第33話 初期調整
ナナの軟禁を始めるにあたり、ツルギは大きな問題を発見した。
それは、ツルギもアリッサも、お手本となるような真人間的でノーマルな生活習慣をほとんど有していないということだ。
アリッサは、定期的な食事の概念が崩壊しており、空腹という感覚も胡乱な様子で、何も口にしない日もあれば、一日中何かを口に放り込む日もある。不健康極まりない食生活で活動し、身体機能の維持は電脳のサポートシステムが必要と判断した、栄養素をジャンクフードとサプリで摂る事で維持されていた。挙句にタバコと酒とエナジードリンクだけは欠かす事はない。
また睡眠時間も不規則極まり、数日寝ないまま過ごし、数日寝続けて探す事も珍しくない。
ナナが彼女を手本としたら、早逝確実な社会不適合者が誕生するだろう。
それならば、まだツルギの方が多少は人間らしい生活をしていた。が、ツルギもツルギで、人間らしい生活を送る上で徹底的に質に関する頓着がなかった。
食べれる物はなんでも食べ、身体をある程度固定しておける場所ならどこでも寝ていた。嗜好品の類を自発的に利用する事はなく、精神衛生は信念でコーティングされた忍耐力の傑物だ。
よく言えば清貧、悪く言えば退廃主義者だろう。
それもそのはず、彼女の軍事作戦で酷使される前提に造られた体と精神は、この合理性とミニマリズムこそが常識的で不満のない生活水準なのだった。
「こんな生活じゃダメだ」と、それをツルギが問題提起したところまではよかったが……アリッサは少女への関心をあまり見せず、ツルギだけが手探りながら生活スタイルの改善に取り組む事となった。
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まず子供が一日中家に篭り、朝昼晩とまともな料理にありつけないのは好ましくない。とツルギは考えた。
だが、ネオンシティの公園はもっぱら軽犯罪と少年犯罪の温床で、そこ向かう路上とて強盗と人攫いは珍しくない。この街で外で遊べと言うのは、実質選抜兵に行われるサバイバル訓練のようなものだ。
それならせめて外食をさせてあげようと思い立ったが、彼女が知っている飲食できる店はこの街で2つだけ、その内一つはヤクザの取り仕切る風俗店“遊郭”だったので除外。
必然的に残ったのは、アリッサとギャングの抗争に巻き込まれたあのダイナー“ジェフの店”だった。
「あの、発言よろしいですか?」
劣悪なビリビリの合皮製長ソファに座ったナナは出された飲料水を両手で持ちながら、注意深くツルギへと口を開いた。
「………」ツルギは黙って頷いた。
「どうしてこうなったんでしょう?」
ツルギが質問の意味を完全に理解しようとしていると、ウェイターの影が2人を遮った。
「よくある。誰もが口にする疑問だね。
僕もいつも思うんだ。小さい頃はママに言われてテーブルに皿を並べたり、悪い事をした罰で皿を洗わされたのに、今じゃそれが仕事になってる。
本当は音楽で食べていきたかった。実は楽器に触った事もないけどね。
はい。おまちどうさま」
ウェイターが料理と共に持ち込まれたどうでもいい話は、ツルギがどう返答していいのか分からないほど、どうでもよかった。
アリッサがこのウェイターに無礼な態度をとっていたのが印象的だったが、あれが最適解だったのかもしれないと無言のまま長考を初めてしまう。
「えっと………はじめまして。私は次世代型人造人間のナナです」
「はじめまして! 僕は……現行型現代人のダニエルだよ。どうぞご贔屓に!」
「ダニエルさん? ここはジェフさんのお店じゃないんですか?」
「最初のオーナーがジェフだったんじゃないかな、この店はメニューより早くオーナーが変わるんだ。
ちなみに今のオーナーはアンドレイさんだよ。もう三週間は顔を見てないけどね」
「ここはアンドレイさんのジェフの店という事で、あなたはアンドレイさんのジェフのお店の店員のダニエルさんですね?」
「うーん。と、たぶん? ごめん、向こうの客が呼んでるからもう行くね。どうぞごゆっくり!」
そう言い残すと、ウェイターは雑に料理をテーブルに並べ、誰もいないブースへと向かって、2人の視界から消えていった。
ツルギは視覚から邪魔者が消えたあと、何故か制御できないため息をつき、仕切り直しにナナの質問へ返答を始める。
「私たちが君を保護していて、栄養を摂らせる為にここに連れてきた」
「なんの話です?」
「君の質問に答えた」
ナナは目を大きく開きぽかんと一呼吸の間をかけ、「思い出しました。すこしメモリーが圧迫されたようです」と情報の選別に後手をとると、目の前に置かれた灰色のBLTサンドをつついた。
「私に栄養ですか……」
「君がロボットだとして、ロボットに食事が必要なのかは分からないが、食事というのはとても大切だ。
