第47話 擬態
スドウ・レイジは、待ち望んでいた静寂がいざ訪れると遮眼帯のように顔を挟んでいた手を外し、逃避していた現実に目を向けた。
「軍曹、攻撃が止んだと言う事はもう安全なのか?」
廃墟とはいえ鉄筋コンクリート製病院の地下となればその堅牢さに疑問の余地はないと考えていたが、爆発は家屋全体を子供に弄ばれる人形の家さながらに揺れ、鉄壁を誇るはずの建材は目に見えてひび割れ、その裂け目から染み出した砂埃は博士の白髪混じりの頭髪をより白くさせていく。
が、その恐怖の時間はとうに過ぎ去ったようにも思えた。
しかし、「その逆です」と達観の果てに結末を見た声が、素人の希望的観測を打ち砕く。
「我々はまんまと陽動作戦に食いついてしまったと考えるのが妥当でしょう」
博士と展望と真逆を言ったのは護衛部隊として派遣された傭兵である部隊長だった。
博士はこの男の名前や顔面保護具の下の素顔は知らなかったが、ただ“部隊長”という階級と識別を兼ねた呼称と彼が荒事には手慣れているプロの反社会的人物という事は知っていた。
「陽動だと? なんの話だ?」
部隊長はそれまでやり取りしていた携帯短波無線機を机の上に投げ捨て、肩にかけていたカービン銃を持ち替えると、慣れた手つきで臨戦体制を整える。
「先ほどの攻撃は、我々に防御体勢を取らせる為の制圧攻撃で、その間に強襲部隊がこの建物に接近、あるいは既に侵入したでしょう。
これは射撃と運動の理論です。第一世界大戦の塹壕戦の教訓を生かした教本通りの戦法ですよ。
砲兵部隊ではなく自走ロケット砲。突撃兵ではなくサイボーグでしょうが、もたらす効果は変わりません」
武器の準備を終えると、部隊長はヘッドセットの無線機のマイクのテストに取り掛かった。
「部隊長。そこまでわかっているのなら対策も打ってあるのだろうな?」と博士。
「当然です。といっても特別な事は何もしていませんが。
この手際の良さは敵ぐクリアのメンバーだからでしょう。こいつらは我々の想定していなかった敵です。
武装、兵員。どれをとっても我々が不利という可能性が高い。
連中がなぜここを攻撃するのかすら私には検討もつきません」
部隊長の返答に一生懸命さを感じられなかった博士は、思わず阿呆と思い。それはそのまま口から飛び出した。
「阿呆が。君の仕事は私の命令に従う事だ。だから私はこう命令する。
クリアだろうが、クリルだろうがさっさと始末しろ。7号を回収できなければ君も私もただじゃ済まないのは分かっているだろ」
避難の言葉に続いたのは、部隊長が準備の為に引き切った副兵装のオートマチック式拳銃の不吉な擦過音のコンクリート壁への反響だった。
「お言葉ですが博士。我々の任務はあなたを守り、無事に依頼主に引き渡す事です………。
あなたのダッチワイフがどこにあろうと我々には関係ありません」
「ふざけるな。7号こそが私の研究そのもので、アレがなければ研究は振り出しに戻る。企業連中がどれほど時間の無駄を嫌うかはお前もよく分かっているだろう!」
博士は、心臓が毛羽立つ怒りと同時に自身が信奉する理屈と理論の世界に、自分が立っていない事も認めなければならなかった。
彼が作品と呼ぶ少女への執着心は、損得勘定や論理的な思考からではなく、自身の最高傑作への偏執的な拘りであり、理論的に考えれば、再生産は可能であの作品が必須な理由は現状の最高スペックを有しているという点でしかない。
「それなら議論の暇はありませんね。あなたは速やかに空港の荷物コンベアに乗り、速達便で目的に着いてもらうべきでしょう。
それが1番建設的で、現実的でしょう」
