#138 その後の話と例のカフェ


 IHの電源を入れ、設定温度を適温に調整し、鍋を温め直す。

 ぼんやりと鍋が沸騰していくのを見ながら、ARデバイスを立ち上げた。


「マジで母さん達、何がしたかったんだ」


 思わずぽつりと愚痴を漏らす。

 久しぶりに顔を出したと思ったら、あんなことになるとは。あれから紺野さんはフリーズしたままで、何とかソファに座らせはしたがめっきり応答が無い。何故名前を呼ぶことには耐性あるのに名前を呼ばれる事に耐性は無いのだ……女性はよく分からん。


「えーっと、鍋が冷えてる場合はどうすりゃいいんだ……取り敢えず温めとけばいいか」


 ARデバイスを操作しながら、検索を掛けてみる。

 うーん、こういう所で料理に関するズボラだった部分が露見してくるな……。流石に紺野さんに甘え切りも申し訳ない。せめてレシピを見て料理を作れるぐらいにはなっておきたい物だ。


「流石に二時間放置しただけで食中毒にはならんだろ……多分」


 大分適当な事を言っていると、鍋が沸騰した事で中の汁が噴き出してしまう。


「うわったたた!!やべやべ、布巾持ってこないと」


 慌ててIHの電源を切ると、そのまま慌ただしく台所を離れていった。





「「頂きます」」


 今日の食卓は紺野さんが持ってきてくれた具沢山の鍋と実家から送られてきた白米のみ。

 傍から見れば思春期男児が食べるには少々物足りなさそうだが、俺にはこれで十分、どころか満足できる食卓だ。

 小皿に鍋の具材をよそって準備を終えると、合掌してから口に運ぶ。

 じっくり煮込まれた優しい野菜の甘みが口の中に広がり、出汁の効いた汁を喉に通すと長時間クーラーに当てられて冷えた身体が温まっていく。


「美味しい」


 そのまま箸を進めようとすると、紺野さんが固まっている事に気付く。


「ん?紺野さん、食べないの?」


「……」


 まだどこか上の空の様子な紺野さん。

 可愛らしい腹の虫も鳴っているのでお腹が減っていないわけではないだろう。はて、どうしたものか。


「えーっと、紺野さん?」


「……名前」


「え?」


 いや待て、さっきのは親の前での建前なだけであって、紺野さんはこの場に二人いないわけだから紺野さん呼びで良いと思ったんだが。

 だが、俺のそんな考えを余所に、紺野さんは力強く宣言する。


「名前で、呼んで下さい」


 こちらに何か期待するような視線を向ける紺野さん。

 困ったな、どうしたものか。別に名前で呼んでいいと向こうが言っているのならかまわないんだが、ちょっとその名前呼びに関しては少しトラウマが……。


「いや……ちょっと……ね」


 はは、と乾いた笑いを浮かべると、紺野さんは首を傾げる。

 だが、なんとなく意図を察してくれたのか、それきり何も言わなくなってしまう。


「「…………」」


 き、きまずい。

 いつもほんわかしたムードで話しかけてくれる紺野さんが無口だとこうも気まずくなるものなのか。

 折角の美味い飯もこれでは味が落ちてしまう。……仕方あるまい。


「ゆ、唯さん」


「ッ!!」


 根負けして名前呼びをすると、ぱあっと目に見えて顔色を明るくする紺野さん。

 こうでもしないと本当にこっちが辛くなるから無理矢理呼んでみたが、その効果は劇的だった。

 ニコニコしながらこちらに視線を向ける物なのだから、思わず胸がドキリと跳ねる。


(――――ドキリじゃないだろ。紺野さんは気付いているかどうか分からないが、母さん達が企んで無理やり俺と付き合わせようとしてるんだぞ)


