第34話 構成要素

 拠点であるマンションへと戻ったツルギは、たどたどしい会話に右往左往していた人物とは打って変わり、近寄り難いほど冷たい雰囲気をまとってアリッサの部屋へと突き進んだ。


「アリッサ。彼女のことで一つ分かった事がある」

 

「そう。こっちも少し前進したわ」


 部屋の中にいたアリッサは、入り口に背を向け、相変わらず地層のように並んだ資料やら機器の山の中で、モニター画面を睨んでいた。

 視線すら寄越さない彼女に正面から疑念をぶつけるため、ツルギは「この絵を見ろ」とモニター画面に絵を押し付けた。


「……上手い写実絵ね。彼女が描いたの?」


 アリッサは作業を中断する意思表示に椅子に背を預け、絵をつまみあげる。


「そうだ。男女は両親らしい、そして、もう1人の男の事は先生と呼んでいた」


 気味が悪い。それが絵を見たアリッサの第一印象だった。

 見せられたのは精巧に人物の絵を捉えた似顔絵だったが、アリッサが読み取ったのは絵画技術の優秀さよりも、その絵から滲み出る作者が抱えた闇の痕跡。

 両親とされる人物と、ナナの顔があまりにも似ていない。むしろ、遺伝的構成要素が全く別と言っても過言ではないほどだ。

 これでも本当に両親なら遺伝子研究の分野は振り出しに戻るだろう。

 ナナはやはり普通ではない。遺伝子か胚の段階で何かしら手が加えられたのか、そもそもその記憶自体が偽物だとしか考えられない。そんな荒唐無稽な話が、アリッサが思いつく一番まともな部類の推測だった。


「そう。複雑な家庭のようね。何かを邪推するにしても、ナナをこの席から外しましょう」


 ツルギが絵を見せたがった時点で、アリッサは彼女の思惑も想定していた。

 ツルギが本当に見たいのは、この先生と呼ばれる似顔絵を見た時のアリッサの反応で、その反応がどうあれ話題の中心はこの人物に持っていこうとするだろうと。


「問題はそこじゃない。この三人目の男、私はこの男を知っている。

 豊枝の研究員だった———スドウ・レイジ博士だ」


「えぇ。そのようね……」


 アリッサの心臓は一拍だけ冷えた血液を送り出した。

 秘密がバレた時の錯覚で、この感覚はクセになってくる。


「やはり知ってたのか?」


 秘密が露呈すると続いて脳に高速度で血流が巡る感覚がアリッサを取り巻く。


「その前に大事な仕事を忘れてたわ。

ナナ、ベランダは出て雲を数えて、五分毎の変化を調べて頂戴。

 重大な事だから、早く取り掛かってね」


 会話をぶつ切りにして、アリッサは有無を言わせずにナナを追い立てた。

 そうやって話題の渦中から中心人物を取り除き終えると、アリッサはようやく椅子を回転させてツルギへと向き直った。


「この馬鹿………いきなり核心をつかないでよ。しかも本人の前でさ」


 開き直ってやろうとは思っていたが、アリッサが自ら発した言葉は、自分が思っていたよりも強く相手を非難するものだった。

 

「………逃げ出そうとしている科学者がスドウ・レイジだとは知っていたわ。

 でも、彼女と彼の関係は知らない」


「なんで黙っていた?」


「必要な情報じゃなかったから。あなたが知ってて何か影響があった?」


 単純明快な返答に、案の定ツルギの反論はない。アリッサは自身を駆除する破魔矢のように突きつけられた絵を、逆にツルギに見せつけるように広げ、絵に満遍なく記されている問題点に話題を移した。

 

「この絵、あなたは気持ち悪いと思わない?