「話の分からない奴だな………」
博士は本当に話が分かっていないのは自分自身だと自覚していた。
7号に拘るのは、彼女の血脈に流れる遺伝子情報に、博士自身が強烈なコンプレックスと憧憬を抱いた果ての所有欲に他ならない。
しかも、その願望は生物的な生殖本能と人間的な知的好奇心が分離不可能なレベルで混ざり合い、諦めるという決断は発端から忌避していた。
「分からないのはあなたですよ。民間人。
クリアが攻勢に出た今、ここは我々にとってはソマリアも同然。
ブラックホークを墓標に散りたくないのなら、私に従う事です」
「断ると言ったら?」
「私の任務はあなたの生命を守る事ですので、両脚をへし折って運んで差し上げましょう」
平然としつつ本気で実行できると脅す威圧感に、博士はなぜこの男が自分の下に派遣されたかをようやく理解した。
企業は見つけた人物が金を生み出す可能性のあると判断すれば、とことん迎合し、提示した雇用条件を満たそうと徹底する。
博士自身、自分の価値を理解しているからそこにつけ込む形で、無理矢理試作品を持ち出させ、回収の為にこの地にわざわざ留まっていたのだから、その予想に疑う余地はなかった。
しかし、 彼をここまで甘やかすような扱いを企業が許す理由が今になって存在しない事に気がついたのだった。
自分が直前に言った通り、“企業ならば無駄な時間は徹底的に排除する”
試作品を持ち出し、保持するという博士の要望が叶えられたとしても、ここまで彼自身の主体性が許される、言ってしまえば素人が考えた計画が認可されるはずはないのだ。
「お前たちの本当の雇い主は誰だ? 企業名は?」
「以前お伝えした通りですよ」
「いや、お前たちは企業の人間ではない。根本的に考え方が違う」
「博士。雇い主に会えば全て分かりますよ。我々の指揮官があなたの計画に賛同しているのは事実です………高性能な兵士としてですが———」
その時避難壕の扉が激しくノックされ、続いてノブが外れそうな勢いで捻られた。
そして、弾かれるように開いた扉から1人の一兵卒が倒れ込むように部屋に飛び込んだ。
「き、き、緊急事態発生です! 」
恐慌状態ともいえる慌てはためいた様子で、入る時にドア枠で転び、そこからは四つ這いの姿勢での慌てた通達をし始めた。
「あの女が脱走してしまいました!」
部隊長は、その兵士に肩を貸して立ち上がらせ、「落ち着け。ホルスターのロックも外れているぞ」と両肩に手を置いた。
「あの女の件は気にするな。あの女が生きていようが死んでいようがもう関係ない。
我々は被害を最小限に抑えて、この場から離脱する。 既にVTOLの要請をした」
「仲間が……」などとため息まじりに呟きながらも、一兵卒は保護具に覆われた頭を揺らし、徐々に息を整え、最後に舌を打った。
「チッ。手間増やしたわね」
「……何だって?」
————バンッ。
一兵卒が突如、腰から拳銃を抜き、部隊長の頭部を、一番脆弱な下顎から吹き出ばした。
頭蓋すらも貫いた弾丸は、部隊長のヘルメットを弾き飛ばし、天井にまで届く血吹雪が部屋を赤く濁らせる。
「貴様! 何を」と博士は自分の顔に飛び散った人血にも厭わずに怒鳴る。
しかし、一兵卒は平然と銃口を博士へと向けた。
「何って、保護責任者法の遵守よ」——バンッ。
「ぐあっ!?」
博士が感じたのは、痛みではなく“痛みを予感させる熱量”と大腿骨から上半身に駆け上る異様な衝撃の伝播。
「深く息を吸って。痛みが和らぐわ」
なぜか崩れ落ちる自分の膝に目を向けると、ちょうど膝の関節部に銃創とスタンプしたような赤い模様が生じていた。
バンッ!
