14 優勝
シャーロックが最後の一振りをした時、首元ギリギリにまで寄せられた剣に自分の負けを悟った決勝の対戦相手は降参のポーズ。
その瞬間、闘技場全体が一斉に湧き上がった。
「新人戦、優勝者。シャーロック・グリフィス!」
審判が高らかに名前を呼んだので、彼は騎士らしく対戦相手に丁寧に礼をしてから、用意されていたお立ち台へと上がった。
そして、決勝戦の開始時にイグナスくんに呼ばれて、闘技場一階にまで降りていた私は、いきなり控えめな白い花で出来た花冠を持たされて背中を押された。
「ほらほら! 早く持って行って! あいつ喜ぶから!」
その言葉にも背中を押されるように、さっきまで新人騎士たちが鎬を削っていた舞台へと小走りで出た。生まれて初めてと言えるくらいの多くの観客の視線を向けられて、私は慌てて先ほどの戦いの勝者であるシャーロックの元へと走った。
「エレノア!」
彼の頭に勝利の証である花冠を載せると、シャーロックは喜び一杯な笑顔で微笑み、私を抱きしめたのでさっきイグナスくんから説明されていた手順通り頬にキスをした。
そうして、より歓声が大きくなり、観客たちは湧いた。その時に、本当に本当に偶然で。誰かがわざと仕掛けた悪戯のような、そんな感覚で。
私は客席の最前列に居たブレアさんと、目が合った。無表情の中の黒く昏い目。それを、見たのは一瞬だけのはずだ。シャーロックがそのまま、私を抱き上げたから。
それなのに。ただあの一瞬だっただけなのに、彼女の黒い目が脳裏に焼き付いて、その時からずっと離れなかった。
◇◆◇
「優勝、おめでとう。シャーロック。良くやった」
私たちが客席の下にある屋内に入ると、シャーロックの上司である黒髪のアーネストさんが待っていた。見事、新人戦を優勝した彼を労ってくれた。
周囲を見ると彼を取り巻くように何人かが一緒にこちらに目を向けているので、きっと職場の先輩なのかもしれない。
「ありがとうございます」
「決勝戦で我らが特務機関に負けたとなれば……特攻部隊は当分は定時には、帰れないだろうな。何だか、胸が痛むよ。この前は挨拶しただけだったが、彼女は?」
アーネストさんが私を紹介するように促したので、シャーロックは微笑みつつ簡潔に答えた。
「恋人のエレノアです。すぐに結婚します」
それを聞いて、自分の部下の優勝に機嫌良く微笑んでいたアーネストさんが何秒間かこの事態にどう対応するかを考えたのが、近くに居た私にもわかった。
黙ったまま、赤くなりつつ頭を下げるしかない。この人。今、物凄く浮かれていて、本当にすみません。
「エレノアさん……めんどくさい男ですが、よろしくお願いします。それで、結婚式はいつ予定しているんだ?」
アーネストさんは、とりあえずさっきのシャーロックの言葉の真意を確認することにしたのかもしれない。確かに年若い部下を諌めるにしても、何かと材料が足りな過ぎる。
「総長。普通だと、付き合い始めてから、どのくらいの期間をかけたら結婚しても良いんですか。俺は、いつでも構わないですし。状況が許せば、すぐにでもしたいです」
前に付き合い始めた時には「ちょっとだけ待ってほしい」と言っていた。あれから時間も経って、私たちの関係も安定して来たせいもあるのかもしれない。さっき優勝して感情が高まり過ぎたせいか、いつもは冷静な彼とは思えぬ言いようだった。
それを聞いたアーネストさんは、呆れたように小さくため息をついてから優しく笑った。
「お前は、若過ぎる。本当に、我慢が利かない……彼女の希望が一番大事だ。それを最優先にね。今夜の打ち上げには、優勝者の参加は絶対だ。彼女も同伴するなら、それなりの準備をしておきなさい」
アーネストさんは、シャーロックの先輩らしい何人かの部下を引き連れて去って行った。
