10 おねだり

「……剣術大会?」


 二人と別れたあの後に評判の良いレストランに入り、注文を済ませ料理を待っている間に聞き慣れない単語を聞いたのでそれを繰り返すとシャーロックは大きく頷いた。


「そう。銀狼騎士団の毎年恒例で、この時期に開かれるんだ。俺は今年入ったばかりの新人だから、今回は新人戦に出ることになるんだけど……国内でも有名な騎士たちも出てくる、模範戦もあるから。もちろん、国民に大人気のうちの団長も出て来るよ」


 彼がそれを言い終わったその瞬間に、熱々の料理が店員さんによって運ばれて来たので、二人してしばしそれを見守った。


 店員さんがお辞儀して去ったタイミングで、私はフォークを手にしたシャーロックに言った。


「……えっと……それって、レジナルド王弟殿下だよね。あの人が出て来ると聞けば、大変なことになっちゃうんじゃない?」


 我が国の王の四番目の末弟、レジナルド・リオノウンズ王弟殿下は彼の所属する銀狼騎士団の団長だ。美々しく整った顔や華麗な容姿ももちろん有名なんだけど、戦闘時の指揮においては生ける伝説と言われる程に数多くの逸話を持つ最凶の茶狼。


 女性のみならず男性にも大人気の王弟殿下がそこに出て来るとしたら、その場所に沢山の人が殺到するのは目に見えていた。


「……いや。大丈夫だよ。うちの剣術大会は、一般公開はしないから。あくまで所属している騎士の身内か知り合いしか、観覧には来れない……エレノアも、見に来てくれる?」


「うん! 行きたい。シャーロックの格好良いとこ……観たいな。楽しみ」


 自分もテーブルの上に用意されていたフォークを手に取り、ふふっとはにかんだ私に彼は慎重な口調で言葉を重ねた。


「エレノア……あの、お願いがあるんだけど」


「……ん? 何?」


「もし……もしだよ。俺が剣術大会の新人戦で優勝出来たら、お願いを聞いて欲しいんだけど……」


 シャーロックの灰色の目は、とても真剣だった。そのお願いがなんであれ、今すぐにでも叶えてあげたい気持ちになる……けれど。彼が優勝したいと頑張るためのご褒美となるのなら、それで良いかもしれない。


「もちろん。良いよ。いつ、開催なの?」


 私が大きく頷くと、彼は料理に口をつけつつ嬉しそうに笑った。


「約束だよ。開催は、二週間後の週末……あーっ……でも、その前に一回騎士団に来る? 闘技場の場所を、案内しときたいんだ。俺も、当日はずっと一緒には居られないし……それにもちろん男ばっかりだから、もし迷ったら危険だし」



◇◆◇



 銀狼騎士団の屯所はイルドギァの王都では、有名。


 もちろん、彼らがイルドギァ国内でも精鋭揃いと言われているのもあるけれど、白く四角い建物は独特の佇まいで目立ちとても珍しいというのもあるかもしれない。


 王都生まれの私もこんなに近くに来るのは初めてなので、一種異様とも思える巨大な屯所を目の前にして溜め息をつき、それを見上げた。


「エレノア!」


 待ち合わせしていたシャーロックはちょっと早めに到着していた私に、手を上げた合図した。


「シャーロック! お疲れ様。銀狼騎士団の屯所、こんなに近くまで来たのは初めてだけど。本当に大きいね」


 屯所の大きな門に入りつつ、きょろきょろと見回すと彼と同じ銀狼騎士団の騎士服を着た人が当たり前なんだけどたくさん居る。


「……所属している騎士の数は、それほど多くないんだけどね。色々あって。これ、何? 俺が持とうか?」


 シャーロックは私の持ってきた肩掛け鞄に目をつけて、手を差し出した。騎士らしい、紳士的な気遣い。そもそもの彼の性格が優しくて気遣い上手なのも、あるのかも。


 私はそれを手渡しながら、はにかみつつ微笑んだ。


「うん。あのお弁当、作ってきたの。いつも騎士団の食堂で食べてるって言ってたでしょう? この後も仕事って言ってたし……良かったら……」


「え? 俺に……作って来てくれたの? ありがとう」


 鞄を受け取りつつシャーロックは立ち止まり、感極まったようにそう言った。その灰色の大きな目が潤んでいるようにも思えて、私は吹き出した。


「ふふっ。おおげさじゃない? お弁当作って来ただけだよ」


「そりゃ、エレノアにとったら、それはなんでもない事なのかもしれないけど……俺にとっては、それは本当に最高に嬉しいことなんだよ。彼女からの初めてのお弁当……おかずは何入ってるの?」


 そう聞いて本当に嬉しそうな様子で顔を綻ばせた背の高い彼を見上げつつ、説明した。


「えっと、ハンバーグと卵焼きと野菜炒めくらい……恥ずかしいんだけど、私……料理あんまり上手じゃないんだ。だから、シャーロックと結婚する前には料理教室に通いたいなって思ってて……」


