03 懇願
その後は、全員の空気が一致したのか、特に男女のメンバーを交替しようよという流れにはならなかった。私は結局、最後の時間まで隣に座っていたシャーロックくんの大きな手を握っていた。
もし、離そうと言えば、そうして貰えたんだろうけど、出来ればずっと握っていたかった。このままずっと一生。彼さえ良いのなら、溶け合ってたとしてもこちらは別に構わない。そのくらい、離れがたかった。
ラストオーダーが終わり、今回は最初から男性陣が持ってくれるという話になっていたらしくイグナスくんが代表して会計を済ませてくれた。
店の扉を出てから夜の冷えた外気がほてった頬に当たり首を竦ませた時に、イザベル先輩が手を繋いだままの私たちを見てクスクス笑いながら言った。
「あらあら……これは、これは。可愛いカップル成立ね。じゃあ、今回の二次会は、それぞれでって事で良い?」
店を出ようとした時に、一度は手を離さなきゃと思ったんだけど、シャーロックくんは何故か笑顔で手をぎゅっと握ったまま離さなかった。
だから、店の外に出た時も、そのまま繋いだまま。私の顔も真っ赤になっているまま。
「あ、じゃあ。この後は、そういうことにしましょうか。どうも、今夜は楽しかったです。またゆっくり飲みましょう」
イグナスくんは爽やかにそう言うと、私に意味ありげな目配せをしたルイーズと連れ立って行ってしまった。レオポルドくんとイザベル先輩も微笑みつつ手を振っていなくなり、お店の前には私とシャーロックくんの二人が残された。
ワンピース一枚で立ったままだったので、じわじわとした寒さを感じてちょっと体を震わせた私を気遣ってか、彼は遠慮がちに言った。
「……あの」
「はっ……はい!」
慌てて返事をした私に驚いた顔を向け、大きな口で明るく笑った。
「緊張してる? 俺もすごく、してる。一緒だから、気にしないで。近くに知ってるバーがあるんだけど……そこで良い?」
「う、うん!」
シャーロックくんが言葉を言い終わる前に食い気味でそう言った私に彼はまた優しく微笑み、手を引いて歩きだした。
そのまま連れて行ってくれたお店はセンスの良さそうな彼によく似合う、こじんまりとした少人数しか入れないカーテンで個室風に区切られたバーだった。二人掛けの席へと案内され、私は手を繋いだまま先に座ったシャーロックくんの隣に続く。
メニューを見て決めた注文を店員さんに告げる彼を横目に、暗めの照明や大人っぽいしっとりした雰囲気に慣れない。なんだかガチガチに緊張して、固まってしまった。
「エレノアさん……その服、すごく可愛いね。会った時から思ってた。綺麗な薄紫で、良く似合ってる」
突然褒められた私はその言葉にびっくりして、反応出来なくて数秒固まった。けれど、シャーロックくんはそれを見ても特に呆れる様子もなく、黙って微笑んだまま。
そうして待ってくれる彼の優しさを感じて、じわっと涙目になってしまった。嬉しくて。
今着ている薄紫のワンピースは、私の貰っているお給料からするとちょっと背伸びした値段だ。けれど、今夜のためにどうしてもと思って買ったものだった。
「……今日のために、ルイーズとイザベル先輩に教えてもらった店で買ったの……あ、あのね。私も! 私もシャーロックくん、会った時から、すごくお洒落な人だなって思ってた。自分に似合うものわかってるなって……思って」
こういう時の受け答えとして、これが正解だったかなと不安になりつつ、照れながら上目遣いでそう言うと、彼は大きな灰色の猫目を細めた。
「そう? 褒めて貰えて、嬉しい。ありがとう。俺も、今夜用にこれ買ったんだ。気合い入れててダサく見えるかもしれないけど、エレノアさんにそう言って貰えたなら、わざわざ買いに行った甲斐あるよ」
「だっ……ダサくなんて……絶対ないよ……なんかすごく、素敵だもん。全部」
「……どういう意味?」
不思議そうな顔をして可愛く首を傾げた彼に、私は顔を真っ赤にして決死の覚悟を持って言った。
「全部。何もかも。あ……あのね。私。シャーロックくんが、すごく……好みのタイプど真ん中なの。初めて見た時に、この人の彼女になりたいって思って……」
じっと見つめて言葉を聞いていたシャーロックくんが、口を開いて私に向かって何かを言おうとした瞬間、間が悪く店員さんが注文の品を持ってカーテンをサッと開いた。
バーの店員さんの常なのか、用意したお酒の種類や説明を軽くしてからにこやかに笑って行ってしまった。
告白の……タ……タイミング、悪かったかも!
