#137 諸悪の根源、襲来



 さて、状況を整理しよう。


 今まで人生を歩んできた中でもトップクラスに入るぐらい最高にクールな状態だ。言うならばそう、今の俺はクール渚。先ほどまでの頭痛がさっぱり消え去ったおかげで凪のように心が穏やかで頭の中が澄み渡っている。今ならスキルレベルが上がった事で増加した跳弾限界も更新できそうだ。

 思考も視界もクリアになった状態で今の状況を整理してみよう。


 何かとても柔らかい物の上に頭を乗せていて、横目で見上げるとそこには可愛らしくすぅすぅと寝息を立てている紺野さんの寝顔がある。


 ……さて、この状況は一体。


 朧気な記憶の糸を辿ってみよう。

 確か俺がSBOからログアウトしてから、腹が減ったのでピザをデリバリーしようとしたら紺野さんが来て膝枕する状況になった。


 うん、おさらいしても訳わかんねえや!(諦め)


 取り敢えず分かる事は寝心地は最高、女性特有の甘い香りが漂ってきて精神衛生上非常によろしくない。さながら理性を溶岩ダイブによって発生するスリップダメージの如く急速にすり減らしていく天上の枕、ここが地獄ヘルか、はたまた天国ヘヴンか。うーん絶賛思考バグってるぅ。

 このまま起きるために動いてしまえば気持ちよさそうに寝ている紺野さんを起こしてしまうだろう。無理矢理起こすのは可哀想だろう。

 うーん、ここは紺野さんの為にも、もう少し居眠りしますかね?


 ……はい、正直ここから離れるのが惜しいのが本音です。

 さぁて、睡眠欲求を解消する為にも二度寝しますかぁ!



 二度寝を敢行するべく、目を閉じようとしたその瞬間には現れた。



「はいどうもー!元気してるぅ?渚!!」


 バン!と玄関からリビングへと繋がるドアが思い切り開いた。突如として鳴り響いた音に思わずビクっと肩を震わせると同時に紺野さんがピクリと動いたのを感じる。


 ちょっと待て、インターホンも鳴ってないし、人を招き入れた記憶はないぞ!?

 という事は強盗か!?いや待て、今の非常に聞き覚えのある声は……!?


!?」


「よっ、渚!相変わらず不健康エブリデイを送ってるんだろう?差し入れに来たぞー!」


「あ、お邪魔しますー」


 扉を開けて顔を覗かせたのは、プロゲーミングチーム『レディーズ』を率いるリーダーにして俺の母親こと日向ひなた香織かおり……とどこか面影のある亜麻色の髪を揺らす一人の若い女性。

 ゆっくりと母親がこちらに視線を向けると、口角を吊り上げて口に手を当てた。


「あらあらまあまあ!?」


「ちょっと待て、言いたいことは多分分かったから何も言うな」


 心底楽しそうににやける母さんに、手を突き出して静止を掛ける。

 だが、こんな程度で止まるわけがない事を俺は良く知っている。

 何故なら奴は諸悪の根源……紺野さんをこのマンションに引っ越させたと言っても過言では無い張本人なのだから。


「何よ、全然興味ないみたいな事言っていて唯ちゃんにしっかり甘えてるじゃない!これは孫の顔を見るのも近いかしら!?」


「やめろそういうのではない邪推するなお願いしますからちょっと黙っててください」


「超早口ねぇ……」


 思わず赤面し、手を突き出しながら早口で告げると亜麻色の髪の女性が苦笑いする。

 と、その時ようやく紺野さんの眼がゆっくりと開いたのを確認したので、決死の形相で。


「紺野さんも誤解を解く為に何か言ってくれ、ほら、SAY言って!」


「……はれ?渚君?」


 ふわ、と紺野さんは小さなあくびをすると、優しく微笑んで俺の頭を撫でてくる。


「起きてしまったんですか?私と一緒に朝までゆっくり寝ましょう……?」


「その言い方誤解が深まるんだが!?」


 駄目だ、紺野さんもしかして寝起き滅茶苦茶弱いタイプか!?完全に周囲の二人の様子が見えてなさそうなんだが!?そして二人の笑みも更に深まっているんだが!?

 考えろ、考えろ、考えろ!こういった窮地の脱し方は俺の得意分野だ、思考を回し続けろ!!