「あーっ……いや、エレノアの気持ちは嬉しいんだけど……銀狼騎士団所属の騎士って、結構な額の俸給は貰えるから。俺が平のままだとしてもキッチンメイドを、雇うことも出来るとは思うよ。エレノアがしたいということは……もちろん何でも、させてあげたいけど……」


 困った顔をしたシャーロックは言葉を選ぶように、そう言った。


 そうか。彼のグリフィス家が騎士団長の家系であるということは、彼だってまた騎士団長の息子。それなりに、裕福な生活をしていたという事になる。そのことに思い至らず、思わず顔を赤くした。


「……あ。そうだよね……シャーロックと結婚するなら、グリフィス家に嫁ぐことになるもんね。なんだか、想像つかなくて……」


 私のお祖父さまは商会長もしているくらいだから、裕福だ。幼い頃から育った環境でも、確かに食事などは専属のシェフが居て作ってくれていた。


 ただ、私が思い浮かべる「家族の風景」は、幼い頃の朧げな記憶。お父さんとお母さんの生きていて、三人で小さな家で暮らしていた頃。お母さんが食事を作ってくれて、小さな私がテーブルで待っているお父さんにお皿を運んでいたようなそんな生活をイメージしていた。


「良いんだ。俺は、エレノアが毎食料理を作りたいというのなら、そうさせてあげたい。けれど、大変なら人を雇うことも出来るよ……俺と結婚することに構えないで。グリフィス家なんて言っても、貴族でもないし……代々ここの騎士団の団長をやっていたから、それなりに裕福ではあるけど、それだけだよ」


 自分の浅慮を恥じいるように俯いた私の顎を持って、彼は優しく顔を上げさせた。


「こっち来てよ。エレノア。俺もう可愛すぎて我慢出来ない」


 シャーロックは大きな手で私の手を握り、足早に歩いた。手を引かれた私は、足の長い彼の早足になんとか付いて行くしかない。


 騎士団の屯所の建物は、中に入っても広く本当に大きい。何人かの騎士が居た来客受付のようなところを横目に通り過ぎてしまえば、ただただ同じような廊下に同じような扉が続く入り組んだ迷路のよう。


「こっち。ここ、入って。エレノア」


「えっ……ここ、何?」


 シャーロックがその部屋に先に入り、私が続いたのを確認して彼は素早く扉を閉めた。一瞬だけ、暗くなってパッと灯りがつく。


「えっ……すごい……!」


 明るくなった大きな部屋の中を見て、私は思わず目を見開いてしまった。


 そこには今まで見た事もない魔道兵器らしきものがいくつも積み重なり、静かに来たるべき戦いの時を待っているようだった。


「……ここは、騎士団だからね。そりゃ、戦闘用の兵器の置き場もあるよ。さっきエレノアが言っていたように。屯所の建物が大きいのも、それなりに理由があるって訳」


 軽く説明をしつつ慣れた足取りでシャーロックは棚にお弁当の入った鞄を置き、私の元へと戻って来た。


 灰色の大きな目を細めつつ意味ありげな視線を向けられて、私は身構えた。彼がこういう表情を浮かべるということは、そういうことだから。


「……しないよ?」


 ここは神聖な仕事場で、そういうことをする場所ではないのは、彼もちゃんとわかっているはずなのに。


「ちょっとだけ」


 世界一好みの顔から発せられる、甘えるような声音に逆らえる人が羨ましい。


 とりあえず、私は困った顔をした。ここで可愛い彼の提案にノリノリになってはいけない事は、成人した社会人としてわかっているつもり。


「職場でしょ? ダメだよ……」


「俺はこれから、昼休憩の時間だし。なんなら、エレノアが来るから、案内出来るように午後から時間休も取っている。良い?」


 良い? と問われれば、もちろん良くない。良くないけど、初体験してから彼のこういう可愛いおねだりを私が最終的に拒めた事はない。


「……ちょっとだけだよ」


 口を尖らせた私に、彼は笑いつつキスをした。


 シャーロックにとってしてみれば、私とのこういうやりとりは勝利が確定されたゲームでしかない。悔しいけど、本当に彼が好きだから仕方ない。


「まだ。なんか……ここでは……ダメ?」


 可愛くダメ? と言われて、ダメと言えない私が悪いのか。それを分かってこの言葉を出す彼が悪いのか。彼は灰色の目で見つめつつ、私が肯定を返すのを待っている。


「……誰か、居るのか?」


 その訝しげな声は、もちろん。私達二人ではない。


 倉庫の中に積み上げられた物の影にいるため、声の主からは私たちは見えないだろうが、声をかけたら彼が不審に思ってこちらにまでやって来たら二人が抱き合っているのを見られてしまうのは間違いない。


