第50話 三竦み
「アリッサ、なぜだ?」とツルギが問いかけると、アリッサは不貞腐れて銃を投げ捨てた。
ツルギは投げられた銃の暴発を危惧して目で追うが、暴発よりも危険なものを監視している大尉にそのような視線の動きはない。
「……ツルギ。私は丸腰よ。
よく聞いて欲しいのだけど、この人はクリアの人間で、マザーグースの直属なの。
絶対に私たちの味方じゃない」
「この人は味方だ」とツルギが反論。
アリッサが問題を投げかける時は、誘導しようとしている時で、助言をする時は唆す時なので、
むしろ信用度合を具体的に検知できるのであれば、彼女の100倍は大尉の方が信じるに値する。
「私は味方だ。イカれ女。お前には都合が悪いのだろうがな」と大尉。
ツルギは、この状況で対話を選ぶの悠長過ぎると思った。
緊張状態の人間の行動は予測できず、当の本人ですらその行動を制御が出来ない。
相手がアリッサであってもなくても、ここは殴り飛ばして制圧すべきだ。
「そ、じゃ、銃を下ろして、それが出来るなら信用する」とアリッサ。
大尉に続いて、パニックもなく、至って平然としていた。アリッサの言動もツルギに危険な何かをよぎらせる。
「断る。私が殺す気だったら、お前は4回死んでいる。そもそも我々が助けに来ると思うか?」
大尉の返答に、アリッサは拳を固めかけ、同時にツルギを一瞬だけ目で追う。
その挙動は、自分の要望を拒否された一般人のように不満に怒りを覚え、それをなんとか堪えたようにも見える……しかし、怒っている最中に、ツルギを一瞥した辺り、アリッサは怒ったフリをしながら暴れようとしたようにも見えた。
ツルギが警戒していなければ………発砲に条件を課している大尉では、錯乱と攻撃を見誤り、アリッサの反撃を許す可能性は充分にあった。
「そう。口封じや抹殺が目的じゃないなら何が狙いよ? あなたやマザーグースに私を救出する意味があるの?」
再び口を開いたアリッサが大尉の思惑を知りたいのか、ただ単に注意を逸らしたいのかを探るのは難しい。
彼女の言葉が信用できない以上、彼女が発音した音以外の方が意思を表しているかもしれない。
「ふん。私にとって連中の事はどうでもいい。そこの不器用なニンジャといたいけなクソガキがお前が帰るのを待っている。
待ち人がいるなら、私はそいつを見つけ出す。置いてけぼりにはさせない。そいつに助ける価値がなくともな」
「じゃあ、マザーグースには引き渡さない?」
「当然引き渡す」と大尉は振り返りツルギを見た。
「悪いが元々はそれが任務だからな。そこはあんたも理解してくれ」
警戒対象の目の前で視線を外す大尉の大胆な行動が、結果的にアリッサの狙いを暴露。
アリッサは大尉の注意がそれた時、露骨に動きかけた。
やっぱり彼女はまだ大尉を殺そうと考えているようだが、大尉もそれを察している。だから問い詰めたり、わざと隙を作ったりとアリッサが動くように仕向けているのだ。
会話の外側で2人は駆け引きしていて、どちらかが妥協しないと競合して、排除せざるを得なくなる。 ツルギはそこまでを察した。
「あなたに害意がなくとも、私をあいつに引き渡したら、私は殺されるとは思わない?」
「思わないね。お前だって、あいつと会ったことがあるのなら思ってなんかないだろう?
なにせあいつはマザーグースだ。
学のない母親のように口うるさいだけの、威張り散らす事で虚勢を張ることに手一杯の小心者の雁。
露出狂と見分けのつかない裸の王様だ」
「………それなら着衣については言及しない方が利口そうだけど……私はあまり利口じゃない。
あなたは………マザーグースからこの事件の発端は聞いてる?」
「ヤツは愛想が悪いコミ障だ。利口じゃないなら切る手札を選ぶな」
「マザーグースの提供した情報を元にこの博士を拉致して、あいつに引き渡すのが元の計画。ちょっとややこしくなったけど…………。
あなたたちが協力してくれるなら安全に博士を引き渡せるわ」
アリッサの視線の先には顔にひどい傷を負った中年男性が気絶しており、ツルギにはそれがスドウ・レイジだとなんとか判別する。
レイジ博士がひどい有様なのは、間違いなくアリッサの仕業だろう。
正確には正当防衛であっても現状だけ見ればアリッサが人の顔をズタズタにした犯人で、それを大尉の手前で言及すると話がややこしくなる。民間人への加害に言及する事は、アリッサを撃てもいい理由を大尉に与える事になりかねない。
「彼から………何か聞き出したんだろうな?」
何よりツルギにとって重要な情報を誰が握っていて、死なれてはまずい人物は明確だ。
「えぇ。もちろん。そうなる前にね」とアリッサは自慢気に笑った。
アリッサはこの会話を起点に自分の正当性なりをアピールし始める。
「未成年の健全な心の成長のために、彼の発言能力には枷をつけさせてもらったわ。
でも、その前に必要な事は聞いた。あなたとナナが知りたい事は全てね。
今正確にそれを知っていて、正確に伝達できるのはこの世で私だけっていう、すごいプレミアな情報よ」
アリッサの視線が決定権はあなたにあるとでも言いたそうにツルギに向けられる。
損得と自分の目的を考えればツルギはアリッサの味方をするしかないだろう。アリッサは大尉を始末したい。が、自分の手で片をつける事には拘りはない。
「どうするツルギ? 今ここで口を割らせるか?
