第32話 内部監査

 玄関からツルギたちのいる部屋へは廊下で繋がっていて、そこにはアリッサにとって貴重な1人だけの空間が存在している。

 傭兵を見送ったアリッサは、その空間に特別な意味を見出すように立ち止まり、手慣れた所作でタバコに火を灯すことにした。

 

 タバコを取り出す時、必ず健康問題への注意喚起が目に入る。だから、アリッサはタバコを吸うたびに、ここまで自虐的にネガティブキャンペーンを行う代物もないだろうと思ってしまう。しかし、見方を変えればこれほど謙遜しても、この商品は売れてしまうのだ。

 依存性という言葉で片付けてしまうには、この葉っぱが人類の脳と文化に与えた影響は大きすぎるだろう。

 少なくともアリッサにとって喫煙という行為は、シャーロック・ホームズの音楽鑑賞と同じ効果があると信じていた。


 廊下の隅で、ほぅと吐き出された煙が上へ上へと流れ、安っぽい蛍光灯の下で鈍い金色に濁り、口の中には、焦げた葉の味と添加されたフレーバーが生暖かくこびりつく。それに伴って石垣のように積み上げられていた頭の中のごちゃごちゃが、少しずつレンガ造りの壁のようになっていく気がし始めた。


————————————————————

 

 アリッサが部屋に戻るとツルギと少女は相変わらず龍虎の構図のままだった。全く関係に進展はなさそうで、下手すると一言交す事もできていなさそうだ。

 アリッサは状況のどうしようもなさを察すると、2人の真ん中をわざわざ横切り、片隅に置かれているディスクチェアを引き摺って運ぶと、椅子に跨るように座り、背もたれに顎をのせ、睨み合う2人の中間に陣取った。


「ツルギ。今から略奪品の品定めを始めようと思うのだけど、何か聞き出せた?」


「いや。何も……」


 アリッサが戻った時、ツルギは獲物を狙うワニや蛇を思わせる嵐の前の静けさを纏って拾い物を見つめ、その中立な闘志が注がれる拾い物は、待機モードの家電を思わせる無機質な雰囲気で立ちすくんでいた。

 アリッサの予想通り、2人は様子見する互いを様子見していたらしい。


「……口下手にもほどがあるでしょ……じゃあ、交代するわ。私、子供の頃は保育士になりたかったのを思い出したわ」

 

