21 しんどい

 抱き合った私達が、二人の世界に入りお互いをじっと見つめ合っているといきなり席の方からパチパチと拍手の音がした。


「……っ……え? みんな!? なんで?」


 私は目を見開いて驚き、シャーロックとそこに居た四人を何度も見比べてしまった。彼は苦笑しつつ、強い腕の力をゆっくりと緩めてくれた。


「エレノアさん、久しぶり。そいつと一緒に徹夜して、ランプリング商会の悪事を片っ端から暴いた俺達二人ものすごーく働いたから。今度ゆっくりたっぷりお礼言ってくれて良いよ」


 仕切り代わりの柵の上に頬杖を付いて、明るいレオポルトくんは揶揄うように、そう言った。


「……本当に。シャーロックは、マジで人使いが荒いから。昨晩、偶然非番だったことを恨んだわ……その優しそうな可愛い顔は、エレノアさんの前だけの限定だから。今日に式があるって聞いて、それまでに間に合わせようと全員で死ぬ気になってたから。間に合って、良かった」


 目を擦ってそう言うイグナスくんは、なんていうかとても疲れてて眠そうな様子。もしかして、シャーロックとレオポルトくんそしてイグナスくんの仲良し三人組で、ブレアさんの暴走を止めるネタを一晩中必死に探していてくれたんだろうか。


「エレノア。シャーロックくんから、話聞いたよー。すごく大変だったと思うけど……本当にドレス姿が綺麗! 本番もきっとすぐだろうし、結婚式に参列するの楽しみにしてるね」


 当たり前みたいな様子でそこに一緒に居たルイーズは、笑顔で職場で挨拶した時のいつもように明るくそう言った。


「本当に綺麗だわ。でも、髪型はもっと、やりようがあったと思うの。私ならもっとエレノアを、可愛く出来るのに」


 美意識の高いイザベル先輩は、私が今している新婦用の髪型に不満そう。


 もちろん、長い付き合いのあると言えるほどに、一緒に居た彼女がヘアメイクをしてくれればお高いお金を払って来てくれた人気の髪結師よりも、もっともっと可愛くしてくれるはずだ。


 だって、イザベル先輩は私の好みを一番熟知しているもの。


「あっ……ありがとうっ……ありがとうっ……ありがっ……とうー!」


 もう何だか訳わからなくなって、何度も何度も皆にお礼を言ってまた泣いた。


 嬉し泣きでまた視界はぼやけて、すぐ傍に居たシャーロックが顔を覗き込んだけど私はもう彼がどんな表情をしているかももうわからなくなった。


 シャーロックが重いドレスを着ているはずの私を軽々と抱き上げて、その教会を出るために歩き出した。何故かわからないけど、用意されていた籠の中にあった白い花びらをシャーロックと泣いている私に向かって皆が振り撒いた。


「もうそのまま新婚旅行行ったら、良いのに」


「バカ言うな。旅行から帰ってきたと思ったら、こき使われて……こいつのせいで俺は何連勤だと思ってんだ」


 レオポルトくんとイグナスくんの軽口の掛け合いを聞きつつ、教会の白い扉は大きく開かれた。


 折しも外は土砂降りの大雨。さっきまでの私の心を表すような、そんな雨。ぐずぐずと鼻を鳴らして彼を見上げたら、シャーロックは笑い混じりの声で言った。


「心配そうな顔をしなくて、大丈夫だよ。馬車で来たから。すぐそこにある。イグナスに説明するように言ってあるから。エレノアの手荷物とかは、後でお祖父さんに持って来てもらおう」


「……え? えっと……荷物は……特には、ないんだけど。そう! お祖父様は?」


 まさかのシャーロックが居てあんまり嬉しすぎてすっかり忘れていたけど、お祖父様! こんな時にも薄情な孫で、本当にごめんなさい。お祖父様。


「さっき、すごくびっくりした顔して、後ろの席に居たよ。俺と目を合わせて、笑ってくれた。また、落ち着いたら一緒に挨拶に行こう」


「……うん? 落ち着いたら?」


 私は不思議そうな顔に、なったはずだ。多分。涙でぐちゃぐちゃになってはいるはずだけど、多分。


 シャーロックがきっと待っていた御者に合図をして近づいて来たのか、馬車が近くまでやってきたようだ。その馬車も、何となく庶民が使うように見えないくらいに高級そうだし……。


「うん。前々から目をつけてた家を、昨日即金で買った。まあ、それ以外も色々することあったんだけど……それを用意するのだけは、譲れなくて」


「家を?」


 私は、それを聞いてぽかんとした。


 彼から見ればとっても間抜けな顔になっていると思う。家を買うと簡単に言っても、家を買うって大きな決断だ。大金持ちでなければ、一回か二回買う機会があれば良いくらいの。


