12 黒狼
「ん? あいつ、起きたのか……じゃあ俺、屯所に戻るわ。もし何か困った事があったら管理人に言って、俺を呼んで欲しいと言ってくれたらすぐに来るよ。イグナスは、今日は帰って来ないから。後、さっき聞かれたことは思い出したらまた連絡する」
そう言って片目を瞑ったレオポルトくんは軽く手を振って、扉を閉めて去って行った。
私は慌てて、シャーロックの眠っていたベッドへと戻る。彼は上半身を起こし片膝を立て、いかにも気だるそうな様子で座っていた。何故かちょっとだけ、拗ねた顔をしている。
「シャーロック。気分どう? ごめんね、起こしちゃった?」
起きたばかりだと飲み物が飲みたいかもしれないと思った私は、コップ片手に歩み寄ったんだけど、シャーロックはサッとそれを受け取ってベッドサイドにそれを置くと私の腕を引っ張りぎゅっと抱きしめた。昨夜から高い熱があったという彼からは汗をかいていたせいか、いつもより濃い匂いがする。
「……さっきの、レオポルト? 何話していたの?」
間近にある可愛い顔が不満げな理由はそれかとふふっと私が微笑むと、それを見た彼も何もあるはずもないと気を取り直したのか笑みを返す。
「レオポルトくんはシャーロックが一人で寝てないかと心配して、見に来てくれたの。私が来ていたから安心して帰って行ったよ」
「あ。そうなんだ……イグナスは仕事か……」
病み上がりのせいか、頭の中がぼーっとしているのかもしれない。いつもしっかりをした光を放つ灰色の大きな猫目が、とろんとしていて可愛い。抱きついたまま、シャーロックの背中をポンポンと安心させるように叩くと、彼は少しだけ恥ずかしそうな表情になった。
「ごめん。起きたらすぐに、エレノアの声がして……誰かと話していたから。俺、なんか心狭い? やり過ぎだったら、ごめん」
私が一度離れようとした意志を感じ取ったのか、しっかりと回されていた腕が緩む。
彼のような大好きな彼氏にヤキモチを妬かれるのは、私としては大歓迎なことではあるんだけど、前にルイーズからそういう行動は自分でも気づかぬ間にエスカレートすることが多いと聞いたので、今は釘を刺して置くこととする。
「本当、やり過ぎだよ。心配して来てくれた、レオポルトくんと話してただけだよ?」
鼻の頭をツンと人差し指で押すと、彼は一瞬恥ずかしそうにして片手で口を覆った。
「やば……なんか、そういうのはエレノア本人から、言って貰わないとわからない。俺、おかしいのか。初めての彼女は、やばい」
と言って、頭を抱えたので苦笑した私はさっき作っていた病人食をよそうために台所へと移動する。
その時に、またノックの音が聞こえた。
「……はい?」
さっき来ていたレオポルトくんが、何か言い忘れたことでもあったのかもしれないと思って何気なく扉を開けると、サラッとした黒髪と青い目を持つ背の高い騎士様がそこに居た。
私は思わず、完全に予想外の人物の登場にぽかんと口を開けた。
この彼のことは、王都に居る若い女の子ならきっと誰もが知っている。銀狼騎士団所属の有名騎士の一人。疾風の黒狼、アーネスト・キングスコート。爽やかで優しそうな端正な顔立ちを持つ、絵に描いたような美青年だ。
「失礼……可愛いお嬢さん。僕はこの部屋に住むシャーロック・グリフィスの上司です。昨晩から熱が高いと聞いたのですが。彼の様子は、どうですか?」
首を傾げてそう聞かれても、今まで絵姿でしか見たことのない私は思わず息を呑んでしまった。現実に見た有名騎士様の衝撃は、すごい。
特上の容姿を持つ彼にとってみたら、私のような女性に見惚れられるのはいつものことのようで、言葉をなくしてしまっても特に気にもせずに慣れた様子で待っていた。待たれていた私の方はいうと最初の驚きから立ち直り、彼から言われた言葉の意味を理解するまで結構な時間を要してしまった。
「……っ……すみません。シャーロックは、さっき起きたばっかりで……熱はかなり下がったみたいです。お話ししますか?」
