きっと、それを繰り返していくうちに、胸に秘めているこの感情は成長していくのだろう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る