第38話 裁定
アリッサへの反論を出さないまま、ナナは半ば物置として使われていた空き部屋へと逃げ込んだ。
その後を追う者はおらず、残された雰囲気は家族会議が破綻した後のような後味の悪いものだった。
「1人になりたい……か」ナナが閉めた扉に向けてツルギが呟く。
「いい変化じゃない。人に奉仕するだけの存在じゃ、とてもそんな身勝手な事は出来なかったわ」
アリッサもツルギと同じ扉を、新しくタバコを加えるまでは見つめていた。
「あぁ。確かに……お前のやり方は最低の中でも特に酷いものだったが、ナナにとって大きな影響だったのは間違いない」
皮肉を込めた言葉と共に睨みを効かせるツルギ。
しかし、その当事者は満足気に笑い、タバコの煙が口角の上がり具合をさらに強調した。
「褒められると照れるわ」
「褒めてない。お前が許される事はないぞ。
彼女の怒りは本物だ。次は素手で襲うなんて甘い真似はしないかもしれない」
危機感を植え付ける申言に、アリッサは再び笑った。
「そうね。もし私がナナだったら、あなたがいない時に銃を使うわ。
でも、彼女は彼女であって、私でも、貴女でもない。私だったらなんて仮定は無駄で、彼女は私の事をただただ優しく抱きしめてくれるかも」
「それは鯖折りだろうな」
その言葉の真意はアリッサには読めなかった。
ナナにそんな戦闘の才能があると思っているわけではないだろうが、アリッサが見落とした殺人へ至る狂気を抱いている根拠があるのだろうか。
それともただ単に、自分の人生と照らし合わせてナナも簡単に人を殺せる人間だと考えているのかもしれない。
「その時はその時よ。彼女は今誰とも口をききたくないと言ったのだから、ほっときなって」
兎にも角にもツルギは感情の機微に疎いというのがアリッサの結論だった。
アリッサからすれば、ツルギのの思考回路は戦闘機のOSだ。高性能だな一方面に特化し過ぎている。
戦闘では無類の柔軟を誇る一方で、日常生活では、事のあらましを目撃しておきながら、ナナが1人になりたい理由すら、いまいち理解できないらしい。
「ツルギ。彼女は私を殴って後悔してるのよ」
「ありえない。アレは成敗だ。彼女に間違いはない。
私があの子を止めたのは凶行を咎めるわけではなく、加減を誤らせないためだ」
ツルギは見落としたのだろうが、殴られたアリッサが起き上がった時、ナナは自罰の中に減刑の要素を見つけて安堵していた。
それに、先ほどの口論でも、ナナは窓際に腰掛けるアリッサに対し、手の届くところまでは決して近づこうとしなかった。
敵意と害意に区別がついており、感情と理性の境界も線引きが出来ている。
打算や合理で簡単に人を傷つけるアリッサやツルギより、アンドロイドを自称していたナナの方が余程真人間なのだ。
「はぁ……。あなたみたいなターミネーターには分からないでしょうけど、よっぽど条件を揃えない限り、人は人を傷つけられないわ。むしろ怖がるのよ」
映画に登場する殺戮兵器に例えられたツルギは、疑問符を浮かべながらアリッサを睨む。
ナナが命令外を認識できず、他者の悪意を疑えなかったように、ツルギには慈悲や同情といった感傷への認識が甘いのだろう。兵士の世界では完璧な逸材かもしれなが、それ以外の世界ではただのサイコパスだ。
「……あなたに分かるように言えば、練度の低い兵士って遭遇戦の時どうする?」
しかし、ツルギとて感情が欠落しているわけではない。アリッサは、話をツルギが理解が及ぶ範囲から掘り下げる手段を選んだ。
「まず威嚇射撃をする。次にこちらに銃口を向けるがちゃんと狙っては撃たない。特に新兵はそうだった……」
ツルギは即答した。
「そ、人を傷つけるのって異常な事で、まともな精神なら耐えられないものよ。
ナナは確かに私を殴ってスカッとしたでしょうけど、同時に怪我をさせるとは思ってなかったのよ。まさか出血までさせるなんてね」
タバコの息継ぎに挟んだ会話に、ツルギは顔を上げ何かに気がついたように再びアリッサを睨んだ。
「だから、お前はあの後ナナを逆撫でするように絡んだのか。大した事ないと見せしめるために」
「ほぼほぼ正解………。
とりあえず、こいつは殴られて当然だって思わせるられたのならそれでいいのよ。自己防衛と危機管理の良いきっかけになるわ」
ようやくツルギも合点が言ったらしく、静かに頷いた。
「ナナに自らの手で、自分自身を守らせた………彼女がその意味を正しく理解できるといいが」
「あの子は頭が良い。最後の一線さは越えなければこの街でも上手く生きられるようになるわ」
アリッサは人生に対して遅延行為を働くようにゆっくりと時間をかけたタバコを吸い、長く長く煙を吐き出した。
放たれた煙の一団は、弧を描く途中でツルギの鼻先を掠め、窓を潜ってネオシシティの夜景に微細な霞を重ねていく。
白色灯の下では青く見える紫煙も、窓の外ではネオンシティに染め上げられ、より禍々しい色彩を浴びていく。
それをただ眺めているのは悪くない時間だった。
「アリッサ。私はどうだろうか?」
ツルギの声に伴い、漂っていた青い帯が湾曲した。
「ナナを見ていると私にもMリミッターのようなものがインストールされてるかもしれないと思う」
アリッサは肺の中を綺麗な物に入れ替えながら、ツルギがナナに執着する理由を垣間見ていた。
「その可能性はゼロ。あるいは極めて、極めつけに低い」
「……なぜそう言い切れる?」
ツルギの非人間的な表情筋と冷淡な口調はいつも感情が読み取りずらい。それに基本的にアリッサを監視する癖がついているせいで本心と放たれる言葉にズレを混ぜ込んでいる。
それでも今のツルギの言葉は、アリッサの次の言葉を期待していた。
「なぜってMリミッターってのは、人格形成をデザインするシステムよ。
個性と精神を無視して着用者を、使用者が意図する理想の人間に育てあげるシステム。
需要があるとすれば教育ママとかメジャーに行けなかった父親でしょう。
……で、あなたは?」
「私には“殺し”しかない。今までそれに疑問を持った事もないし、今でもそれで納得している。
ただこの思いの土台はとても希薄だ。それこそMリミッターでそう誂えられたみたいに」
要するに“自分とは何か分からなくなった”。と頑強なサイボーグの体と屈強な精神の塊が、アリッサに向けて個人的な心情の吐露していた。
「あなたまでナナみたい触発されたようね。
信条の土台が希薄って、何も特別な事じゃないわ。そんな人間はごまんといる。ゆりかごから墓場までを案内するGPSなんてこの世にはないんだから。
では、人は何をもって自己同一性を得るか?