「えーっと、えーっと、これはそう!耳かきしてもらってる最中に寝落ちしたわけで!」


「それでも甘えてる事に変わりは無くない?それと、耳かきカウンターの上にあるし」


「そうなんだよなぁ……!」


 俺の即興言い訳は母上殿の容赦ない論破で一撃粉砕。次のプランを考えろ、これはそうえっと膝枕!!!!……駄目だ、寝起きの頭ではまともに思考できない。もう降参だ。煮るなり焼くなりしてくれたまえ。

 

 半ば白目になりながら投了すると、ようやく目が覚めた様子の紺野さんの目が信じられない物を見るように瞬く。


「……あれ、お母さん?」


「唯、おはよ。と言っても午後八時だけどね。おそよう?」


 ……え?もしかしてとは思っていたけど、本当に紺野さんの母親?

 ちょっと待て、紺野さんの母親相手にこの状況は非常に……!?


 マズイ、と頭で理解した瞬間に血の気が一気に引いていくのを感じる。

 そして紺野さんの膝から離れると、そのまま地面に頭を擦りつけながら土下座を敢行するッ!!


「すいませんすいません、嫁入り前の娘さんにとんでもない真似をォォォ――――ッ!!」


「あら、そのままで良かったのに。膝枕されながら応対するのはシュールで面白かったわよ?でも良かったわー!随分仲良さそうで。しかもこんな夜に、ね」


 にやにやした表情で口に手を当てる紺野さん(母)。

 羞恥で再び顔が赤くなるのを感じながら、母親にジト目を向ける。

 

「というかそうだよ。今、夜なんだけど?なんで真昼間に凸してきたようなテンションなんだよ」


「まだ44時じゃない、何言ってるの?」


「ゲーム廃人特有の徹夜単語やめーや」


 というか44時て。もろ二徹コースじゃねーか。全く、これだからプロゲーマーって人種は。


「母さんも若くないんだから無理すんなよ」


「言ったなこの野郎!!私はいつだって心は二十代なんだぞ!!」


「心はそうでも身体は追い付かないだろ」


「そうなのよ、最近肩こりが酷くって……って、何言わせるのよ!」


 知ってるぞ、最近マッサージチェアが手放せなくなってるの。

 父さんにこっそり近況聞いたらマッサージ器具が物凄く増えたって話があったからな。


 俺と母さんのやり取りを聞いて、紺野さんが楽しそうにふふっと笑う。


「あはは……渚君、お母さんと仲いいんですね?」


「「どこが」」


「そういう所です」


 傍から見たらそんなに仲いいだろうか。むしろ揚げ足の取り合いが絶えない家庭なんだが。

 ゲームのリザルトでマウントの取り合いは日常茶飯事、最近ではAimsにおけるワンマッチの最高キル数を上回って煽り倒した。その数時間後に超えてきたのは流石と言うべきか、憎たらしいというべきか。勿論俺は砂だから実力的には上なんだけどなぁ!(醜いマウント)


 隣でくすくす笑っていた亜麻色の髪の女性は、ひとしきり笑い終えると。


「渚君、だったよね?紹介が遅れてごめんね。私は唯の母の紺野こんの優奈ゆうなです。いつも唯と仲良くしてくれてありがとう」


「いえいえこちらこそ紺野さんには大変お世話になっているというかなりっぱなしというか」


 いや本当に紺野さんには頭が上がらない。最近は食生活面でお世話になりっぱなしだから健康優良児になりつつある。

 優奈さんに頭をペコペコ下げていると、優奈さんがにやりと一際笑みを深め、懐から何かを取り出す。


「そんな日頃のお礼も兼ねてなんだけど……」


 と、優菜さんから何か渡される。

 えーっと、なんだこれは。なんか四角……。


「あんた初対面の人間に何渡してるの!?」


「私は許可するから、という意志表示ね!ただし、まだ責任は取れないだろうから念の為!」


 スポーツ漫画の主人公の如く爽やかな笑みを浮かべてサムズアップする優奈さん。

 はっ、もしかして紺野さんの引っ越しの件はこの人もグルなのか!?よく考えればそうだ、確かに一人暮らしさせるんだから事情は知っていてもおかしくないよな!?


 俺の慌てた様子を見てか、紺野さんは首を傾げながら。


「あの、渚君。お母さんに何を渡されたんですか?」


「いや紺野さんは気にしないでくれ、世の中には知らない方が良い事もあるさハハハ」


 絶対にこんなブツを紺野さんに見せるわけにいかねえ!見られたら最後、乾いた笑いをされてそのまま軽蔑されるに決まってる!例えそれが紺野さんの母親から貰ったものだとしても!


