04 同行
「……エレノア? エーレノーアー?」
「これはダメね。全く私たちの声が聞こえてないわ……完全に自分の世界に入ってる」
パンっと大きな音で頬杖をついていた顔の前で手を叩かれて、ようやく先週末の出来事の反芻から戻ってきた。
「っ……はいっ……?」
顔を上げれば手を叩いた本人のルイーズがなんとも言えない顔だし、その隣に居たイザベル先輩は苦笑いをしていた。
「ちょっと。エレノアー? シャーロックくんと上手く行ったのは、喜ばしいことだけど。お金貰っているんだから、仕事はちゃんとしなさいよ」
「ごっ……ごめんなさい。まだお昼休みだと、思ってた」
昼食を取りに外に出て帰って来た時には、まだ午後の就業時間まで余裕があった。ほんの少しだけ、彼の甘い言葉を思い出そうとしただけのつもりだった私は慌てて壁掛け時計を見た。
時間を確認した時からかなりの間妄想していたのか、幸せ過ぎると時間って風のように過ぎ去るのは間違いないみたい。
「仕方ないわよ。人生で初彼が、なんと騎士様よ。誰かに聞かれたら、嫉妬の嵐じゃない。しかも、可愛い顔してる癖に、次の銀狼で団長候補なんですってね。あの子。エレノア、玉の輿じゃない」
傍に居たイザベル先輩は自席に戻り、書類を確認しながら決済済みの判を押す作業を再開する。
「あ。イグナスも、それ言ってました。精鋭揃いの銀狼騎士団でも新人のエースだって。確かに、可愛い系の美形でしたね。ちょっと猫っぽいというか……」
ルイーズは机に置いてあった書類の束を抱えて、棚に入った書類を仕分けする箱へと整理し始めた。そして、そんな二人の様子をポーッとして見ていた私も、慌てて机の上に置いていた本日処理予定の書類を手に取る。
ちなみに、私以外の二人も、あの夜にペアになった相手とは上手くいっているらしく、全員が騎士の恋人を捕まえるという……行けなかった女性が聞けば悔しがること間違いなしの伝説に残る夜となった。
「……猫……そうかも。あの髪の手触りが……すごく良かったです。触っていると落ち着くというか、癒されると言うか……」
シャーロックの銀色のふわふわした髪の毛を思い出して、照れ笑いした私を見て、二人は顔を見合わせ揃って意味ありげな笑みを浮かべた。
「ねねね。エレノア。エレノア。こういう事って、エレノアみたいな真面目な子には、取り扱い注意かなって思って……朝は聞かなかったんだけどさー……」
私はルイーズの含みのある言葉の先がわからずに、何が言いたいのかと首を傾げた。
「ちょっと。ルイーズ。この子には、その言い方だとわかって貰えないわよ。はっきりと聞かなきゃ。エレノア、やったの? 結局。あの夜。シャーロックくんと」
イザベル先輩は判子を良い音をさせて、押した。それを聞いた私は、顔を赤くして両手を胸の前で何度も振った。
「や? ややややや……やっては、ないです。バーに行ってから、そのまま家まで送って貰っただけで……告白だけして、すぐに帰っちゃったし」
「えー! そうなの? なんかもう、このまま二人でベッド直行! みたいな、かなり甘い雰囲気だったじゃない。手もずーっと繋いでたし……絶対そうだと思ったのにー……勘が外れた」
驚きの表情を浮かべた後肩を落としてガッカリした様子のルイーズに、イザベル先輩は感心した様子で頷きつつ微笑んだ。
「そうそう。エレノア、あの時完全に早く私を食べてって、彼に全身でアピールしていたものね。その気になれば、すぐに食べられるっていう状況なのに。誘惑を跳ね除けたって、若いのにすごく偉いわ。流石、銀狼騎士団の期待のエース。きっと時期を見ての、待てと我慢が出来る子なのよ」
「えー。でも、あの子。彼女になってって、ちゃんと告白はしてくれたって、朝言ってたよね? 他に何か言ってた?」
ルイーズは書類整理に戻りつつ、そう言ったので、私は顔を真っ赤にしつつ彼がくれた言葉を白状した。
「……あ、あの。なんか、エレノアに本気だからって……」
それを聞いた二人は示し合わせたかのように、同時に高い口笛を吹いた。
「本気! だから! 出会った夜には、しなかった! って訳ね。なるほど。今、理由にすごく納得いったわ」
「あの子。本当に、出来る子だわ。それを告白と同時に言ったと聞いただけで、それがわかるわね」
何故か納得した二人が大きく頷き合う、その後ろで私たちの直属の上司のマクラーレンさんが扉を開けつつ呆れた顔をして現れた。
「おいおい。何を騒いでるんだ。外にも聞こえているぞ」
「あ。室長。お疲れ様でーす! 私たち、実は三人とも、先週末から騎士と付き合うことになったんですよ。凄くないです? そういう訳で、今日だけはちょっとだけ浮かれるの許してください。仕事はちゃんとしまーす」
ルイーズがハキハキと私たちが浮かれている状況説明をすると、マクラーレンさんはちょっとだけ眉間に皺を寄せた。
「……独身の騎士? 幻の存在じゃないか。本当に実在したのか……どこで、知り合ったんだ?」
「お姉ちゃんの友達が騎士と付き合ってて~。その縁で、新人騎士と合コンしたんです!」
「あー……なるほどな。エレノア。すまない。ちょっと話があるんだが」
いろいろと経緯を説明しようとしたであろうルイーズの話を遮り、上司のマクラーレンさんに手招きされたので、私は席から立ち上がり、彼の元へと駆け寄った。
「はいっ。なんでしょう」
