22 出会い(side Sherlock)

 俺が一生大事にするのは、この子にしよう。


 その場に現れた途端にいきなり麦酒を一気飲みしているのを見た時は、本当にびっくりした。けれど、必死な顔で一生懸命に何度も何度も俺に質問をする姿を見て、あっさりとも言える程簡単に人生における重大な決断を下した。


「あっ……あの、シャーロックくんは……休日とか、どんなことしているんですか?」


 誰かが聞けば若い男のバカな惚気話だと言われても仕方ないが、俺に興味のある素振りを見せるエレノアが世界一可愛く見えた。さっき初対面で挨拶した時から、彼女の容姿や雰囲気は好みだと思っていたので、こっちにとっても願ってもないことだった。


 女性陣三人が席を立ち、俺たちは今後を見据えて作戦会議へと入った。向こうも恐らくそうしているだろうが、こちらの方も全員の思惑を擦り合わせて置く必要がある。


「女の子って……こんなに、可愛いもんなの?」


 俺が真剣に聞いたら、同期のイグナスとレオポルトは同時に吹き出した。


「あー……エレノアさんのあれは、俺もされたら落ちるかもしれない。シャーロック狙いなのをアピールしたいのは、わかるけど……本当に必死だったもんな。絶対にお前を落としたいんじゃない?」


「あれだけ自分の事を好きですって全身で表現してたら、そりゃ可愛くも思えるだろ。エレノアさん、なんかいかにも純情可憐乙女って様子だし、女に夢あり過ぎてまだ童貞のシャーロックと合ってるんじゃない? 俺は、しっかりしてるルイーズさんが好みだけど」


「おい。夢あり過ぎてって、なんだよ」


 俺が気分を害してムッとなると、イグナスは揶揄うように笑った。


「別に俺はお前が童貞なのを、バカにしている訳じゃない。だが、人間であれば普通にあるのが当然の欲求、性欲を我慢してまで、唯一の存在を求めるお前が俺にはよく理解出来ないだけ」


「そうそう。恋愛とそれはまた別だと思う、俺もイグナスと同意見だけど……てか、俺は色っぽいイザベルさんが良いと思ってたから。全員被ってないなー……こういう時って狙いが被るのがあるあるって聞いたけど、なんか今回は被らなかったな」


 レオポルトは酒を飲みつつ、楽しそうに笑った。


 実態を知らない人が聞けば、本当に? と疑われるかもしれないが、騎士学校に通っていた俺たちには今まで余裕のある時間というものはまったく与えられなかった。


 だから、可愛い女の子を見つけても、卒業するまでは告白するのは絶対に待てという先人たちの哀しい血の涙が滲むような不文律がある。


 女の子は会えないと「私と仕事と、どっちが大事なの」と必ずなってしまうらしい。選べないものをどちらか選べと言われても、確かに困る。


 イルドギァの騎士学校では、秒刻みのスケジュールだ。運良く一日休みが取れたとしても不規則だし、実戦を見据えた遠征なども年に何回もこなすことになる。騎士の卵という身分を餌にチラつかせて首尾よく付き合えたとしても、今までに別れなかった試しはないらしい。


 先人は偉大だ。そして、彼らはこの先に後輩に起こる悲劇を最小限にするために代々言い伝えた。「辛いとは思うが好きになって付き合った末に別れた方がもっと辛くなるので卒業するまでは、涙を呑んで我慢しろ」と。


「なんとか……二人で、話したいんだけど……籤でも作るか……」


 俺は店員を呼んで紙と書くものを借りて、簡単な籤を自作した。もちろんこれも、先輩たちの残した合コン虎の巻によるアイディアだ。書き残したのは誰だかわからないが、感謝はしている。