じわっと涙が湧いて来そうな私の手をぎゅっと強く握って、驚いた拍子に顔をあげればシャーロックくんは笑った。
「ごめん……なんか、先に言われたから、一瞬凄く焦った。俺も、一緒。エレノアさん、一目見た時から良いなって思ってた。最初は、麦酒を一気飲みしててびっくりしたけど、慌てて謝っててすごく可愛いなって思ってたよ」
初対面で五秒も経っていないのに、目の前で麦酒一気飲みは本当に衝撃的だったと思う……。今からでも、とんでもない非礼を伏して謝りたい。
「ご……ごめんなさい。なんか、シャーロックくんを見た衝撃で、あの時の事……よく覚えてなくて」
「え? あれって、俺のことを見たから、一気飲みしたの?」
まさかそんな理由だと思っていなかっただろう、驚いた表情の彼に、うんうんと何度も頷いた。
ここまで来たら、全部話してしまおうと思って。今夜飲んだお酒も、私が素直になることを助けてくれた。
だって、与えられたチャンスは一度きり。今夜だけ。もし、彼を捕まえたいなら、捨て身になってでも頑張るべき。
「見ただけなのに、胸を射抜かれて。その瞬間、恋に落とされたの」
私がそう言って。急に、彼の顔が近づいてきた。そして、息が触れるほどの近さの耳元で囁く。
「俺も恋に落ちるって、こういう事言うんだなって思ってた。人生で初めてだから、今までなんだか半信半疑だったけど」
顔のあまりの近さに完全に固まってしまった私を見て、シャーロックくんは目を細めた。なんだか、満足そうな猫を思わせる仕草で。
「来たばっかりだけど……今日は、もう帰ろっか。なんかお店の中で、そういうことになるのは俺も不本意だし」
私は彼のその言葉に、何度も何度も頷くしかない。
◇◆◇
シャーロックくんは、器用に片手で財布を取り出しお金を出して席で会計を済ませた。一次会も払ってもらったし、ここは払うって言ったら「絶対ダメ」と言われたので、引き下がるしか無かった。
そういえば、彼とずっと手を繋いでいる。温かくて大きな手だ。私の手なんて、軽く全部包み込んで貰えそうな。とても強い安心感を与えてくれるもの。
店を出てからすぐに家は何処と聞かれたから、自分の住んでいる集合住宅の位置を伝える。
黙って二人で家までの道筋を歩きながら、まさかこんな状況になることなど予想もつかなかったので、朝出てきた部屋の中はどうだったっけと懸命に思い出そうとするものの、手を繋いでいる彼の存在が全ての思考を奪っていく。
これって、いわゆるお持ち帰り……になるのかな。いいえ。ルイーズの言葉を思い出さなきゃ。男女の狩りに情け容赦は無用。
「エレノアさん……エレノアさん、着いたよ?」
シャーロックくんは、私の住んでいる集合住宅の大きな入り口の前で不思議そうな顔をしている。考え事をしている内に、もう帰り着いてしまっていたらしい。
「ご……ごめんね! なんか、頭がボーっとして。夢の中に居るみたいで。ふわふわしてた」
「俺も」
シャーロックくんと向かい合う。手はまだ、握ったままだ。
「……あ、あのね。良かったら……部屋に、上がってく?」
なけなしの勇気をだして顔を俯かせつつ私がそう小声で絞り出すようにそう言うと、シャーロックくんは少し考え込んだ。
と、思ったら、繋いでいた手をパッと離した。
「……え?」
先走って……失敗しちゃったかも、どうしよう。
「あのね」
「ご、ごめん! 今の、忘れ……」
慌てて言い訳しようとしたところを落ち着かせるように、彼は大きな手で私の二の腕をさすった。
「ね。エレノアさん。俺、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
背の高いシャーロックくんは、少しだけ頭を下げて上目遣いで私に言った。
「頭撫でて」
戸惑った私を促すように微笑んだので、私は綿菓子のような銀髪を撫でた。
「……髪、柔らかくて。ふわふわしてて、気持ち良い。触り心地良いね」
完全に彼の髪の毛を触っただけの感想になってしまったんだけど、今まで彼氏の居たことのない私がこういう時の完璧な回答が出せる訳もない。
「俺の髪の毛、気に入って貰えて良かった……ねえ。もし、俺がさ。良いことや凄いことしたら。偉いねって、こうして頭を撫でて欲しい」
「え?」
「また、話すけど俺の家はちょっと特殊なんだ。幼い頃からずっと……何を成し遂げたとしても、お前はグリフィス家の人間だから。そんなことは全部当たり前だから。今まで、そう言われ続けてきた。けど……やっぱり、俺だって……大事な人には褒められたい。エレノアさんは……エレノアは、そういう時に褒めてくれる?」
シャーロックくんの、上目遣いのお願いとかは最高のご褒美でしかない。今すぐに「世界一、可愛すぎる」って褒めて頭を撫でてあげたい。
でも、なんか胸の中が甘酸っぱいものでいっぱいになって言うべき言葉が咄嗟に出なくて、無言で何度も何度も大きく頷いた。
彼は遠慮がちに髪を撫でていた私の手を取り、自分の口近くへと持っていって、手のひらへと何度も柔らかなキスをした。
くすぐったくも優しい感覚を不思議そうにする私に、はにかみつつ言った。
「あ、これね……手のひらへのキスの意味は、懇願なんだって」
「……懇願?」
思ってもみなかった手のひらへのキスの大袈裟な意味に私が首を傾げると、うんと頷いた。
「俺の彼女になって。エレノア」
「っはい!」
大事な告白への返事を一秒も考えることも悩むこともせずに、間髪も入れず即答した私の様子に、ふふっと笑いつつ顔を近づけて囁いた。
「……唇へのキスは、次のお楽しみにとっておく。もっと特別な時に。とっておきな、二人の一生の思い出に残るようなロマンチックな場所でしたい」
「う……嬉しい……嬉しい。どうしよう。嬉しい」
や……やった。思わず、泣きそうになる。
私は人生の中で、手に入れるチャンスが何度もない大きな幸運を掴んだ。
最高過ぎる彼氏が、奇跡を起こした今夜出来てしまった。絶対。絶対、自分に出来るあらん限りの努力をして彼のことを一生離さない。
「俺。エレノアに本気だから」
シャーロックくん……シャーロックは、乙女を一撃必殺な殺し文句をさらっと言って、優しく笑った。
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