「うん。だって、俺とちょっとでも、離れたらこうなるから。もう、どうしようもない仕事以外は出来るだけ、離さなければ良いのかなと思った。エレノアの荷物も、また後で取りに行こう」


 シャーロックは歩き出して、何も言えなくなってしまっている私と一緒にさっと馬車に乗った。


 座席に座り当たり前のように彼の膝の上に載せられた、結婚式用の大仰な白いドレスを着ている私。一時間前までの、私に教えてあげたい。この後、どんでん返しが待ってるよって、自分の未来に絶望して泣いているあの子に。


「あの……シャーロック。ちょっと待って。私、なんかちょっと追いつけない。まだ夢の中に居るみたいで」


 シャーロックは柔らかな白い布で私の涙や鼻水を、優しく拭いてくれた。涙は良いけど拭くくらい出ていた鼻水は、仕方ないけどとっても恥ずかしい。


「待たない。結婚式の予定を、立てよう。もっと早くにそうするべきだった。エレノアは何があっても俺と別れるなんて、言い出すはずがないと思っていた俺の慢心が良くなかった」


 シャーロックはどこか悔やむような響きを持って、そう言った。


 お祖父様のことが絡まなければ、確かに私は大好きなシャーロックと別れようなどとは絶対に思わないはず。彼の言っていることは、間違いなくその通りなんだけど。


「シャーロック。待って。そう言って貰えてすごく嬉しいんだけど、もうこんなことはないと思うから」


 やっと彼の顔をちゃんと見ると、いつものように私の大好きな可愛い顔だ。けれど、その猫を思わせるような灰色の大きな目にある有無を言わせぬ光を見て取り、それに圧倒された私はうっと言葉が詰まった。


「結婚式は……二人で吟味しよう。ドレスもこんなどこにでもあるようなデザインじゃなくて、君に何より似合うものを作りたい。エレノアを、俺がお姫様にするんだ。式に来た誰から見ても、君のことを大事にして最高に愛しているんだとわからせたい。お金のことは、別に気にしなくて良いよ。いずれ団長になれば、目も眩むような俸給を貰うようになる」


 彼はそれを決まったことのように、さらっと言った。けれど、代々なってきた家系だからと言って、その流れで団長になることについては彼は複雑な思いを私の前で何度も口にすることが多かったから。それが当たり前のように、団長になるとあっさりと宣言したことにすごく驚いてしまった。


「シャーロック……団長に、なるの?」


「もちろん。愛するエレノアが、自慢できる男になるから。俺の傍に居て、ずっと応援してて。君が泣いている理由がわからない時は、悲しくて胸が潰れそうだった。もう離れたくない」


 そうして彼は、ゆっくりと私を抱きしめた。彼の想いの詰まった、優しい温かな抱擁だった。


「うん……」


 なんだか、もう胸がいっぱいになってそう言って頷くのが精一杯だった。自慢なら、今からでも世界中の人に満遍なくしたい。


 私の恋人、可愛すぎて。本当に、いつも胸がいたいくらいキュンキュンし過ぎてしんどいんですけど! って。



◇◆◇


「えっと……家、間違ってない?」


 そんな訳はないのはわかりつつ一応、確認した。


 私は馬車が玄関まで寄せて停めてくれたので、屋根のある中でひどい雨からは守られている。


 この前に訪問したシャーロックの実家は、こんな風に言うとなんだかおかしいけれどお金持ちなら庶民が住んでいてもおかしくないようなお邸だった。確かに大きくて歴史を感じさせ、代々銀狼騎士団の騎士団長の家系なら別に住んでもおかしくないかなっていう風情。


 けれど、シャーロックと私が馬車から降りて目の前にしているのは、間違いなく貴族階級が住むような家、ではなくお邸だった。女性らしい曲線を持つ美しい紋様も刻まれた壁もある白いお邸。


「間違えてないよ。ここで合ってるから」


 シャーロックは、小さく苦笑した。立ち尽くした私に入ろうと促すように手を取られ、私は長いドレスの裾の片方を持って彼の後に続いた。彼がゆっくりと開いた扉の向こうには。


「……うわぁっ……」


 思わず、間の抜けた声を出してしまった。


 豪華すぎない照明用の魔法具のシャンデリアはきらめいていて、素敵。内装もいかにも……女の子が好きそうっていうか……私です。私がとっても好きそうな、そんなお邸だった。


「どう? エレノアが好きって言っていた、宿屋っぽい感じかなと思った。前からエレノアが仕事の日の非番に結構な時間を使って探していたけど、あの前から目を付けていたんだ。まだ使用人なんかは、雇い入れをしないといけないけど。昨日買ってすぐに掃除なんかも全部お願いしているから、今から住むのには支障がないはずだよ」