ただ生きるための必要条件ってだけじゃなくて、人間らしさを保つためのものでもある」
“ロボット”と言葉を選んだのは、アリッサの意見とナナの主張を尊重したツルギなりの気遣いだったが、発言の直後、言い知れないズレを確信した。
「私はアンドロイドです。
…………食事と人間性。そんな話初耳です。味覚や嚥下や咀嚼と脳と精神に何か相関関係があるのでしょうか?」
行動と感情と言われるとツルギは、人の殺し方を教わる際に学んだオペラント条件付けを思い出していた。しかし、この話は実体験があるからもっと単純に説明できる気がした。
「そんな難しい話じゃないよ。
私は長い間、ペースト状の完全栄養食だけで過ごした事がある。そんな時にチョコバーを食べている仲間を目撃した。
私は知らず知らずのうちに兵糧ペーストに飽きていたのか、その持ち主を殺してでもチョコバーを奪い取りたくなったんだ。
実行は当然しないし、持ち主は顔見知りで、頼めば分けてくれるような人物だった。
それでも、不思議なものだが、その時の私は一瞬だけ本気でチョコバーの為に殺意を抱いたたんだ。
食事を疎かにすると人間は人間らしさを失うようだ」
ツルギは、体験から興味の惹けそうな“面白い話”を選んだつまりだ。
しかし、それを聞いたナナはあからさまに戦慄を覚えた顔をしていた。
「……………」
「この話は……面白くないか……………。
……………そうだ。君の事を教えてくれ」
「チョコバーは持ってません」
「…………そうか」
会話が途切れるとツルギの頭には窒息という言葉が浮かんできた。
慣れない人や仕事と関係ない話をすると、いつもこの窒息してしまいそうなコミニュケーションの圧力を体感するハメになるのだ。
何かを話さなければならないが、何を話せばいいのか分からない。
対面に座る少女も気まずそうにサンドウィッチを頬張るが、明らかに間を持たせようと無駄に長く咀嚼を続けている。
「そうだ、ナナ、君には家族はいるのか?」
真剣での勝負であればツルギの初撃にナナはとても対応できなったという事だろう。
しかし、会話において突飛なツルギの質問は、少女の食事を思考レベルから中断させ、口を空にする為の動作へも遅延を生じさせた。
「……えっと、社会集団の最小単位の規律を学ぶため、私には、ママとパパと家があります」
ナナとの会話には、ところどころ引っかかる言い回しや表現が現れる。
両親と家があると一括りにするのは、翻訳の問題なのか、ニュアンスの問題なのか。ただ単に当人の言葉遣いがおかしいだけなのか、アリッサがいれば何かしらの推測を立てるだろうが、ツルギだけでは違和感の正体に推測すら立ち行かない。
「……その家はどこにあるんだ?」
「……家は家ですよ」
天然と呼ばれる人と話すような噛み合わなさ、アリッサもわざとこのような話し方をする時があるが、ナナの場合は答えの内容だけは真摯で素直で、全く悪意はないらしい。
「住所だ。この国か外国か答えてくれれば、君は親御さんのところへ戻れるかもしれない」
「……あなたの質問の意味が分かりません。私はいつもお勉強を終えると家にいます。
それを場所で示す事は出来ません」
単に住所は分からないのだろう、それがツルギの解釈だった。
ツルギもまた自宅という存在について認識が曖昧だったからこそ、納得できてしまっていた。寮生活と兵士育成施設、転戦先の基地、それらで人生の大半を過ごしてきたツルギも、家はどこだと聞かれると正しい答えが返せないのだ。
「………そうか。空や地形。そういったものは見るようにした方がいい。デジタルに頼らなくても自分の位置が分かるようになるからな」
ナナは困ったような、怒ったような顔で首を傾げた。
自分が音頭をとる会話に耐えられなくなったツルギは、サンドイッチに視線を落とし、人生で最もゆっくりと料理を口に運んだ。
「…………」
「…………」
崩壊した城壁のように居座る沈黙となかば現実逃避の黙食。
お互い偶に目線がすれ違うだけの時間の中で、それでも少しだけ構築された信頼関係が、ナナに自発的な行動を促し、アンケート用紙と記入用のペンを手に取らせ、相変わらず黙々と、サンドイッチ片手に、用紙の裏に図面のような家の間取りと3人の人物の写実絵を描かせた。
「これが私の家です。これがパパで、これがママ。そしてこれが先生です」
「上手な絵だ…………………3人目の男、名前は?」
「先生です」絵の出来を誇るように説明するナナに対し、ツルギはサンドイッチの残りを口に流し込み、ナナを待たずに席を立った。
「帰ろう。アリッサはまだ私たちに何か隠してるようだ」
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