再度の銃声で博士の両足は膝から下の感覚が消失した。
「これでもうあなたの脚は使い物にならない。ゆっくり腰を据えて話し合いましょう」
うつ伏せに倒れた博士を、兵士は荷物のように足でひっかけ無理矢理仰向けに覆す。
そして、博士の顔を銃越しに見下ろしながら、自らの顔を覆っていた保護具をずり下げた。その下にはレーベルの構成員に扮していたアリッサ・コールマンがいた。
「また会ったわね。いや、会いに来たのだけどね」
「お前……」
「なかなかの演技だったでしょ? これでもちょっとはブロードウェイに憧れた時があったのよ。
……この話はもういいわ。あなたの作品のポートレートを知りたい。DNAのポートレートよ」
「こんな事をしておいて教えると思うか?」
アリッサは銃口を傷口に押し込んだ。
傷口を押し広げられる痛みに加え、発砲て間もない銃口は放熱が済んでおらず、博士の悲鳴に伴って傷口からは水蒸気が立ち昇った。
「教えてくれるなら生かしといてあげる。
あなたはツイているのよ。ちょうどさっき撃った彼は医療用ナノマシンを持っていたわ。
でも、あまり余裕はない。もうすぐ私の仲間が来るでしょう。
その仲間はあなたの作品に感情移入していて、あなたを憎んでいる。これが難題でね。
私はビジネスライクだけど、そいつは違う。とってもハードボイルドで損得で動くような事はしない。
その仲間というのが、あの“ヤモリ・ツルギ”なのだから。あなたのいう78号よ。
さて、ここまで言えばナナの出生を教えてくれる気になったかしら?」
博士は死の恐怖と苦痛から一刻も早く逃れる為に、壊れた首振り人形のように激しく頷いた。
「……豊桜に若くして抹消された天才がいた。それが7号の生物学的な母親だ。
父親はドイツ人だ。これも生物学的な意味での、だがな。
7号が親を望んでもこの世にはそんな物は存在しない。材料を提供した者と擬 人工子宮で培養された……モルモットに過ぎないのだからな」
「なるほど」
「こ、ここから先は私の安全を保証してからだ」
「ふむ」と短く漏らし、アリッサは死体のポケットから医療器具ポーチを漁り、応急処置用のナノマシンの注射器を取り出すと、部屋のどこかに投げ捨てた。
「なっ!? 何をする?」
「後は自分で調べるから大丈夫。
これであなたを生かしておく理由の一つが消えたわね。
でも、あなたを生かしておく理由はもう一つある」
アリッサはポーチに残っていた最後のナノマシン注射器を取り出すと、今度はポーチの方を放り捨てる。
「博士。東アメリカの連中はあんたに逮捕状と懸賞金を掛けていて、私の知り合いはその連中とコネがある。つまり……あんたは私にとっての生きている限り有効な高額当選クジってわけ」
アリッサはそう言いながら、左手に持った注射器を博士の足に突き刺し、後は薬剤注入ボタンを押すだけという段階で動作を中断した。
「お前の目的はなんだ?……金なのか? それなら——」
「買収は無理よ。今回の私は善行を積みながら金を稼がないとならないの。
と言う事で、これは私人逮捕よ。
必要か知らないけど通達しとくわ。あなたには黙秘権がある」
アリッサはもう片方の腕、腕力と強度に優れるサイボーグ化された右手で、博士の口をこじ開けると、舌と下顎を一緒くたに掴んだ。
「あなたの発言が裁判であるいはこれから合流する私の仲間の前で発言されると私に不利に扱われる事もあるので、黙秘権行使してもらうわ」
バキッ——。
顎と舌を砕くと同時に博士が持っていた情報もアリッサだけが掌握した。
その後に抵抗を見せた博士に無理矢理医療用ナノマシンを投与。
博士の身体中の負傷はみるみるうちに回復の兆候を見せ、それは砕かれた顎骨にも同じように起こったが、設計図の無い復元作業が往々にして悲惨な結果を生むように、変形したまま骨同士が癒合し、博士は発声能力のほとんどを喪失していた。
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