08 市場の中で
恋人と体を合わせる行為から得る快感を覚えてしまった体力自慢の騎士様に、無邪気に「いっぱいして」と言った後悔なら、その後本当に何度もたっぷりとした。
上司のマクラーレンさんにきちんと説明し許可を取ってから、シャーロックが取ってくれた船室で寝起きするようになってから。
もう暇さえあれば……可愛く甘える彼に、逆らえない惚れた弱みを持つ私はどうしても拒むことが出来なくて、その後はもうこの状況から見てのご想像通り。
あくまで私に言える範囲の情報ではあるんだけど、現在彼は騎士団の仕事としてとある人物の動向を三人ほどのメンバーで交替しつつ、一日中見張っているらしい。
なので、もちろん夜の見張りを担当している時もある。そういった時に私は大きなベッドを独り占めして、のびのびと寝ることを許された。
けれど、私は買い付けの出張でこの船に乗っている。
本格的に仕事するのは目的地であるサリューに着いてから。船上パーティーでよその商会の商人と火花を散らしつつ商談したり情報収集する上司マクラーレンさんの隣でにこにこしているのも仕事の一環ではあるけれど、それは別に毎晩のことではない。
要するにシャーロックの担当していない昼間とか、夜間とか。
必要のある時以外はずーっと大好きな彼の胸の中に居た、と言ってももう過言ではないかもしれない。快感にとかされて、もうあまり記憶が定かじゃないけど。
「エレノア……?」
名前を呼ばれ、急に耳に入るのはざわざわとした、朝の市場の喧騒。
サリューでも一番大きいというこの市場は、ひっきりなしに競りの声が聞こえて来る。
私はこの目的で異国に来たというのに、大事な買い付けの仕事中に、朝に別れたばかりのシャーロックが何してるかなと考えて、ぼうっとしてしまっていたことに気がついた。
「すっ……すみません!」
慌てて隣に居たマクラーレンさんに頭を下げると、彼はちょっと呆れた様子で笑った。
「おいおい。大丈夫か? エレノア、彼が最初の恋人と言っていたからな……成人してから初めて恋人が出来ると、こんな風になるんだな」
「す……すみません。仕事中に……なんだか、ぼーっとしちゃって……」
マクラーレンさんは、朝から交渉のために回った何店目かになるお目当ての商品がある卸専門の商会の位置が書かれた地図を片手に肩を竦めた。
「別に、気にしなくても良い。確かに……あのくらい美形の騎士にあれだけ溺愛されれば、どんなにお堅い女性でも君のようになるだろう」
「……でっ……溺愛!? されてます? 私、シャーロックに溺愛されてるんです?」
マクラーレンさんから言われたその単語が嬉しくて、でれっとだらしない表情になったんだと思う。ちょっと先の隣を歩いていた彼は、何故か心配そうな表情になった。
「……俺個人としては、恋愛に夢中になることは悪いことではないと思うし、こうして浮かれている君以上にあの彼の方が夢中な関係のようで何よりだが……付き合いたての気持ちが熱い時期などは仕方ないがないとして……その後はある程度、気持ちをセーブ出来るようにした方が良いかと思う。大人としての、経験に基づいた警告だが」
「……気持ちを、セーブですか?」
神妙に発せられたマクラーレンさんの言葉を聞いて、きょとんとした様子の私に彼は頭をポンポンと叩いた。
「君も仕事を始めて、もうわかっているとは思うが……大人には、どうしても思い通りにならない時がある。生きていくために、色々なしがらみや面倒な人付き合いなども黙ってこなしていく必要がある……けれど、どんなに愛し合う二人でも、別離の時が来る時があるかもしれない。その可能性を全く失くすことは、出来ないだろう。自分のためにも、相手のためにも……気持ちが最高潮のままの恋愛を、続けることは危険だと思うよ」
「……別離の時……」
シャーロックともしかしたら別れてしまうかもしれない可能性を示唆され、顔色をなくしてしまった私の反応が、マクラーレンさんが想定していたより過敏だったのか……彼は、ゆっくりと私の二の腕を持った。