 アリッサは、舌でクリック音を発して、少女の意識を惹きつけた。


「今からいい刑事へ担当が変わったわ。私はアリッサ。さて、貴女は誰なのかしら?」


 アリッサの顔が少女の青い目、円を四等分した特殊な虹彩に映り込む。


「私………は次世代型ネクスト人造人間アーティファクト・ヒューマン7号」


 そう自称する少女の外見は、確かに人間離れしている。

 機械であれば不気味の谷はとうに飛び越えた整い過ぎて印象の無い顔たち。本来なら所作の中に散在するはずの指先や目に現れる精神状況の露出の少なさ。

 目が覚めたら知らない場所で、知らない人間に問い詰められてる現状では異様なほど反応が希薄だ。


「……それは、つまり、アンドロイドってこと?」


 納得を保留してそう問いかける一方で、アリッサは目の前の少女の精巧すぎる人間味も確かに感じていた。

 指関節や膝には、毛細血管と関節が連動する生物らしい流動的な血色があり、全裸だからこそ見える部位にも第二次性徴期過渡期の混雑した成長過程が顕在している。

 これらを人工的に再現できるとすれば実用性を度外視し、メンテナンスに莫大な費用をかけられる大金持ちの変態だけだ。


「その質問は部分的に該当します」


 極限まで人間に寄せた肉体を備えた自称アンドロイドは、並のAIからしても前時代的なぎこちない返答が繰り出した。

 アリッサは胸の内でこの臭すぎるチグハグ具合そのものに違和感を覚えつつも会話には疑念は滲ませずに会話を続けた。


「ふーん。なるほど。完全に無機物のみ製造された人型の機械をアンドロイドと定義する場合、あなたはアンドロイドでない?」


「はい」


「内部に有機物があると?」


「はい」


「それは生体部品?」


「お答えできません」


 サイボーグとアンドロイド。構成物質から見るとこの垣根は曖昧だ。

 人間の皮膚や臓器も培養できる以上、アンドロイドにそれらを搭載する事もある。遺伝子工学の分野では、動物の遺伝子を組み込んだ筋肉や臓器を開発されている。

 また、この自称アンドロイドの思考力が記録的に馬鹿だった場合、内部に混入した雑菌でも有機体と言うだろう。

 とどのつまり、酒と大麻の匂いがする自称救世主の生まれ変わり同様、有機物の内包を自認してからといって、目の前の少女の正体が断定できたとは言い切れない。


 「ふーん」と相槌を入れ、アリッサは次の質問を考える。

 しかし、この僅かな間の中で、初めて少女から能動的な反応を見せた。

 微かに何か念を押すように目を細め、アリッサの目を覗き込んだのだ。

 アリッサはその微妙な仕草に、少女の心情の断片を見出すと、口撃の手口を確定させる。


「あなたが内臓している。有機部品の箇所を解剖学的に教えて」


「その質問への回答は、機密保持のため回答できません」


「じゃあ、無機物の部位は?」


「その質問への回答は、機密保持のため返答できません」


 返答の速度は先ほどと全く同じ、まるで定型分を送る自動返信システムだ。

 機械なら当然の機械っぽさだ。が、人間がそれをやる時は、うまい嘘が浮かばずに言葉を濁す場合だ。


「でも、どうしても知りたいの。知る必要があるのよ」


「お答え——」


 少女が返答を口にすると同時に、アリッサは人差し指を立て、「待って」と遮り、立て指をカクカクと動かしてツルギを指差した。


「ツルギ。ポートを“ア”にしといて。“レ” “タ”でもなく、“ア”にしといて。それでいくつまりだからさ」


 言葉のしめにウィンクを付け足す。ツルギは特に表情を変えず小さく頷いた。

 その一方で、少女だけは見るからに疑問符を浮かべて2人の間に視線を泳がせていた。


「なんですか? 今の会話?」


「こっちの話。あなたにはちっとも関係ない。今のところは」


「今のところは?」


「話を戻すより……少し具体的に進めましょう。

 肺、腎臓、肝臓、胃、血液。この中でホモ・サピエンスに流用できる部位があなたには含まれているかしら?」


 アリッサは意図して表情を柔らかく作り、まるで嗜好品の好みを尋ねるようなニュアンスで露骨な質問を投げた。


「………ありません。全て人工物です」


 少女の鼻腔、眼運動に如実に動揺が現れ、言葉のニュアンスは崩れ、慣れない嘘のえぐみに無意識に唇を舐めていた。

 アリッサはその反応に満足そうに頷くと、満面の、しかし、過度なまでに喜びを押し出してくる笑顔を選択した。


「それって大当たりじゃない! 貴女って体重イコール有価物って事ね!

 そこのツルギってのは、日本人でね、日本人はサメでもフグでもぜーーんぶの部位を切り分けて、処置できるのよ!

 そんな天下の解体名人日本人でも、人間でやると廃棄物が出てしまう。ところがあなたの場合はそれが出ない! 私のような臓器売買ブローカー垂涎のコストパフォーマンス最高素材じゃない!」


「わ、わた、私は!」


「もう何も聞かないわ! 後は見れば済む事だもの!」


 少女の顔から分かりやすく血の気が引いた。右手は緊張から頑固に握りしめ、左手は開閉を繰り返しながら震え、目は忙しなく逃げ道を探そうと部屋を各所に配る。


 もし、世間知らずな少女が、イカれた人体解体業者に捕獲された事を知ったら、こんな反応を示すだろう。

 しかし、彼女が身の危険を感じたのはアリッサが詐称の身分で、PTSDを発症しかねないほど過度な身の危険を感じさせてからだ。

 普通の人間ならそれ以前に、この状況に陥った時点で警戒心を抱くのが当たり前だ。


 この少女は、人格が2つあるかのように、明らかに感情と論理思考を2つの性質を示している。


 アリッサはその意味への確実な回答は導き出せなかったが、この少女がサイボーグであると確信した。

 加えて、何かしらの自己学習型思考回路が搭載され、恐らく深層心理レベルで、彼女の行動と思考は制限されている。


 その見解をもって、アリッサは自身の計画がまだ実行可能であると決断した。この一連の質問は、企業がこの少女にどれだけ資産を投入しているかを探る為のブラフで、その結果、少女には市場未発表の技術が使われていると踏んだ。