 かすかに生じた胸の痛みに、自嘲気味に笑みをこぼす。


 明らかに俺が分不相応な事は重々承知している。彼女は優しいから、こんなズボラな俺に付き合ってくれているだけであって、そこに好意が絡んでるのは絶対に無いだろう。

 ……俺が恋愛下手って言うのは自分が一番理解しているからな。ただの親切心を勘違いして痛い目を見た馬鹿野郎の事を思い出せ。……あんな思いはもうこりごりだからな。


「……やっぱ名前呼びは恥ずかしいから辞めていいかな?もし呼ぶとしても親を騙す時だけで……」


「は、はい……私もその、持ちそうにないのでそうしていただけると助かります」


 お互いに顔を赤くして顔を背けてしまう。

 流石にまだ名前呼びは尻込みしてしまう。これまで通り、紺野さん呼びが精神的にも良いだろう。

 そのまま無言になってしまう。折角の美味しい食事なのに何も言わないのもあれだしな。


「鍋、美味しいよ」


「えへへ、ちょっと張り切って沢山具を入れた自信作です!沢山食べて下さいね」


 鍋を食べた事で少し体温が上がったのか、顔を赤らめながらはにかむ紺野さん。うーん、こうしてみると本当に嫁力高いわこの子……。この子の旦那さんになった人は幸せ者だろう。健気で気が利いて料理上手で笑顔が可愛いとか完璧か?全く、その要素の一つを分けてほしい物だ。いや笑顔が可愛いはいらんけども。

 ふと、そのタイミングでとある事を思い出す。


「あ、そうだ。SBOの事でちょっと話したいことがあるんだけど」


「……え?ああ。ライジンさんからそれとなくメッセージが飛んできてましたね。なにやら黒ローブ?って人がどうたらって」


「そうそう、その話」


 流石ライジン、話が早い。やはり奴は出来る男だ。伊達に人気配信者として活躍しているだけある。

 そこまで話が進んでいるなら、こう切り出すべきだろう。


「明日時間空いてる?出来ればカフェに行って話し合いがしたいんだけど」


「――――ふぇ?」


 ピク、と聞き間違いかな?とばかりにフリーズする紺野さんだったが、すぐに首を傾げて。


「あ、えっと……今でも出来るのでは?」


「あー……いや、ライジンとも話したいからさ」


「――そうですよね、知ってましたとも!」


 だってライジンに考察部分任せてるから正直現状の状況を把握しきれていないんだよな。

 やはり人数が多いに越したことは無いし、それだけ議論の幅が広がるからライジンを呼ばない選択肢は無いだろう。

 紺野さんはジト目をこちらに向けると、ぽつりと苦言を漏らす。


「……渚君は、言葉が足りないことが多いので気を付けてくださいね」


「……面目ない」


 確かに自覚はあるから何とも言えない。

 これがゲームばっかりやってきた弊害か。うーんコミュ障ここに極まれり。大体アホみたいなテンションでゲームをやる事が多かったから、大体周りも言葉が足りなくとも理解してくれてたんだよな。


 そんなこんなで、そのまま飯を食べ終わると、各自自室に戻ってAimsにログインするのだった。





 翌日。



 以前ライジンと粛清の代行者について話し合ったカフェへと再び来た俺と紺野さんは、カフェの扉を開く。

 視線を左右させると、帽子を深々と被り、サングラスを身に付けている青年が手を上げたのでそちらへと向かった。


「ごめ~ん、お待たせ!待ったでしょ?」


「いや、ちょうど来た所だよ」


 ちょっと高めのテンションで青年ことライジン……桐峰雷人に挨拶すると、想定通りの返答が返ってくるので満足気に頷いていると、紺野さんがちょいちょい、と指先でつついてくる。


「なんでデート風なんですか……?」


「こういうのは雰囲気からやっていくものなのだよ紺野君」


 いや知らんけど。まあこういうテンションについてきてくれるのが雷人という男の懐の深さかなぁって。ただの男同士の悪ノリだけどな。

 因みにまだ外での唯さん呼びは恥ずかしいという事を伝えてある。だって関係が進展したわけじゃ無いのに急に名前呼びになったら雷人がどんな余計なお世話をしてくるか知ったもんじゃないからな。