Mリミッターはやれと言われた事を完璧にこなせるけど、何が完璧かを決断する能力を持たせられない。
だから、ナナはよく調べもせずに自分の脳をいじくった。命令に従う事を第一とし、その次は何もない。死ぬ事が最高効率と言われれば、ガラス片でも飲み込むでしょう。深い考えもなくね。
一方のあなたは、例えば……なぜ私の行きつけの店でカルロの手首を切り落としたのか、なぜ頼るアテもないのにこの街に来たのか、なぜあなたとは決定的に方向性が違うはずの私の下から離れないのか全て説明できるはずよ。
あなたはやりたい事を見出し、その優先順位と影響を予測するができ、最適解ではなく、好都合を選択する。
あなたの自己同一性は、武士道を自己解釈した理屈を軸としたプライドの中にある。概念というのは希薄だからこそ、万人の手に行き渡る。その性質故に人は信念を抱く事ができる。
Mリミッターでは到底なし得ない事よ」
長話で口の雰囲気が変わったアリッサは、再びタバコを口に引っ掛けた。
その間にツルギは目を泳がし、感情を下処理していたのか空気に触れない言葉を唇で飲み込んでいた。
「あ、あぁ。……確かに私は自分の信念に従って決断を下してきた。そこに後悔と反省はあっても、疑いはない」
表情を取り繕うツルギを、タバコで指先ながらアリッサは片眉を吊り上げた。
「あなたはそれをたまに曲げる事もできる。
あなたにアレがついていたのなら、私をとっくに殺してるでしょう。それがいくつかの場面での最適解だったんだからさ」
すると、ツルギもぎこちなく片眉を吊り上げた。
「確かに……お前を殺してもいいと思った事は何度かある。
やはり私にMリミッターは搭載されていないな………。
過去の決断を反故したい気持ちが増してきて、お前をなます切りにしたくてたまらない」
アリッサはとりあえず笑みを作った。
「この部屋にはなまくらの錆びた刀はなかったか?」とツルギは部屋を見渡す。
冗談のつもりなのだろうが相変わらず表情は乏しいままだった
「あ、あなたは自分で未来を選びとっている。
ナナもこれからは自分の意思で未来を選ぶでしょう。私が干渉するしないは別としてね」
「私は好きに選べるが、ナナには追いかけてくる過去がある。この問題だけがネックだ」
吸い終わったタバコを窓から投げ捨て、矢継ぎ早に次のタバコを咥えると、アリッサはシガレットケースに目を落とし、空箱を握り潰す。
「時間が解決するわ。
私たちを博士が探しているように、博士が抜け出した企業も彼を探している。
そのせいで彼はそう長くはこの街に留まれないの。
彼の活動資金が尽きるまで、あるいは人権が保証されるタイムリミットまで、私たちは徹底して行動のパターン化を避け、連絡は常に密に、ここからはいつでも逃げれるようにしておく。
それが私たちの最後にして最強の戦略……。
これはプランBというか、プランZくらいの予備計画なんだけどね。
ナナが機械じゃなかった時点で最初の計画は吹っ飛んでる。今はもう利益は狙わずに、損益を抑えるように動くしかないわ」
「タイムリミットがあると。……どうしてそう言い切れる?」
アリッサにとってこの議論は危険だ。詳細を突かれると物置代わりの押入れのように不快で危険物をぶちまける事になる。
後で説明する事になるにしても、今は辿り着かれ無い方がいい。
このような時、アリッサは特別に鋭く思考が冴えていた。
「駒鳥が死ぬと童謡が始まるから」
「なんだって?」
「つまり、駒鳥が死なない限り童謡は始まらない。歌いたくないなら、誰も駒鳥を殺してはならない」
「だから、何の話だ?」
「分からないならまだ知る時ではないの。明後日の夜には全て明らかになるから、今日は英気を養いましょう。
明日にはナナの気持ちも落ち着くだろうし、タバコ屋もシャッターを開くわ。
あなたに知ってて欲しいのは、私が今1番優先したいのは、切らしたタバコの補充と言う事よ」
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