「ディラン先輩、俺です。整備品の確認中です」


 平然とした口調でシャーロックが返事を返したので、私はぎゅっと体を硬くした。


「なんだ。お前かよ。灯りはちゃんと、消しとけよ」


 そうして、ディラン先輩は静かに扉を閉めて去っていった。完全に彼の足音が聞こえなくなってしまうまで、私達二人ははじっと黙ったまま。


 へらっと微笑み平然として、このピンチを切り抜けたシャーロックに、私は涙目で抗議の声を挙げた。


「シャーロックの、嘘つきー! 人は来ないって、さっき言ってたのに」


「ここ数ヶ月で、初めて人が来たんだよ。俺も本当に驚いた。こんな偶然って、あるんだな」


 流石にシャーロックも、完全に空気が変わってしまい、そんな気をなくしてしまったのか、抱き上げていた私を元の机の上へとゆっくり降ろしてくれた。


「……もう、満足した?」


 背の高い彼を見上げてそう言うと、彼はお弁当の入った大きな鞄を肩に掛けつつ微笑んだ。


「夢が叶った。こういう妄想って、仕事中にしてしまいがちだから」


 行こうと手で合図されたので、私もゆっくりと歩き出す。


「……いつも、そんなこと考えてるの?」


「大体は。仕事五割、エレノアとの妄想五割くらい」


 私の質問に真面目な顔をしつつ、シャーロックは答えを返した。大丈夫かな。冗談を言っているようで、冗談ではないような。騎士って、そんなに楽な仕事でもないと思うのに。色んな人が言うように、彼がそれだけ優秀だと言うことかもしれないけど。


 倉庫の扉を開けば、最初見た時のように同じような扉がずっと続いている廊下。私はこの屯所に入ってから、すぐに思った疑問をようやく口にした。


「良く、皆迷わないね。こんなに同じような部屋がずっと続いているのに」


 扉にその部屋の役割を表すような名前の書かれたものも、見当たらない。本当に延々同じ風景が続く、迷路のようなものに思えた。


「……騎士団に所属している騎士は、戦闘職だからね。要職についている有名騎士なんかは、手柄を上げているということは誰かに恨まれていること。いつ、どこからか敵が潜入してくるかもわからない。だから、新人騎士としてこの騎士団に入って最初にするのは、屯所の中にある全ての部屋の位置の把握なんだ。それが出来ない人間は、そもそもこの銀狼騎士団には入れない」


 ゆっくり肩を並べて歩きつつそう彼に説明されれば、確かにそれは理にかなっていた。


 銀狼騎士団と言えば、多くの騎士団があるイルドギァでも最高位に位置する精鋭騎士たちの集団だ。多くの敵を蹴散らし、数え切れない戦功を挙げている。その分、彼らには国内国外問わず敵が多い。だから、味方以外に詳細がわからないように、屯所がこんな風な迷路のような作りになっているのは納得が出来た。


「確かに、こうすれば誰が何処にいるかはわからないもんね」


 私が何度か頷くと、シャーロックは悪戯っぽく笑った。


「後、団長始め、要職についている有名騎士なんかは、多くの女性に常に追いかけられているから。俺もそういう理由で潜入しただろう女性の迷子を助けたことは、片手では足りないよ」


 確かに、銀狼騎士団の有名騎士たちは王都でも大人気で姿絵なども売り出され、注目の的だ。そういう彼らに近づきたい女性も、この迷路では間違いなく目的は果たされない。


「……潜入は、出来ちゃうんだね」


 その事はなんだか、意外だった。


「こういう大きな建物だと、死角も出来やすい。食料を持ってくる商人なんかも居るし、どうしても入ってくるし人の流れを無くすことは出来ないから。けど、内部の人間以外は、詳細が絶対わからないって訳。なんなら、定期的に部屋替えもあるから。屯所の中が、一見迷路である理由は納得してもらえた?」


「この屯所って、すごく広そうだけど……」


 私はきょろきょろと見回しつつ、歩いた。もう何度か曲がり角を曲がってしまった今、絶対自分では受け付けっぽいところのある出入り口には辿り着けない。


「うん」


 シャーロックはなんでもない顔をして、頷いた。今、辿って来た道だけでも数えきれないほどの扉があるのに。


「全部の部屋の場所を、覚えてるの?」


「もちろん。銀狼騎士団の入団試験には、もっと記憶力使う問題もあるよ。そのくらいの事が、出来ない人材はこの騎士団は必要としていないんだよ」


 彼はさらっと言ったものの、それって物凄い事だし……なんなら、シャーロックは優秀で、そんな集団の中でも次期団長候補とも言われているらしい。自分の彼氏が凄すぎて、もうため息しか出ない。


「シャーロックって……本当に私で良いの?」


 優秀すぎる彼とのあまりの格差に不安になってそう聞くと、彼はにっこり笑って答えた。


「エレノアが良い。俺はエレノアしか、嫌だから」

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