 両親とされるこの2人はまったくあの子と似てない。まぁ、それは整形や里親だからで説明つくかもしれないわね。

 でも、この絵の精度を見る限り、彼女は見たものを完全な形で記憶できて、しかもそれを完璧に描画できるときた」


 言葉を用いて感じ取った違和感を明言していく事は、さながら映画フィルムをスクリーンに投影するようなものだ。

 スクリーンへの映り方が映写機の品質に寄るように、解析者の解釈がその答えの精度に大きく寄与してしまう。


「つまり、この2人は彼女が視覚に捉えた人物というわけだけど………陰影が完全に同じだわ。

 眉や髪の生え際まで描写している精度で、鼻や眉間といった個々の構造も書き分けられているのに、顔に出来る影は全く同じなんて、おかしいでしょ?」


 解説していく中でアリッサはとめどなく自分の言葉を嫌悪していく。

 自分が話しているのは非論理的な感覚で感じていたナナが宿している異常さの追及であり、そこに解を見出すとビジネスライクを保てなくなると察していたからだった。


「…………それが違和感の正体か。身長差だってあるはずなのに、そこにだけ変化がない………しかし、それは何を意味する?」


 アリッサが明かさなければ何も理解できいツルギに憎しみを覚えていた。

 戦闘時以外での彼女の知能指数の低さは記録的な数値だ。だからと言って無下にすれば後々彼女は激怒を起こすだろう。

 どちらがマシかと言えばそこに優劣はないが、アリッサはしばし、言葉での自傷行為を続けた。


「彼女と話してて、認識力の深度にも違和感があるでしょ。

 普通に話している事もあれば、教えられた事をそのまま覚えてるだけのような話し方をする、あの話し方よ」


「……あぁ。彼女も何か隠していると?」


「馬鹿ね。あの子はまだ嘘をつけない。

 それに完璧な秘密の保守は知らない事よ。

 たぶん、この両親というのは実在しない。仮想現実かプログラムされた映像記憶の存在よ。

 この陰影の違和感は、恐らく投影させる際の負荷軽減処理で影をデフォルトかしているから」


「でも、彼女は………」


「彼女は、パパとママと2人を呼ぶけど、名前や苗字を答えられないと思うわ。

 聞いた話だと家もあるはずだけど、住所もその近辺も答えられない。

 そりゃそうでしょうね。この国がかつて東インドと間違えられたように、既出の知識と再現された情報能力で導き出される答えは、恣意的なのだから」

 

「アリッサ。それでは、彼女はどこかで都合の良い記憶だけを与えられて育てられたと?」


「育てるなんて高尚なモンじゃないわ。飼育や生産というレベルよ。

 彼女は人間だけど、脳までイジられたサイボーグ。いわば受注生産された人間よ」


 アリッサの思考が活動していたのはここまでだった。

 ここから言葉に感情が混じり出し、コントロールを手放さなければならなくなる。


「では、ナナの境遇。似たような事に心当たりがない?」


「………ない」


「馬鹿! あなたのことよ。あなたと彼女、脅威排除と情報処理というコンセンプトテーマを除いて、2人の共通点は多いわ。

 さらにスドウ・レイジはあなたの元の職場にいた技術者だ。こんなの偶然なんて思えないでしょう」


「………だから、ナナを誘拐したのか?」


「だから、中身が人間とは知らなかった!

 スドウの横領品を調べれば、あなたは何か前進した気になったはずでしょう!

 私は貴女に恩を売れたはずだし、必要なくなった物を売れば金にもなるはずだった!

 それがなんだかワケの分からない事態になったわ!」


 感情のままに椅子から立ち上がろうとするアリッサを、軍事用サイボーグの頑強な腕が優しく押さえつけた。


「落ち着けアリッサ。この後の計画はどうなっているんだ?」


「計画……」呑気な事を言うなと、さらに怒りが込み上げたが、押さえつける腕の力が強すぎた。

 幸い力で勝てない相手に力で挑もうとするほどアリッサの思考は感情に支配されてはいない。練った計画は既に崩壊した、実行不可能。だが、彼女はこの手の問題にも慣れ親しんでいる。

 無理なら次の計画を練り直せばいいだけで、一瞬で浮かんだ草案には、崩壊した計画からいくつか流用できる部分もあって、悪くはなさそうでもある。


「計画ね。勿論あるわ。少し変更する必要があるけどね」


 そう言って、アリッサはノートパソコンの画面をツルギへと向ける。

 

「この複雑怪奇なコードを解析できれば、彼女の全てがわかるわ。それにスドウのデータにもアクセルする鍵になる」


 画面をみたツルギは一瞬で険しい顔を作った。


「よく分からないが、とても複雑そうだ」


 「えぇ。私には解析出来なかった。お手上げよ。でも、手を引くわけじゃないわ。

 手を変え品を変えってね。

 て、ことでコイツの解析に次世代の頭脳を使ってみましょうか」


 アリッサはニコリと微笑んだ。

 その意味を相手がどう受け取ったかは知らないが、彼女が笑みに込めたのはライブ感覚の破滅願望と皮肉だった。

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