「前々から、君の担当の茶葉がよく取引されるサリューの現地に買い付けする様子を見に行きたいと、希望していただろう。突然なんだが、三日後出航する船で俺が行く予定になったんだ。パートナーとして、いつも来てくれる子が今体調を崩していてね。もし良かったら、君が一緒にサリューに行くか?」
茶葉で有名な国サリューへの現地買い付けは、私のような新人には中々任せて貰えない。
今後の仕事のために勉強にもなるし、以前からマクラーレンさんには希望していた仕事だった。
だから、一も二もなく私は頷いた。
「いっ……行きたいです!」
「そうか。では、よろしく頼む」
マクラーレンさんはほっとした様子で頷くと、部屋の外へと去って行った。
サリューへ出張に行くのなら、帰ったらいろいろと準備しなくちゃと、思いを巡らせているとルイーズの声がした。
「ねえ。エレノア、エレノア」
「何? ルイーズ」
振り向きながら返事した私に、ルイーズは遠慮がちに言った。
「それ。出張の話。彼氏のシャーロックくんには、相談しなくて良かったの……?」
思ってもみなかったことを聞かれて、私は戸惑って返事をした。
「えっ? なんで?」
「だってさー……船でサリュー行って、買い付けして帰ってたら。三週間は、絶対にかかるよね? あなた達二人、付き合いたてだよ? そんなにいきなり離れて、大丈夫?」
「……そっか。私。今、彼氏が……居るんだ」
ルイーズから注意を受けて。なんだか、急に実感が湧いてきた。
人生初彼氏なので、本当に勝手がわからない。
ずっと前から行きたかったから有頂天になって、すぐに頷いたものの。こういう長期間の出張などは、一応彼氏にもお伺いをたてておくものなのね。知らなかった。
「もう、既に室長の出張同行を受けちゃったけど……買い付け時のパートナーって商談時のパーティーなんかで、室長のずっと傍に居なきゃいけなかったりするし……ちゃんとそう言うのも、言っておいた方が良いよ。誰かから聞いて誤解させてもダメだし。人によっては、仕事だとしても他の男性の隣に居るのを嫌がる人も居るから」
◇◆◇
「という訳で、三日後から三週間ほど、買い付けの出張でイルドギァにはいないの」
日勤の私にとっては週明けの今日、不規則な勤務のシャーロックは休みだったらしく、仕事帰りに待ち合わせして私の家の近くにあるカフェでデートをしていた。
挨拶をしてから彼の仕事で会えなかった昨日のことをひとしきり話してから、ルイーズの忠告に従い、彼に出張のことを聞いてみることにした。
ついさっきまでにこにこして話をしていた彼は、飲んでいたお茶のカップを音をさせて置いて、みるみる顔色をなくした。
「……え? 大陸にあるサリューにまで、買い付け? エレノア、商会で事務をしているって言ってたよね? そういう仕事もあるんだ……」
「うん。けれど、うちの商会の扱う茶葉の買い付けには、以前から同行したいって希望してて。ちょうど、上司のいつもパートナーを勤めている方が体調が悪いらしくって、偶然連れて行って貰えることになったの」
「……パートナーって?」
「船上ではパーティーがあったりして、乗り合わせている各商会とも商談もすることになるの。そこでのパートナー代わりなのよ。男性一人だけだと、どうしても浮いてしまうから」
商談が中心の船上パーティーなどでは、男女同伴が原則だ。それも仕事の内なので、マクラーレンさんの隣にいる事が求められる。
私がそう説明すると、彼は表情を渋くした。
「それ、断れない? ……ごめん。仕事だから、仕方ないのは。そうわかっているけど、敢えて言いたい。俺は付き合いたてだし、毎日でも……出来るだけ。時間さえ合えば、少しだけでも無理してでも、会いたいのに」
「私も、それは同じ気持ちなんだけど……ごめんね。シャーロック。今日上司にもう行くと返事してしまったし、前々から行きたかったお仕事なの。帰ってきたら、すぐに会いに行くから」
申し訳ない気持ちで私がそう言うと、彼ははっとして自分のさっき言ってしまった事を恥じるように顔を俯かせた。
「そうだよね。ごめん。エレノアが、前から行きたかった仕事なのに……動揺して、俺、さっき最低なことを口走った。エレノアとこれから三週間も会えないと思ったら、すごく嫌で……ごめん」
シャーロックは私が机の上に載せていた手に大きな手を重ねて、ぎゅっと握りしめてから言った。
「ううん。そう言ってくれて、すごく嬉しい……大好きな茶葉を扱うお仕事がしたくて、今の商会に入ったの。頑張ってくるね」
彼の手の上に逆側の手を載せてから、手の甲を優しくさすると彼は切なそうな目をして笑った。
「……うん。けど、俺はエレノアに会えないのが、すごく嫌だから。寂しがるのは、仕方ないと許して。君の頑張ることは、なんでも応援したい。一番の味方でありたい。けれど、長い間会えないと思うと、胸が痛い。こういうことで、嘘はつけない。それに、君にはつきたくない。エレノアには俺の本当の気持ちを、ちゃんと知って欲しいから」
「ありがとう。シャーロック……出張から帰ってきたら、いっぱいデートしようね? あ。あのね、私の作ったハンバーグも、今度食べて欲しいんだけど……」
私がそう言って微笑むと、彼は複雑そうな笑顔で頷いた。
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