こいつ、さっきからずーっと私を殺すチャンスを伺ってやがる」
判断を迷う合間に大尉の甘言も耳に届いた。
緊張状態が高まりつつあり、即座に決断しなければいけない状況が迫っている。
アリッサの味方をするという事は大尉を殺害ないし、意識不明に陥らせなければならない。そうすればアリッサの安全は保証され、その後の問題は彼女が上手く片付けるだろう。
大尉の味方をすれば、自分の信念に筋を通せる。自分が人を害するだけのケダモノにならずにいられる。
ただ、ここでこの正しい行いをする事は、逆説的にツルギの存在意義にまで昇華されている、“復讐”も手放す事になる。
ツルギにとってアリッサと大尉の存在は自身が抱えている矛盾の光と陰そのもの。
そして、“まるで光と陰”と自問自答の中で例えを出すと、ツルギの中でその抽象的な表現が即物的ながら、この決断の方向を決める重要なアイデアに結びついた。
「………大尉の言う通り。アリッサはまだ銃を持っているでしょう」
大尉が光であって、アリッサが陰であるなら、光がある限り陰は消えない。しかし、陰を形作るのは光の照射位置なのだから、大尉の味方をする事が、結果的にアリッサを制御する方法なるのではないかと思い至り、戦闘に割く思考のスペースを総動員して、続く言葉を絞り出した。
「だけど、彼女がそれを使えるとは思えません。
アリッサは自分では貴女に勝てないと分かってるから、私に貴女を殺すように仕向けています。彼女の行動は全てまやかしです」
大尉は銃を危険人物に向けつつ、じっとツルギを見つめた。
ツルギもその視線から目を晒さない。
「そうか………では、私はここは運に全てを預けて、銃をしまおう。ツルギ、お前も何が起きてもその場から動くな」
大尉はさらに、捕虜のように両手を頭につけた。
「ふふっ。ツルギ、上官命令は絶対よ?」
アリッサは不敵に笑い。
銃を抜く。
慣れた手つきで、弾倉を解放すると、装填された弾も排出。
「いい線だけど、ツルギの読みは少しハズレてるわ。
私はこの人に勝てないのじゃなくて、クリアを敵に回したくないのよ。
誤射や錯乱に起因する事故ならともかく、ここで私がこの女を殺すとそっちの方が厄介な事になる」
そして、銃を投げ捨てた。
武装を解除したアリッサとまだ銃を持っている大尉では、既に存在していた絶対的な力の差がさらに広がる事になる。
「今ならお前を簡単に殺せるのに、非常に残念な事に、私はツルギと彼女の信奉する正義の味方だ。
だから、お前を撃ち殺す理由をまた最初っから探し始めなければならない。だが、それは面倒だ。後味も悪い。
なので、一つ協定を結ぶのはどうだ?」
「協定?」
「クリアは民間人と政府への積極的関与を禁止している。我々は国の軍隊でもなく、ならず者の傭兵でもなく、あくまで安全な居場所を保持する為の自警団だからだ。
しかし、マザーグースはこの規則を放棄した。
マザーグースがお前に執着しているのは、その証拠を握られているからだろう。
そして、あいつの懸念通り、ファルコン、ツルギ、お前を介して隠していた全貌が私に伝わった。
わざわざファルコンを巻き込んだのは、お前からマザーグースへの牽制だったのだろうが、彼は善人過ぎた。
そして、小心者のマザーグースは、この馬鹿馬鹿しい規則が銃殺刑に繋がると思い込んでいる。
この状況はお互いに都合が良いと思わないか?」
「あなた、政治も出来るのね。何が正しいかを見極められる人間と、私のような人間は相性が悪いわ」
「誰だって善悪の判断はつく。問題はそれと実利をどう均衡させるかだ。
私はお前やファルコンほど極端ではないから、美味しいところだけ手に入れば後は忘れてやる事もできる」
「つまり?」
「お前と博士をマザーグースの下に連れて行き、そこであいつの行いの裏を取る。
そうすれば、あいつはもう私に指図できなくなるから、私は情報屋の使い走りから、電子戦能力を要する遊撃部隊に様変わりだ。
そうなれば、私の権限で、この件はなかった事にしてや——」
「協力する! むしろ、私が一番理想としていたプランだわ! 貴女こそリーダーに相応しいの!」
アリッサが歓喜に飛び跳ねて歩み寄ると、大尉は、体に刷り込まれた防衛反応で、一瞬で銃を突きつけた。
しかし、銃を突きつけられたアリッサは、銃口で鼻を押されながら叶わない握手を求め続けた。
「……………すり寄る判断の早さだけは褒めてやろう」
グイッとアリッサは鼻頭にライフルリングの跡をつけて押し戻され、そこで無意味に服から埃を払う。
「では、行きましょう、我らがリーダー——……」
仕切り直すアリッサを、ツルギの背面が遮った。
「——下剋上。大尉。最初からそれが目的ですか?
