11 看病

 私がその知らせを聞いたのは、休日の朝。


 同じ集合住宅に住む同僚のルイーズの彼氏、イグナスくんが突然部屋を訪ねて来たからだ。


「……え? シャーロックが風邪?」


「うん。俺、あいつと同室なんだけど。昨日から、突然体調崩したんだ。俺も看病はしていたんだけど、熱はまださがりきっていなくて。俺は今から出張ある仕事だし。あいつの上司からは、三日は休ませろって言われてるんだけど……今日と明日の週末の二日間、もし良かったら、一緒についててやってくれない?」


 すまなそうな表情をしたイグナスくんに、両手を合わせてお願いされるまでもなく。彼氏のシャーロックが病気だと言うのなら。


 私の答えはもう、ひとつしかない。



◇◆◇



 庶民の感覚からすると、かなり豪華な建物の騎士団寮のシャーロックが居る部屋までイグナスくんは私を案内してくれた。時計を確認した後、彼は「遅刻する!」と言って廊下を走って行った。


 慌てぶりが可愛くて、去っていく後ろ姿を見つつ思わず笑ってしまった。彼と付き合っているルイーズにはこういうところも、堪らないのかもしれない。


 初対面の時は真面目でしっかり者な人だと思っていたのに、本当に人ってよくよく知り合ってみないとどんな人なのかわからない。


 そんな彼から念のためにと部屋の合い鍵も貰っているから、私が帰る時にシャーロックが寝ていたら管理人室に預けて帰ってくれて良いとの事だった。家にあった看病に役立ちそうな物を詰め込んだ鞄を片手に、眠っている彼を起こさないようにと灯りをつけていないままの薄暗い部屋へと入る。


 思っていたより大きなその部屋の作り自体はとてもシンプルで、左右対称にベッドや棚が置かれている。そして奥には、大きな窓があった。


 いかにもな、新人騎士の二人部屋。


 右にあるベッドの、紺色の上掛けの中はこんもりとしていて誰かが横になっているのがわかる。


 すうすうとした、規則正しい寝息が聞こえる。


 イグナスくんの話によると、シャーロックは昨夜から「調子が悪い」と言い始め、高熱を出し寝込んでしまった。


 心配したイグナスくんが呼んだ騎士団専属の医師などに見てもらった結果。季節の変わり目ということもあり、風邪をひいたんじゃないかという見立てだったらしい。


 薬はもう既に用意されていて、言われた通りベッド側に置いてあった。イグナスくんは見た目の通り仕事は出来る男らしく、きちんといつ飲むかなどの注意書きなども添えてある。


 昨夜はかなり高熱をだしていた様子だったと聞いたけど、今は大分楽になっているのかシャーロックの無防備な可愛い寝顔を見ると、胸がきゅうっと締め付けられるようになった。


 彼に恋し過ぎて、喉の奥が苦しい。


 ちなみにこの前に付き合いだしてから結構な数の夜を彼と過ごしているはずの私が、シャーロックの寝顔を見るのは実はこれが初めて。何故かというと、散々いやらしいことをされて喘がされ抱き潰された私が目を覚ますと、いつも彼が私の寝顔を見て楽しんでいるから。


 睡眠時間は絶対に彼の方が短いはずなのに、とても満足そう。


 私は机の上に看病に必要と思われるものを広げ終えると、シャーロックの寝ているベッドの下側に腰を下ろした。


 落ち着いて部屋の様子を見回すと団服も紺色なせいもあるのか、彼の部屋のカーテンや上掛けなどは紺色で統一され壁は白色だ。銀狼騎士団は紺と白の清廉なイメージがあって、なんだかお洒落な印象。


 私は彼と付き合い始めてから今が信じられないくらいに幸せ過ぎて、それがいつか壊れてしまうのが怖くて。いっそもう壊してしまいたいという、良くわからない本末転倒な気持ちになることがあった。絶対にしないけど。