そう言ってギクシャクしつつ、部屋へ入って欲しいと促すとシャーロックの上司アーネストさんは優しく笑った。優雅な様子で部屋へと入り、後ろ手に扉を閉めた。
「それでは、お言葉に甘えてお話しさせて貰います……君はシャーロックの恋人ですよね? 確か、この前サリューに出張に行きました?」
「いっ……行きましたっ」
顔を赤くして私が何度も大きく頷くと、アーネストさんはその様子を見て微笑ましそうに青い目を細めた。
「あの時に他の騎士と仕事を交替させて欲しいとゴネたので、僕がとんでもない条件を出したのに易々とクリアされて驚きました。成程。こんなに可愛い彼女のためなら、あいつの必死具合も納得出来ますね」
「特務総長!」
ベッドから立ち上がっていたシャーロックは大きな声を出して、上司である彼を呼んだ。特務機関の長って特務総長なのねと、なんだか妙なことで納得したりもした。
「やあ、シャーロック。僕が思ったより、元気そうだ。けれど、後二日は休むように。いくら剣術大会で優勝したいからと言って、最近無理し過ぎだよ」
聞き分けのない子どもを諭すようにアーネストさんがそう言ったので、シャーロックは俯きつつ彼に謝った。
「ご迷惑をおかけして、すみません」
「別に構わないよ。まだ加減を知らない新人には、良くあることだ。とにかく、後二日は休むように。言いつけを守らずに出てきたら、わかっているね?」
爽やかな笑顔でアーネストさんは笑ったのに、対するシャーロックは何故かビクッとした様子だった。そんな怯えるかのような様子を見せる彼を見たのは初めてだったので、私は双方を交互に見てしまう。さっきの会話で何か怯えるとこ、あったっけ?
「ああ……連絡事項とお説教も済んだので、それでは僕はこの辺で。伏せっているところに悪かったね。そこの可愛いお嬢さん。ダメな時はダメと言わないと駄犬は調子に乗りますので、最初が肝心ですよ。躾は自己責任できちんとしてください」
アーネストさんは、彼らの会話について行けず不思議そうな顔をしている私に笑うと呆気なく去って行ってしまった。
「……あの人。ああ見えて、腹黒アーネストって銀狼騎士団では呼ばれているんだよ」
私が何気なくアーネストさんの後ろ姿を追って、扉が閉まってしまうまで見惚れてしまっていたせいか。レオポルトくんが来ていたさっきまでが比ではない程にシャーロックは拗ねた顔だ。
「へー……あんなに裏のない爽やか王子様って、外見なのに変な感じだね。ちょっと待ってて。お腹すいたよね? すぐに用意するね」
お皿によそおうと鍋にまで近づくと、シャーロックは後ろからおたまを取ったばかりの私を抱きしめて囁いた。耳元で熱い息がかかって、胸がうるさい。
「あの人、黒い髪だっただろう? だから、黒狼って二つ名なんだけど……俺も本気出して、銀狼になろうかな。そうすれば、俺も有名騎士の仲間入りだ」
「……有名になりたいの?」
すぐ左にあるシャーロックの顔に向いた私が不思議に思ってそう聞くと、彼は渋い顔になった。
「そういう訳じゃないけど……そうしたら、エレノアは俺一人しか見なくなるかなと思った」
「……確かに、素敵だなと思ったけど。シャーロックの上司なんでしょ? こんなに近くに居るのに、露骨に見ないようにするのも失礼じゃない?」
私の言っている事が正論だと思ったのか、シャーロックはますます拗ねた顔になった。可愛い。
「早く一緒に住みたいな……ね。お祖父さんには、まだ紹介して貰えないの?」
それを聞いて、胸がツキンと痛んだ。
誰が見ても明らかな程にシャーロックにこんなに大事にして貰っているというのに、まだ彼を信じきれていない気持ちが心のどこかにあると気がつかされたから。
「……その内ね。とりあえず、ご飯食べよう? お薬は食後って書いてたから。ちゃんと書いててくれたんだよ。イグナスくんって、仕事出来るよね」
無理して微笑んだ私に話を変えられた事に気がついたはずなのに。複雑な顔をしたシャーロックは、それ以上何も言わなかった。
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