「……すごい」


 人って多分驚き過ぎると、ふわっとした感じの一言しか言えなくなるのかもしれない。細かなことなど言う余裕などもなく、ただただ驚いているだけ。


「……エレノア。このドレスを脱ごう。重そうだし……もう俺たちの部屋も、使えるから」


「え? 昨日買ったのに家具も、もう入ってるの?」


 大きな螺旋階段を登っている途中で先ほどの玄関ホールを思い返せば、確かに家具というか生活をする上で何の支障もなさそうな様子だった。


「うん。前の持ち主は、今の家具はこの邸に合わせて作ったからと、一緒に売ったそうだよ。エレノアが気に入らないなら、また買い直そう」


 廊下の隅に置かれた小さな花瓶台なども、邸の雰囲気などにもしっくりくるような可愛らしいものだった。


「えっと……そのまま、使いたい……もったいないし……」


 そんな話をしつつ、二階の奥にある主寝室らしき部屋へと辿り着く。室内は、予想通りの可愛らしい様子。庶民の私でもわかっていることだけど、主寝室って夫婦が寝る部屋なので、こんな……私の趣味満載みたいなの……大丈夫なんだろうか。


 もうただただ、彼が「私のために」としてくれた事が凄過ぎてなんだか思いに呑まれそうで圧倒される。シャーロックは、呆気に取られている私にまたちいさく苦笑して部屋の中へと導いた。


「さ。ドレス脱ごう? 俺以外の男との結婚式用のドレスなんて、気分悪いし」


 シャーロックがそう呟いた時、すごく驚いた。そんな風に明らかに気分を害した様子を、私に対しては見せることはあまりなかったからだ。それまでどれだけ彼が嫌な気持ちだったのかを、声音だけで察した。


 さっきイグナスくんが言っていたことを思い出す。彼が可愛い顔を見せるのは、ただ一人私の前でだけ。


◇◆◇




 婚約の書類を早く出したいシャーロックが早急に挨拶したいと会いたがっていたお祖父様とのちゃんとした訪問の日は、また明日。


 この前に実家に帰ったら、お祖父様は長年勤めてくれているシェフにシャーロックと私が挨拶に来る時に三人で共にする晩餐のメニューを、どうするべきかと腕を組んでうんうんと悩んでいた。


 感謝や歓迎の気持ちを彼なりに最大限に表したいみたいだけど、おかしいくらい高価な最高級の食材が並んでいるのを見れば驚くだろうと思ってしまった。お祖父様がそうしたいのならお祖父様の好きにすれば、良いことだから止めないけど。


 お祖父様はこの前に思った通り、やっぱり不器用な人みたいで、孫娘のことを何より大事にしていると本人の私にバレてしまってからも、態度や言葉が素っ気なかったりもする。


 けれど、それがお祖父様という人。大人になった私が、理解してあげるべきだった。


 あの後、無理もないけど過保護とも言えるほどに心配性になってしまったシャーロックは、私がずっと憧れだった今の商会で働き続けることを条件付きではあるものの許してくれた。


 仕事帰りに彼が迎えに来れる時は、迎えに来ること。それと、来れない時は御者を雇った馬車を向かわせるので、それに乗って帰ってくること。


 騎士というのは、私が想像するよりもっともっと高給な職業であるようだ。


 なんでも、独身の騎士たちが騎士団独身寮に住んでいるのは、家事などすべて任せられた上で多忙な仕事に集中出来るからというそれだけの理由らしい。ちなみに騎士団寮の料金は格安で、彼らは結婚前の貯金も思う存分出来るそう。道理で世の女性たちが目の色を変えて、彼らを狙っているはず。


 運良く私がシャーロックを射止めることが出来たのは本当に奇跡でしかない。


 私が仕事を終えて商会の入り口を出ると、彼は人待ち顔で少し離れたところに立っていた。


 それを見て、なんだか胸がいっぱいになる。


 声を掛けることを忘れて立ち尽くしてしまった私に、シャーロックはすぐに気がついたようだ。


「……何してるの?」


 彼はこちらにゆっくりと歩み寄ってくれて、仕事場に来る用の荷物を持った。


「ごめん。なんか、シャーロックが私を待ってるのが嬉しくて」


 ただそれだけの事で感動した様子になってしまった私を、シャーロックはちょっと呆れた様子で肩を竦めた。


「いい加減、慣れて。俺のことが好きなのは、よくよくわかっているから」


 それはもう仕方ない。私はずっとずっと出会った時から、彼のことだけ考えてきたと言っても過言ではない。誤解などもなく正しく伝わっているようで、それは何より。


「騎士団長になったら……きっともっと、好きになっちゃう。これ以上好きになったらどうなっちゃうのかな……」


 真面目な顔をして言った私に、彼は苦笑している。


「そうしたら……また褒めてくれる?」


「いくらでも」


 その灰色の瞳を見ればわかるほどに、私を愛している私が大好きな騎士様。


 愛を語っても何をしても、いちいち胸をときめかさないと気がすまないし、顔も表情も言葉選びも何もかも、私好みでもう絶対に離れられない。



Fin

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