私たち二人に意味ありげに視線を向ける人も、シャーロックを軽く小突いて来た人もいるし、その様子を見る限り新人の彼は上手く今居る職場に馴染んでいるようだった。
「……打ち上げって?」
聞き慣れない単語を聞いて、彼に目を向けるとシャーロックは微笑んだ。
「そうだ……俺ね。引かないで欲しいんだけど、優勝するの前提でいろいろ用意していたんだ……こっち! 来てくれる?」
シャーロックは私の手を引いたまま次の競技が始まって熱狂している闘技場を出て、すぐそこにある屯所へと入り迷路のような廊下を抜け、前に二人で人には言えない事をした見覚えのある部屋に辿り着いた。
「わ」
扉を開けて、部屋に入った途端。口をぽかんとさせて、言葉をなくしてしまった。
壁に汚れないように注意深く掛けられていたのは品の良い銀色の生地の、可愛らしいドレス。
私は個人的にはフリルとかリボンとか大好きではあるんだけど、流石に成人しているし年齢的に避けていたところもあった。けれど、白黒のストライプの小さなリボンとおそらく値が張るであろう精緻なレースがふんだんに使われて、いわゆる大人可愛いデザインのドレスだった。
「前に、俺の色のドレスを、買ってあげるって約束したよね? サイズは、エレノアが寝てる間に測ったんだ。内緒で作りたかったんだけど身体中測るとこ多すぎて、途中で起きないかヒヤヒヤした。けどエレノアって、本当に何しても起きないから」
明らかにシャーロックが私のために用意したであろうオーダーメイドのドレスなら、確かに寸法を測っていないとおかしいとは思った。寝ている間に測ったって……いつだろう。抱き潰されて朝まで気絶するように眠った夜が多すぎて、見当もつかない。
「……何してもって、他に何したの……?」
「内緒。着てみる?」
胡乱げに上目遣いで彼を見た私の質問に対し、さらっと話を変えたのには、気がついた。けれど、シャーロックが「エレノアには、言わない」と決めたのなら、多分言わないと思う。もう、追求しても時間の無駄になりそうだし、仕方ない。
「着てみたいけど、こういうのって専用の下着とか……」
いかにもな夜会用のイブニングドレスなので、庶民の私はあまり知識はないんだけど。それでも、コルセットは絶対必須だと思う。でないと、ウエストの部分のくびれはおかしいし。
「もちろん。用意してる」
「……こういうドレスって、髪型とかメイクも普段のものではダメなんだけど」
「メイク道具なんかも、一式用意したんだ。後で来てくれるイザベルさんは、そういうの得意だって言ってたよ」
にこにことして語る抜け目のないシャーロックには、こういった事前準備はすべて抜かりないようだった。
「なんで、剣術大会の打ち上げの話、早目にしてくれなかったの?」
もうそれ以外に何も言うべきことが見当たらないのでそう聞くと、身長差のある彼は私を見下ろしつつ少しだけ恥ずかしそうにした。
「……絶対に、優勝したいとは思っていたけど……万が一負けたら、とは思った。エレノアにガッカリされたくないから」
胸がきゅんきゅんして、止まらない。
何もかも完璧で、その上で私にだけ弱い部分も見せてくれる騎士様なんて、きっと世界中探してもシャーロックしかいないと思う。
「もし優勝したら、お願い聞いて欲しいって言ってたよね……?」
「あーっ……うん。旅行行きたい。何日間か。仕事もそれに合わせて一緒に休んで貰って良い?」
「うん? けど、それなら、普通に言ってくれたら良かったのに」
私は彼にそう相談されたのなら、特に何も思わずに頷いていたはずだと、不思議に思った。
シャーロックは目を細めつつ、私を優しく抱きしめた。
「それが、俺にとっては何よりのご褒美になるんだ。エレノア本人にわからないかもしれないけど。何かを頑張ろうと思える、そんな励みになるんだよ」
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