「あまり、想像はしたくない事だが、君の恋人の彼は騎士だろう? 彼の仕事上、必ず戦闘する事は絶対に避けられない。それに……君だって、商会で仕事をしているから、こうして買い付けなども出張に来たりすることもあるだろう。生きていく上で何の危険がない道のりを歩くなんて、絶対に無理だ。君たちがお互いを好きなことは、見ていても良く分かるが……気持ちをセーブ出来るようになっていた方が、きっと無難だよ」
目の前の彼は遠い記憶の中の何かを思い出すように、優しい黒い目にある光が烟った。
マクラーレンさんは、若い。
短い黒髪と見栄えの良い長身を持ち、いくつも変わらない私の上司であることから分かる通り、商会に入ってから一気に出世して色んな仕事を任されている、とても優秀な人だ。
スッキリとした爽やかで整った顔と、商人らしく柔和で話しやすい雰囲気。もちろん、商人だから口が商売道具で話し上手だから一緒に居ても人を飽きさせない。
要するに……もし、一人でどこかに立っていても、異性が放って置かないだろう魅力的な人だ。
「……マクラーレンさんは」
「うん?」
「好きな人へ向かう、恋しい気持ちを……いつか来るかもしれないつらい別れに備えて、減らすことって可能だと思いますか?」
震える声でそう問えば、彼はどこか寂しげに笑った。
「……いいや。若い僕には、それは出来なかった。ただ、もし……すべての恋が永遠であれば、恋愛沙汰で泣く人はいない……悪い。熱い恋人たちに、過去の自分に重ねてしまったようだ。自分が出来なかった事を、君たちに押し付けるつもりはなかった。エレノアと……エレノアに好かれている彼が羨ましかったんだ。すまない。今言ったことは、忘れてくれ」
しんみりとした口調で、そう呟いた彼を見上げて言葉を返そうとした、その時。
「……すみません。俺のエレノアに触らないで貰っても、良いですか。市場の真ん中で、こうして二人で見つめ合っているのは、何かの理由があるとは思うんですけど」
今まで私には決して向けられたこともない冷たい響きの声を持って、現れたその人に私たち二人は息を呑んだ。
「っ……シャーロック!」
パッと私の腕から外されたマクラーレンさんの手から遠ざけるように、大きな背中が現れた。
「っ……グリフィスさん……すみません。そういうつもりでは……ありません。エレノア。すまない。また昼辺りに、船で合流しよう」
シャーロックの放つ剣呑な空気に怯えたようにマクラーレンさんは、サッと身を翻して行ってしまった。私の上司は彼だから、彼がそう言うのなら、そうするしかない。
「……シャーロック。仕事はどうしたの?」
シャーロックは面白くなさそうな顔をして振り向き、さっきマクラーレンさんの手が当たっていた腕を何度か強めに摩った。
「……見張りは今は、先輩と交替してる」
それで、気がついた事がある。わかっていた事だけど、彼は私のことがすごく好きだ。
何故かと言うと、マクラーレンさんだけではなく、私が自分以外の誰かに触れたりしたりするのがとっても気に入らないようで、後で必ずもう一度そこを自分が触る。
大好きな彼から執着されるのは、私にとっては本当にご褒美でしかない。
「どうして、ここに居たの?」
それが、不思議になって聞いた。
マクラーレンさんと私が見つめ合っていたように見えたから、シャーロックが嫌な気分になったのはわかる。ここまでは納得。
けれど、異国のサリューで偶然ここに彼が居たというのは、明らかにおかしい。
シャーロックは整った顔の目の下を赤くしつつ、言いづらそうに答えた。
「エレノアが気になった。ここに行くって聞いたし、ちょっとだけでも姿を見れるかなって」
このところ、常時胸がときめき、喉元のあたりがキュンキュンして堪らない。
シャーロックに……この人に恋して死ねるなら、本望かも。
考えたくもないことだけど、もしこの先に別離の時があったとしても、彼と付き合えたことを私は絶対に後悔などしないはずだ。
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