17 脅し

 その時に、私からお祖父様の住む家に行ったのは、特に何か予感があったとかそう言ったものではなかった。近いうちにシャーロックと一緒に訪問したいというこちらの希望を伝えようと思っただけだ。手紙なら見る前に捨てられてしまうかもしれないから、向かい合って口頭で説明しようと思っただけ。


 まさかのその人がお祖父様を訪ねて来た時と重なったのは、ただの偶然だった。


 帰宅してすぐに顔見知りの使用人が、二人駆け寄って来た。


「エレノアお嬢様……今、旦那さまの元に、お客様がいらっしゃってて……」


「今は……お会いになるのは、やめておいた方が良いかもしれません」


 お仕着せを着ている初老の女性二人はお互いの顔を見合わせて、困惑顔だ。彼女たちはこの邸で働いている期間も長く、私が子どもの頃からここで働いてくれていて気心も知れていた。


 だから、なんとなく悟った。今来ている客人が、いつものような商談相手などの普通の客人ではないことに。


「……お祖父様は、今どこに?」


 私は不穏な空気に眉を顰めつつ、そう言った。


 この家を既に勘当同然に出てしまい、ある商会に雇われている一従業員の出来ることなどたかが知れている。だけど、お祖父様は今私の唯一の身内なのだ。彼から「お前など、出ていけ」と言われていても、それでも。


「それが……応接室に入られてから、旦那さまの怒鳴り声が聞こえて……いつもなら考えられないことです」


「お祖父様が……?」


 お祖父様は、自分の名前を冠する商会の代表だ。どんな事を言われても、長年商人をやっている者なら流してやり過ごす。


 そうそうのことを言われたからと言って、怒りに我を忘れて誰かを大声で怒鳴ったりすることなど考えられなかった。もちろん、私は身内なので別枠だ。


「ええ。先ほど見えられたのは若い女性と、お付きの男性の二人でした。応接室に入って間もない時から、大きな声が聞こえて」


 それを聞いて、胸騒ぎを覚えた私は応接室へと走った。この家は頑丈な作りで、商談にも利用するために部屋の中の音が漏れ聞こえて来ることもない。けれど、お祖父様の激昂を表すように大きな怒鳴り声は聞こえてきた。


「……いくら脅されても、儂はエレノアにそんな事を無理強いをしたりなどしない! 早く帰ってくれ!」


 無理強い? しかもかなり不穏な言葉も続いていた。私の名前が聞こえたので、躊躇いつつも大きな扉を開く。そして、そこに居た人に驚き目を見開いた。


「ブレア……さん……?」


「あら。ご機嫌よう。エレノアさん」


 久しぶりに見たお祖父様は、ソファから立ち上がり彼女を睨みつけていた。いかにも良いところのお嬢様な格好をしている彼女はゆったりと向かいに座り、その前には警護の人間と思しき屈強な男性が無表情なままで立っていた。


「ちょうど良いところにご本人が来てくれたので、率直に言うわ。シャーロックと、別れて欲しいの。そして、もう二度と彼の前に現れないように、ある男性と結婚して貰いたいのよ。大事なお祖父様の商会を、潰されたくはないでしょ?」


「ふざけるな! 孫には、絶対にそんなことはさせられない。潰すなら、潰せば良い。どうせ遺す者も居ない」


 お祖父様は、ブレアさんの脅しに対し毅然とした表情でそう言い放った。


 彼は遺す者は居ないと……そう言った。一人娘のお母様はもう居ないし、家を出た孫の私も今付き合っている騎士のシャーロックと結婚してしまえば商会の代表をすることなどは出来ないだろう。


 けれど……お祖父様が、どれだけあの商会や従業員、そして関係している全てを大事にしていたか、長い間傍に居た私は誰よりも知っていた。


 ブレアさんの背後には長年この王都で商売をしてある程度の地位もあるお祖父様にも逆らえない、誰かがきっと居るのだ。


 でなければ、きっとこの話は一笑に付してそれで終わりだ。厳しい表情をしたお祖父様から伝わって来る、ピリピリとした緊張感。張り詰めた空気、ブレアさんの余裕の表情。今ここにあるすべて、何もかもが彼女の言っていることが冗談ではないと語っていた。


 私はお祖父様に嫌われているのだと先ほどの彼の言葉を聞くまで、ずっと思っていた。


 けれど、お祖父様は早くに妻を亡くし遺された一人娘も喪い、そして孫娘の私は自分の意志に逆らった。本当に、辛かっただろうと思う。


 けれど、そんな辛い過去を持っている人に対し、誰よりもわかってあげなければいけなかった私は、何をした? 何年も「あの人には、話が通じない」と自分勝手に判断して、一人孤独にしていた。


 もしかしたら、今までずっとすごく不器用だっただけで、私の事を大事に思ったからだからこそ……幼かった私に対し厳しい言葉も掛けたのかもしれない。


 私だって、もう成人した大人だ。ある程度の事は、わかっている。


 ただ優しく真綿に包むような甘やかす愛情だけが、愛と呼べるものではないともう知っている。長い間礼儀作法なども厳しく躾けられ高い教育を与えられたことは、成人し厳しい社会に出た私の為になっていることはもう身に染みてわかっている。


 今、お祖父様は自分の持っている全てを投げ出してまで、私の幸せを守ろうとしてくれている。彼は、きっとずっと恩知らずの孫を世界で一番に愛してくれていた。


「……わかりました」


 私が静かに頷いたのを見て、お祖父様は目を見開き、ブレアさんは満足そうに微笑んだ。


「エレノア! こんな女の言うことなど、聞く必要がない! 商会のことはどうにかなるから……」


「どうにもならないでしょう。うちのお父様のランプリング商会から取引を打ち切られれば、お宅は終わり。孫娘さんご本人は、お話が早くて何よりだわ。もちろんわかっていると思うけど、シャーロック自身にこの話が伝わったら、同じことよ」


 お祖父様は心底悔しそうな顔をして、両手を握り締めていた。自分の大事なものを盾に取られて、愛する者の幸せを失う結果になるなんて、さぞ無念だと思う。


 シャーロックは、自分を選ばなかった私を許さないだろうか。自然に頬に涙が伝い、それを見たお祖父様は私に歩み寄り肩を抱いた。


 私は自分にとって大事な彼ら二人を天秤にかけて、選んだ訳じゃない。不器用で孤独だったお祖父様から、生き甲斐となる商会を自分のせいで取り上げたくはなかった。


 これは、裏切りになるんだろうか。あんなに、純粋に私の事をただ愛してくれる人を、捨てる決断をしたことは。


 どうか、意気地なしの私を許さないで。


 ブレアさんには「要求を呑むけれど前々から約束している旅行があって、彼と別れるのは、それまでは待って欲しい」とそれだけをお願いした。彼女はそれを聞き見て取れるほどに不機嫌な表情にはなったものの「旅行から帰って、すぐに他の男性との結婚式をするなら良いわ」と伝えた。


 私はそれに頷き、それを無言で見ていたお祖父様は、ブレアさんが去ってしまってから、大きな声をあげ床に手をついて嘆くようにして泣いた。私は彼が泣いているのを、生まれて初めて見た。


 もう何も言えなくて、使用人たちにお祖父様の事をくれぐれもよろしくと言い残してから、そのままふらふらと歩いて帰宅した。

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