 席に座ると、雷人が紺野さんを見るや否や、「おお」と声を漏らす。


「やっぱり紺野さんお洒落だね」


「あ、ありがとうございます」


 雷人が微笑みながらそう言う。対する紺野さんは照れを隠すように被っていたキャスケット帽のつばを掴むと、そっと下に下げた。

 確かに、紺野さんは年頃の女の子らしくお洒落な印象はある。

 緩めのベージュのビッグシルエットシャツに、紺色のデニムでそのスタイルの良さを際立たせている。普段掛けていない薄ピンクの伊達眼鏡も掛けている点もポイントが高い。


「それに比べて渚は……」


「おうなんだよ、喧嘩売ってんのか買うぞコラ」


 外行き用のTシャツの上に薄手のパーカーを羽織り、あり合わせのジャージを履いてきただけ。だって楽だし。ゲーマーにファッションを求めるな馬鹿野郎。

 まあ、明らかにお洒落な雰囲気のカフェで浮いているのは分かってるけども。

 仕方ない、ちょーっとだけ腹立ったので雷人が一番効く行動を取るか。


「紫音に定期報告~、『ライジンが他の子たぶらかしてた』っと」


「おいマジでやめろ本当にそれだけはやめてくださいお願いします渚さん!!」


 ARデバイスを操作していると、雷人は物凄い形相で止めにかかる。

 それを見てくくっと笑うと、メッセージ送信ボタンを押す。無慈悲な送信音を聞いてライジンが「ああっ!!」とこの世の終わりのような表情を浮かべた。


 まあ、実際には『ライジンの今日のファッション』と称して紫音に写真付きで送り付けただけなんだけどな。すると、爆速で既読が付いて『グッジョブ』スタンプが送られてくる。ふう、良い仕事したなあ!


「し、紫音はなんて?」


「『どうでもいい』だってさ」


「うわあ二重の意味であんまりだあ!」


 がっくりとライジンが項垂れる。

 存分に勘違いしてくれたまえ……と愉悦を感じていると、紺野さんが耳元で囁いてくる。


「あの……雷人さんって、紫音さんの事が?」


「ああ、ベタ惚れ。まあ、当の本人達は両想いって気付いてないから色々と気を配ってんだよ。早くくっついてくれって感じなんだけどさ」


 紫音は遠回しな好意の伝え方だし、雷人は好きな人の事となるととことんビビり散らかしてるから全く進展しないのよな……。どうしたイケメンカリスマ配信者、その実力で早く紫音を落とせよ。


「……あの、渚君はお二方の好意についてはどうして気付いたので?」


「いや、だって分かりやすいから。逆になんで気付かないの?って感じ」


 そう返答すると、紺野さんは半目でこちらをじっと見つめてくる。どうしてその視線を向けてくるのかしら。視線が痛いわ。


「おうお前ら何コソコソ話してんだ、また馬鹿にしてるのか?」


「雷人ってこう見えて彼女居ない歴=年齢なんだって話をしてたのさ」


「想像以上にエグい事バラしてんじゃねえ!!しかもそれブーメランだろうが!!」


「俺はゲームが恋人みたいなもんだから」


 だって付き合い始めたら彼女に時間取られてゲームやる時間減りそうだし。いやまあ、俺に彼女が出来るなんて思ってないけどさ……。


 所で紺野さん、何故そんなに嬉しそうな顔を?もしかして俺の考えに共感を?やはりゲーマーはゲームこそが恋人なのさ……!


「……さて、そろそろ本題に入ろう」


 と、雑談もそこそこに、ライジンがストローから口を離すと、真剣な表情になる。



「粛清の代行者と黒ローブについて、俺なりの考察をまとめてきたから二人の意見が聞きたいんだ」



────

【おまけ】

唯(渚君は彼女が居た事が無い……つまり、私とつつつ、付き合えば私が最初の彼女に……!)


渚(やはり紺野さんもゲーマーなんだなぁって)

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