20 傍に居て

「……エレノア、本当にすまない。儂が不甲斐ないばかりに、お前に迷惑をかけてしまった」


 王都でも有名な教会にある新婦の控室に、お祖父様の押し殺したつらそうな声が響いた。


 お祖父様は、ずっと私に謝ってばかりだ。憔悴し切っていて、明らかにこのところろくろく眠っていない顔。彼と同じくらいひどい顔をしているはずの当の本人である私より弱っている様子で、こんな時なのに心配になった。


 いつも威厳のある様子のお祖父様からは、想像のつかないひどい様子で……新婦の親族として、きちんとした正装を着用しているというのに、その服さえ何故かボロボロになっているかのようなそんな気さえしてくる。


「……お祖父様……大丈夫? 顔色が……」


 既にドレスを着用してヘアメイクなどもすませていた私は、腕まである白い手袋に包まれた手を彼に伸ばした。


「……こんな時にだが、本当に綺麗だ。エレノア。儂はお前の母の時に、結婚を反対をしなければ娘のこんな姿を見られただろう……いや、また……また後悔するのか……孫のお前を不幸せにしてまで……何をやっているのか、もうわからない」


 悔やむように頭を俯かせ、お祖父様は皺の刻まれた両手で顔を覆った。多くの従業員を抱えている代表で、その家族の生活までを含めると背負っている責任の重さは計り知れない。私を犠牲にしてまでとは言っても、釣り合いが取れるものなんて大抵は選べるものじゃない。


 私は、別に魔物に取って食われて死ぬ訳じゃない。ずっとずっと一緒に居たかった大好きな人と別れて、顔も見たことのない好きじゃない人と結婚するだけ。もし私が貴族の令嬢なら、こんな風な政略婚は当たり前のことだ。惜しむらくは私はただの一般庶民で、今まで何の覚悟も出来てなかったってだけ。


 全ての原因であるブレアさんが用意してくれた白いドレスは、これでもかと豪華なものだった。一応は罪悪感めいたものがあったのか、私にはわからない。特にその事については何も思わなかった。心が痛むことを恐れてか、防衛のためか痺れてしまってもう麻痺をしていた。


 シャーロックと違う人と結婚することになるんだから、心の負担は計り知れなかった。それはもう、自分の中では覚悟出来ていたはずだけど。誰よりも大事な彼と別れた時と同じように、まるでこの身まで二つに切り裂かれそうになる。


 けれど、自分で決めたことだと何回も何回も繰り返し自分に言い聞かせた。


 ここで私が逃げてしまったら、今までの何もかも全てが水の泡になってしまう。


「……お祖父様……私……大丈夫だから……泣かないで」


 こんな時に、悲しみで泣かせたくはなかった。出来たら、喜びで泣いて貰いたかった。


 これまで幾度も気持ちのすれ違いはあろうとも、幼い私をここまで育ててくれたのは他でもないお祖父様だ。彼から向けられていた愛がもう見えてしまった今、もし私がシャーロックと結婚出来ていたなら心からきっと喜んでくれただろうと思う。


 今ではもう、何もかもが幻となってしまったけれど。


 すっかり白くなってしまった頭を俯かせたお祖父様に、声を掛けようとしたその時に扉は叩かれた。


「時間です」


 扉を開けた式場の担当者に短く告げられ、今まで黙って私たち二人のやりとりを見守り、傍に控えていた身支度担当の女性に白いヴェールを前に垂らされた。


 その言葉の通り、時間だった。ブレアさんは本当に周到で、私はとある男性と結婚した後に船に乗り大陸へと移り住むことになる。簡単には決して彼に会えないところへと行ってしまう。


 我慢出来ずに涙は溢れ、美しいレース模様で紗のかかったヴェールの向こう側はより一層見えなくなってしまった。教会の中にも、なぜか申し訳程度の数だけど人は居た。ブレアさんが用意した見張りの人だろうか。こんなに重いドレスを着て、私は何処にも行けないというのに。


 ぐずぐずと鼻を鳴らして、情けないくらいに泣いてしまった。シャーロックに別れを告げて彼が去ってしまったあの時から、私の涙腺はもう働いてない時はないんじゃないかと思うくらいにずーっと働いている。働き過ぎて、労わってあげたい。