 慌てて紺野さんに見えないように体の後ろに四角いブツを隠す。

 しばらく訝しげに俺の事を見つめていたが、やがて諦めたように視線を優奈さんに向けた。

 ホッとするように一つため息を吐いてから。


「で、何でここに?」


「入ってきた時に言ったじゃない、差し入れ。それと渚の様子を見に来たの」


「私は唯の様子を見に来たら部屋に鍵がかかってたから香織さんと一緒に。そしたら微笑ましい光景が広がってたからビックリしたわー。邪魔して悪かったわね!」


「べべべべべべ別に邪魔だったわけじゃないからね!?」


 紺野さんが顔を真っ赤にして、手を慌ただしく動かす。


「なんか紺野さんのリアルでのフランクな感じ初めて見た気がする」


「た、確かにそうかもしれないですけど!!」


 意外と紺野さんって家族相手にも敬語調っぽい感じしてたけどそうでもなかったのか。

 でも割と友人とかにはフランクなのだろうか。ううむ、そう考えると友人と思われて無さそうで複雑……。


「……あれ?もしかして渚君、まだ唯の事苗字で呼んでるの?」


 ふと、優菜さんが違和感に気付いたのか、そんな事を言ってくる。

 マズイ、もしかしてもしかしなくてもこの流れは……。


「え、ええ。まあ」


「紺野さんだと、この場に二人居るからどっちの事を言ってるのか分からないわね?」


 ぐっ、と喉を詰まらせる。

 これは暗に……名前で呼べと、そうおっしゃっているので?


「ま、まだ流石に早いというかなんというか」


「それなら唯は渚君って呼んでいるみたいだけど?親しくなっていると思ってるのは唯だけかしら?……お母さん、悲しいわ」


「う」


 ぐすん、とわざとらしく目を拭い、嘘泣きをする優菜さん。

 畜生、泣き落としなんてズルいぞ!これで言わなかったら俺が完全に悪者じゃないか!!


 ああもう畜生!!もうやけくそだ!!


「ゆ……唯、さん」


 慣れない名前呼びに顔に血が上っていくのを感じる。

 まるでバトロワの最終局面のように心拍数はどんどん増加していき、何とも言えない緊張感を覚える。

 ちらりと紺野さんに視線を向けてみると……静かに微笑みを湛えながら硬直していた。


「あ、あれ、唯さん?おーい」


 目の前で手を振ってみるが微笑みを崩す気配は無いし、なんなら呼吸が止まってるまである。

 っておい!?これ不味いんじゃないか!?


 慌てて紺野さんを揺さぶる俺をよそに、周囲の二人は呑気そうに。


「これは孫の顔を見るのは当分先になりそうね」


「まだまだ駄目ねえ、二人とも」


「駄目って何が!?というか唯さんとはそういう関係じゃないんだが!?」


 本当にこの二人はとことん外堀から埋めてこようとしてきやがる!!

 据え膳喰わずは男の恥、という単語が頭をよぎるが、頭を振って雑念を振り払う。


「ふぅ。そろそろからかうのも終わりにして、お暇しましょうか。意外と収穫があって良かったわー」


「じゃあ、お邪魔するわね!今後とも唯の事をよろしくね、渚君!」


「いや本当に何しに来たのあんたら!?」


 マジで場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回しただけじゃねーか!いやあれ以上紺野さんに甘えてたら色々と理性が危なかった気がするから助かった気もするけど!!


 にやにやと笑い続ける母さんと優菜さんがそのまま部屋から出ていったのを見届けると、ぐったりするようにソファに腰かける。


 いや本当に疲れた……。色々と精神的に疲れたしこのまま夜はゲームせずに寝るかなぁ……。


 ふと、その時何か忘れているような気がしてテーブルに視線を向けてみると、そこに置かれている物を見て、「あ」と声を漏らした。



「――――俺の夜飯ィィィィ!!!!」



 ……残念ながら鍋はクーラーの直下だった為、冷え切っていました。




────

【補足】

ちなみに名前で呼ばせた時の唯の心境はお母さんナイスゥ!!って感じでした。尚実際に呼ばれると歓喜のあまりフリーズするという失態をしでかしてます。やはりポンコツ……。



鍋「見届けてやったぜ(死亡)」

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