あなたの話は都合が良いにもほどがある…………あなたも結局は……」
「馬鹿を言うな。そんな予測が出来るなら、もうとっくの昔に自分の名前のついたタワーマンションに住んでいる。
狙いが狂い出した故のゼロイン調整だ」
誰が敵なのか? ツルギがその疑念に突き動かされた結果、彼女の人生で初めて、頭部の角型センサーを捕まれ、顔を無理矢理背面へと向けさせられた。
「ツルギ。あなたって、自分が世界で一番お人よしだと思ってる?」
「………?」
「あなたと大尉は、意味もなく人を助けられる種類の人間なのよ。
そこに実益を持ち込むマザーグースは大尉にとって目の上のタンコブで、あなたが私に苦労してるのと同じくらい苦労している。なんなら彼女たちの方が付き合いは長いしね」
アリッサの言葉にセンサーが拾うノイズの煩わしさが合わさり、自分の誤解に辿り着いた。
「…………確かにこんな身勝手な奴の世話をする苦労が減るなら、私でも身銭を切るかもしれない……」
目の上のタンコブどころか第六の感覚器官にに触れ、障ってくる煩わしさの挙句、人に背後を取られる敗北感まで味合わされる厄介さ。
命令とは別系統で行動を制限される不快さをこれほど効率的に教わる方法は、アリッサしか見出せないだろう。
大尉のしがらみとなっている人物がこの半分程度の問題性でも抱えていれば、確かに上には起きたくない。
「よく分かった。大尉はやっぱり立派で、途方もない苦労人だ」
角からアリッサを手を引き離すのは簡単な動作だったが、そのコンマゼロ数秒の間にツルギは数え切れないほどの破壊衝動を堪える羽目になった。
「ツルギ。お前の言葉の後半はそのままお前に送り返すよ。
結果がどうあれ、出来る中で最善を尽くす。少なくとも私もお前もそうしたから、私は私で、お前はお前でお互いの目的は達成する」
大尉は既に武器をしまって、呆れたように腕を組んでいた。
「ただ遠足は家に無事帰るまでが遠足です」
「それもそうだな。
お荷物は回収した。次は脱出だ。ツルギ。パスファインダーを頼めるか?」
「了解です」
「コールマン。私がお前を守ってやるから博士を連れてこい」
「私、スプーンより重いもの持てないの」
「銃を突きつけてやる。それで気合いが入るだろ? 出来る事を増やす良い機会だ」
「私を守りながらどうやって私に銃を突きつけるのよ」
「安心しろ。2丁ある」
緊急感の欠ける2人に先んじて、脱出路上の残存兵力の気配を探っていたツルギは、想定外の音を聞きつけた。
それは甲高い高周波で、何かが超高速で回転して、パルス状の衝撃波を生じさせている音だった。
「大尉。この音聞こえますか?」
「音?」と辺りを見回す大尉に、「神様が私を虐めるなって言ってるんでしょ」とボヤくアリッサ。
「ほら、この音です………」
「………さっぱりだ」
ツルギだけが聞こえる音は、さらに大きくなり、ようやく脳内で知っている音と結びついた。
「双発ジェットエンジン——! ファルコンたちは航空機を本当に落としましたか? !」
通常のジェットエンジンなら即座に判別できたはずだったが、ツルギの高感度のセンサーでは、2つのエンジンが発する、反響しあう噴流を特殊な波形と捉え、判断を鈍らせていた。
そして、この時間の浪費は、通常の聴力でも聞き取れる距離まで、敵機の接近を許していた。
「………聞こえた。ターボファンエンジン。それもかなり低空飛行だ。ヘリかVTOLだな」
愛銃とはいえ、拳銃で航空機を落とせるビジョンは見出せなかったらしい大尉が銃を見つめ、忌々しそうに舌を打つ。
「あぁ、こいつらVTOLがどうこう言ってたわね」とアリッサ。
「たぶんステルス機だ。
垂直離陸形態と飛行形態じゃ、その性能が全然変わってくる」
「………撃墜と誤認したのは、攻撃に気がついてステルスにモードに移行したからだろう。
レーダー上では機体墜落による信号喪失に見えただろうな。あいつら手を抜きやがって」
もう一度舌を鳴らすと、大尉は無線機へ怒鳴りつけた。
「ファルコン。ドク! そちらにトンボが行くぞ、すぐに撃墜しろ」
そんな姿を、アリッサは冷笑主義的に評価する。
「撃墜出来なかったら、歩いて帰るハメになるわね」
そんな彼女に、ツルギは意図しない意趣返しの形で伝え忘れていた事を告げる。
「………ファルコンのところに、ナナもいる……」
アリッサは目を見開き、顔を一瞬で青く、それから恒久的に赤くした。
「!? ふざけんな。………さっさと叩き落とさなきゃ」
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