 シャーロックは、私の理想に描いていた完璧な彼氏だ。そして、彼の気持ちさえ変わらなければ、近い将来に私の旦那さんになってくれるだろう。


 今の関係が、壊れてしまうのではないかと……何もないのに恐れている。論理的に考えれば、それはとても意味のないことだ。でも、人間は無駄なものを全部省いて生きられるような器用な生き物ではない。


 恋はとても素晴らしいものだと、人は言う。けれど、それを失った時の痛みを私は、まだ知らない。




◇◆◇



 寝ているシャーロックを起こさないように、備え付きの簡易な台所で病人食を作っていると遠慮がちに扉を叩く音が聞こえた。


「……はい」


 扉を開けつつ返事をする。そこには、イザベル先輩と付き合っているレオポルトくんが居た。相変わらず、一見真面目そうな外見をしている。彼と話したことのある私は中身はそうではないとわかってはいるけど。


「あ。エレノアさん! 来てたんだー。朝イグナスとエレノアさんを呼ぶべきか相談はしてたんだけど。せっかくの週末だし、もしかしたら予定があるのかもしれないと思っていた。様子どう?」


「うん。私が来た朝からずっと眠ったままなの。熱はだいぶ下がって来ているみたい。薬のおかげかな」


 仕事の合間に様子を見に来たらしい団服姿のレオポルトくんに微笑むと、部屋に入るように促した。彼はにこっと笑って首を振り、唇に人差し指を当てる。


「あ、良いよ。寝ているのを起こすと、いけないから。もし一人で寝ているんだったら、何か要るものがあればと思っただけなんだ。俺も昼休憩で出てきただけだから、すぐに帰るよ……あいつ、いつも、エレノアさんエレノアさんうるさくて。比喩じゃなくて、本当にエレノアさんの話しかしないんだけど……なんか、迷惑かけてない?」


「う、ううん! 全然! ……そうなんだ」


 彼の同僚から思わぬいつものシャーロックの様子が聞けて嬉しくなった私が微笑むと、彼はニヤッと悪い笑みを浮かべた。


「合コンの時に、俺が童貞なのバラしたのは後で結構な仕返しをされた……あいつ。可愛い顔して、黒い裏の顔があるから気をつけてね。まあ、大好きなエレノアさんには、絶対見せないかな。そういう部分は」


「……裏?」


 不思議に思って首を傾げると、レオポルトくんは肩を竦めた。


「そ。特務機関所属なんて、人を騙すのが前提の仕事だからね。そういった適性があると認められて、シャーロックはあの部署に配属されたんだよ。それって新人で一年目にしては、異例なんだよ。それだけ、あいつは優秀で出来る男だということだから。あの時に言ったみたいに、首に縄でもつけとくと良いよ。団長にも、いずれなるだろうし」


「人を……騙す……」


 完璧な彼氏でいつも可愛いシャーロックに似つかわしくない言葉に思えた私は、驚いてなんとも言えない気持ちになった。


 私が複雑な顔になったのを見て、今のは失言だったと思ったのかレオポルトくんは慌てた様子で言った。


「あ。変な誤解させたらごめん……あくまで仕事でだよ。敵の情報を得るために、諜報活動もするからね。口も上手くて、頭が回らないと務まらない。でも、大丈夫だよ。絶対エレノアさんの事を騙したりなんて、しないから」


 確かに出張時に一緒に乗った船の中でも、シャーロックはある人物を監視していた。普段の彼とは全然違う変装したり、印象を変えるために小道具を使ったり……そういったお仕事をしているのは、わかってはいたものの、シャーロックが私に見せている顔しか私にはわからないから。


「あ。あのね。レオポルトくん、もう少しで剣術大会なんだよね?」


 話を変えるように私がそう言うと、レオポルトくんは目に見えてほっとした表情になった。


「うん。来週末だね。それが、どうしたの?」


「シャーロックからもし新人戦を優勝したら、お願い聞いて欲しいって言われてるんだけど……私でも何か、用意しておきたくて」


「あいつに、お祝いのプレゼント? そうだなー。そういえば、この前になんか欲しいって言ってたな……」


 レオポルトくんが悩んだ顔をしたその時、部屋の奥から低い声がした。


「……エレノア、居るの?」

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