「えーっと、ネクスト……面倒くさいわはね、ナナ、ナナって呼ぶわ。えっと、ナナちゃん。ドッキリ大成功よ」


「?」


「ツルギ、ネタバラシして」


「ア、タ、レ、は、安全、単発、連射。日本の銃火器の発射状態を示す記号の頭文字だ。

 アリッサが言った“ア”は、つまり、君対して反吐が出るような事を言うが、これは計画の内で、私を止めるなって意味だった」


「??」


「ネタバラシも済んだところでなんだけど、困ったわね、私たちはあなたをどうするべきなのか、全く検討がつかないわ。売れないし、返せないし、捨てれない」


 アリッサの頭の中に修正された青写真が完成した。この計画に基づいて彼女が欲したのは状況の安定と時間の猶予。

 既に放った言葉は、それを手に入れるための一発目の楔だ。


「…………私を元の場所に返却するべきです」と次世代型アンドロイドは当然の要望をした。

 アリッサは、それを「どう思う?」とツルギへと投げ渡す。


「複雑な点がある」と始め、ツルギは戸惑いを見せつつも少女に現状を説き始めた。


「君は不正に運び出され、私たちは君を誰もいない廃墟で見つけた…………私たちの君を元の場所へ返すと、君の帰るは意味が変わってくる可能性がある」


 その言葉を隣で聞いたアリッサは「あなたはそれしか断言できないでしょう」と胸の内で呟き、2人には肯定の頷きで態度を示す。


「…………………」


 アリッサの言葉を第三者のツルギすらからも肯定された少女は押し黙った。 


「ツルギの言い回しは難しいわよね。

 端的に言うと、あなたは砂漠に置き去りにされたいと言ってるけど、それで良いのかって話し」


「砂漠……」


「デッドリーデザートよ。この惑星で最も熱い土地。

 あなたが見た目通りの体力なら4時間で死ぬ。それでいい?」


 機械のプログラムにしろ、人間の感性にしろ、「お前を壊してもいいか」に賛同する事はない。アリッサが展開している会話は、彼女お得意の返答の答えが決まった点検確認のような体をなしていく。


「そ、そもそも私をなぜ、こんなところに?」


「手違い。あなたがここにいる事を望んでいない同様、私たちもあなたがここにいる事を望んでいない。

 あなたの扱いに困ってるから、あなた自身に決めてもらおうと思うの」


「決める? 私が?」


「そうよ。死にたいか、生きたいか。あなたがこの質問に答えれば、後は私たちが実行するわ」


「………私は、私の破壊は望んでいません」


「自己の破壊は望んでいないか。

 オッケー。実は私たちも同意見だ」


「あなたたちも同意見?」


「あなたを盗んだ事がバレると厄介な事になる。このリスクへの対処に関して、ある条件を除いた場合、君を完全に始末して抹消する必要が生じてしまう。

 ただし、ある条件、この場合はあなたの協力だ。あなたが協力してくれるなら、私たちは君を全力で保護しよう」


「………」


「返事は? 協力してくれないの?」


「……します」


 機械と人間の性質を併せ持つ少女が、自身の演算した答えを自発的に疑う事はないと確信して、アリッサは手を差し出す。


「よろしい。よろしくね、ナナ」


 アリッサの推測では、彼女は人間だが、明確な証拠は無く、やはり彼女が高度なAIを備えたアンドロイドか電波系の人間なのかは釈然としない。

 しかし、どちらにせよアリッサの話術が通用するという事だけははっきりした。その事実だけでアリッサは満足していた。

 

 

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