「あんまりわざとらしいのもなんだし、時間を決めて全員男女二人ずつで話せるようにはするか」


 こういう事に良く気の回るイグナスは、そう言った。俺とエレノアはもう確定だとしても、残る二人の女性陣の思惑がわからない今わかりやすい不正を働く訳にもいかない。


「……エレノアさんに、絶対余計なこと言うなよ」


 俺が敢えて声を低くして二人にそう言ったら、レオポルトはわざとらしく体を震わせた。


「お前の今の顔見たら、逃げられるぞ。せっかく可愛い彼女が出来そうなのに、自重しろよ」


 レオポルトの忠告など、自分が一番理解している。ああいう可愛い女の子が好きそうな、そういう男を彼女の前では出すようにすればそれで良い。


 初対面の誰かの前で、そのままの自分を見てすべて受け入れて欲しいなどという信じがたい幻想は持ってはいない。彼女でしか出さない俺も、また俺になるだろう。そしてレオポルトの指摘した、怖がらせること間違いなしの俺もまた俺で間違ってはいない。


 二面性のない人間など、いない。それが、もし多面に見えるようなものだったとしても俺は驚きはしない。世界中すべての人の前で、善人で居られる人間がどこに居る?


「絶対に見せない。エレノアさんが好きな俺は、なんとなくわかっているから」


 やがて三人の女性陣は席に戻り、イグナスは彼女たちに二人で話したいからと籤の提案をした。




◇◆◇




 エレノアは中身も俺の想像を絶するほどに……いやもしかしたら、正体は天使か妖精かもしれないと疑うほどに可愛かった。


 男の心を惑わす危険人物として、公的に認定した方が良いかもしれない。男っていうか、彼女が惑わせるのはこれからは俺しかいないようにするけど。


「初めて見た時に、この人の彼女になりたいって思って……」


 そう真っ赤に頬を染めて言われた時に、この後付き合うためにどういう風に話を持っていくとか、そういった計算は頭の中からすべて消し飛んだ。


 俺が現在諜報活動を主な仕事としている特務機関に所属しているという事は、要するに「人を上手く騙す適性」があるということだ。


 言葉巧みに段取り良く、ターゲットから自分の欲しがっていた情報を抜く。そういった授業の成績が良かったのは、別に俺が意図した訳でもない。正直に言えば新人なのに異例の抜擢と言われ、また周囲から「グリフィス家か」と言われるのも面倒で辟易していた。


 だから今回も「上手くやる」つもりでは、あった。本気の恋の前では、互いに本音でぶつかり合うしかないのも、その時に初めて知った。


「俺。エレノアに本気だから」


 そう言った時に頷いた彼女の顔を見て、本気であることをここで示すために、今夜はこのまま攫わない方向性で行こうと判断した冷静な俺が出来たばかりの恋人が巻き起こした可愛すぎる突風をまともに喰らい吹き飛ばされるところだった。危ない。


 家まで送った彼女の背中が集合住宅に入ったのを確認して、俺は帰路へと就いた。冷たい夜風がしんとした街を抜けて、どこか遠いところへと去って行く。


 久しぶりに飲んだ酒のせいか、一生を予感させる恋の始まりに浮かれたせいか。自然と鼻歌が出てきた。空を見上げたら、満月だった。


 そうして、エレノアと別れるまで俺が周囲に目を配ることも忘れ、彼女の事しか見えてなかったことに気がついた。恋が盲目とは、このことなのかとようやく言葉の意味を知った。


 このまま順序良く行けば、一年ほど付き合って結婚を申し込み結婚式の手配などを考えて、結婚するのは二年ほど先か。


「……長いな」


 ぽつりと溢せば、自分でも今かなりヤバい状態なんだなとは思った。出来ればこの足で適当な家でも買って結婚の書類なども提出しに行きたい程ではあったのだが、それをして彼女に引かれて逃げられてしまってはいけない。


 落ち着け。落ち着け。今までずっと欲しかったものは、もう手の中にある。何度も、自分に言い聞かせた。


 間違いなく彼女は俺のことが、好きだ。誰かときちんと付き合ったことはないが、これからもっと好きになって貰う方法なら、なんとなく理解はしている。何よりも大事にして愛を囁き、出来るだけ彼女を最優先にする。


 仕事に関しては、彼女が休みの週末になんとしても定期的な休みが欲しい。扱いの物凄く難しい上司と、また知恵比べすることになるだろう。絶対勝てないように思える彼にも弱点がひとつだけあるので、その辺りを攻めることにするか。


 今夜の月は綺麗だし、待ちに待った恋は始まった。


 本当に、最高の気分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る