 ゆっくりゆっくり歩を進めて、その場所へと辿り着いた。


 私は、隣に居るその人の顔を見なかった。


 シャーロックでなければ、彼でなければ、誰だったとしても意味が無いから。顔も名前も知らない女の子を押し付けられた可哀想なその人は、ゆっくりと私の顔にかかっていたヴェールを上げた。


 私は今泣き腫らしてひどくみっともない顔に、なっているだろう。それでも、良かった。お相手にはとっても悪いことをしているけど。


 目の前に立っていた背の高い彼の顔を見上げたその時に、私は思わず泣いていた涙が引っ込んでしまうくらいに驚いてしまった。


「シャーロック!」


 そこに立っていたのは、昨日別れたばかりの恋人。シャーロックだった。


 なぜか、銀狼騎士団の紺の団服を着用していて正式な剣帯も付けている。目を見開いたままで絶句した私を揶揄うように、彼はにこっと笑った。


「エレノアも、良く知ってると思うんだけど……俺ね。特務機関に、所属している騎士だから。一応本職で、情報を探るのもそれなりに得意なんだ。旅行中ずっと明らかに様子のおかしかった大事な恋人に何があったか調べない訳、ないだろ。あいつに……ブレアから、話は全部聞いた。エレノアが、心配していたことはわかっている。お祖父さんの商会には、もう絶対に手出しはさせない。俺のせいで悲しませてごめん……けれど、諦める前に先に俺に相談して欲しかった……今はいざという時に頼りにならないかもしれないと、思われているかもしれないけど。いつか俺が居れば、俺さえ居れば何があっても大丈夫だとそう思って欲しい」


 そうして、彼は剣を抜いて跪き、私に剣を差し出した。


「我が剣は永遠に、貴女の手に。騎士として、この剣に君を永遠に愛する事を誓う。どうか、この哀れな一人の騎士に君を愛する権利を下さい。この世の誰よりも君のことを、愛しているエレノア。君を悲しませるものは、これからはすべて俺に任せてくれたら良い」


 さっきまで真っ暗闇の中に居るかのように絶望していた私が、今は素敵な騎士様に跪かれている。まるで、一連のことすべてが夢のようだった。


 あまりの事態の急変振りに、頭も心も付いていけなくて勝手に涙が頬を伝う。


「泣かないで。今は抱きしめられない。どうか許すと言って」


 私を安心させるように優しく微笑み、彼は愛を乞うようにねだるようにそう言った。


「……許します」


 やっとのことでそう口にしたら、彼は流れるような見事な手つきで自分の剣を仕舞って、私を胸に抱き寄せた。


「エレノア。大丈夫だよ……もう泣かなくて良い。これからも、君の横には俺がずっと居るから」


 大きな手で背中を摩りながら彼が耳元で言ったので、私は自分がいつの間にかまたボロボロと大粒の涙を溢して泣いていることに気がついた。


「……シャーロックっ……私を、諦めないでくれて……本当にありがとう」


「諦める訳、ないよ。俺のことが、大好きな可愛いエレノア。君だけを愛している。どうか、死ぬまで傍に居てくれ」


 願ってもない、言葉だった。


 シャーロックと最初に出会った時に、自分を奮い立たせて勇気を出して彼に好意を持っていることを伝えられて本当に良かったと思う。


 でなければ、彼からも好意を返して貰えるという奇跡はきっと起きなかった。


 もし、あの時に少しでも「何しても無駄だし、傷つきたくない」だったり「私なんかには、彼は釣り合わない」と、不甲斐ない自分に言い訳をして勝負することすらも逃げてしまっていたら、こうして優しく抱きしめてくれる大きくて温かな腕の中に居ることは叶わなかった。


 彼と一緒に居られることに、感謝する。世界中に、この世にある全てのものに感謝をしたいくらい。


 きっとそこら辺を歩いている人に感謝を述べて「え? 何もしてないけど」と驚かれてしまうかもしれないけど、とにかくそうして回ってもおかしくないくらいに嬉しかった。


 シャーロックと、これからも一緒に居られるならもう何でも良い。

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