第31話 待機児童
素肌を使い込まれたミリタリージャケットだけで隠した少女は、現在進行形で発生している起きたら他人の家にいたという事態に理解が追いつかないのか、周囲をゆっくり見回し、アリッサやツルギの顔を精密検査器のように視線で舐め上げる。
「……ファルコン。報酬をもう一度確認して。間違いがなければ帰っていいわ」
声に反応して少女の目線がアリッサに向き、そんな視線に見つめ返す事で応えつつアリッサは会話の矛先をファルコンに選んだ。
複数の問題が列を作って並んでも当人に出来ることは優先順位をつけて一つ一つ解決していくことだけだ。
少女がいきなり暴れ出しても、ツルギなら対処できる。しかし、この場に居合してしまったファルコンが倫理的な問題を持ち出してきたらそのツルギは必ず混乱を起こすだろう。
アリッサとて、“少女”と呼称しているこの物体が、炭素由来の有機体であれ、ケイ素由来の無機物であれ、一番の問題は人の形をしている事だった。
「お前、この状況でか?」と当然の反応をファルコンは返す。
人の形をしているが故の問題が既に芽吹いているとアリッサは事務的なまでに話を進め続けた。
「えぇ。外まだ送るわ。ツルギ、あなたはソレを見ていて」
「おい。もう契約は切れてんだ。俺に指図すんじゃねぇ!」
「ファルコン。あなたはプロとしてここで引き下がるべきよ」
「そんなの関係ない。おまえはその子をどうする気だ? 俺は人身売買なんぞには絶対加担しないぞ。ましてや子供を売り飛ばそうなんて奴は………」
人道的で感情的な言葉の羅列が、一層アリッサを億劫にさせた。
人と機器を集めた挙句が児童誘拐程度なわけがない。
「ファルコン。この街の裏社会で生きていくとはこうゆう事よ。
あなたに落ち度はない。この金で少し良い酒でも買って忘れなさい。
それがこの業界で長くやっていく秘訣よ」
怒った傭兵と道徳の議論は出来ないと踏んだアリッサは、あえて挑発的な言葉を選び、誰がどこまでやるかの匙加減に掛けた。
「そうかい?! クズを1人減らせるなら、今死んでもいいかもな!」
ファルコンは銃を抜いた。子供っぽいモノを守る為なら、その目の前で丸腰の女を撃ち殺せるらしい。
そして、「ファルコン、よせ」と声と共に、何が高速で風を切る。
ガキンッとファルコンの手元で火花が散ると、彼が構えていた拳銃は、ナイフで壁に磔にされていた。
「ファルコンよせ。子供の前だ。……カタをつけるにしろ、怒鳴り合うならこの子の聞こえないところでやれ」
ツルギのこの行動をアリッサは予見していた一方で、期待が裏切られるとも考えていた。だから、この結果は良い塩梅なのだろう。
状況は膠着したままだが、誰が明確な考えを持っているのかだけははっきりとしたのだから。
「そうね。ツルギの言う通り、河岸を変えましょう。ファルコン」
周囲の極端に断絶した温度差のままアリッサは率先して部屋の外へと移り、その後を項垂れた傭兵が続く。
アリッサは、後をついてくる男から漏れ出る後悔の念を感じとりながら、冷めた感想を抱いていた。
子供を守ろうと行動する人間が、子供の目の前で人を撃ち殺そうとした自分をどれほど責め立てるから想像し難いと。
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「意味が、状況が、分からなぇ………」
廊下に出た途端、ファルコンは自らの顔を手で覆うと、少し前にツルギそうだったように床へとへたり込んだ。
「奇遇ね。実は私も」とアリッサはあっけからんに同意した。
「少しは冷静になれた? ファルコン?
誰も状況が分かってない。だから、取り返しのつかない結果だけは避けているのよ。
例えば、あなたが正義の勘違いの下に、私を撃ち殺したとして、その後はどうするの、とかね」
「……………」
「私の死体と飛び散った脳味噌を片付け、あの女の子の顔にこびりついた脳漿を拭いて、ツルギとあなたであの子を育てる?
はみ出し者2人の子なんて、碌な人生を送れないでしょうね。それ以前にあんたらは殺されて、あの子は連れ戻されて終わり」
アリッサが相手の心を抉るように選んだ言葉は、誰が目の前で死ぬという状況は、従軍経験のあるファルコンにとって、被害者、加害者、目撃者、全ての視点で生々しく想像できる出来事で、狙い通りの効果をもたらした。
「分かってる。分かってるさ、少しカッとなった」
「それは違うわ。あなたのアレはパニック発作よ。過酷な状況で生きる為に暴力を行使した人間は、だいたいそんな反応を示すものよ」
「俺の事を調べたのか?」
「そんな面倒な事しないわ。ただあなたの行動を分析しただけ。統計は心の傷も視覚化するのよ」
アリッサは淡々と言葉を言い終わると、あえて沈黙を選んだ。相手に冷静なる猶予を与え、自身の思考を冷却する為の時間だ。
「……じゃあ、その立派なお脳味噌に尋ねるが、あの子をどうするつもりだ?」と大きくため息をついたファルコンからようやく建設的な意見が取り上げられた。
「判断するには情報が少な過ぎる。だから、まずはアレがなんなのかを調べるところから始めるわ」
「“アレ”なんて言い方をするな。あの子——」
「あなた、人間を機械に繋いでケースで持ち運ぶ理由って考えられる?私は考えられない。でも、アレがアンドロイドなら説明できると思わない?」
問題の根幹はソレだった。人の形をしているからといってそれが人間だとは限らない。
アリッサにとっては人間でない方が好都合だが、ファルコンには示すのは人間でない可能性だけでも充分な効果を得られるほどの衝撃だろう。
「………」
「だから、アレを現段階で識別するならば、企業が流出させた資産よ。
これも推論だけどね。部屋に戻ったら突き詰めていく事にするわ。
ほら、ここからはあなたの任務じゃないのよ。家出少女の胸襟を開くなんて訓練受けてないでしょ?」
1対1の会話なら誰が相手でも主導権はアリッサが握れる。
相手の心を抉り、そこに完璧に一致するようにトリミングした言葉こそ彼女の最大の武器であり、彼女の唯一の命綱だ。
「……分かった。だが、これはあんたを信用したわけじゃないがな。
ツルギさんがいる限り、お前はあの子に馬鹿な真似はできないだろう」
ファルコンの言葉には彼の願望が見え透いた。確かにツルギはアリッサが少女に対して凶行を及ぼうとしたらストッパーになるだろう。
だが、彼女がそれを行うのはファルコンのような道徳心ではなく、彼女独自の信条によるものだ。
この違いは、誰よりもアリッサにとって好都合だとは思わないだろう。
「半分当たりね。盗んだ品物をどうすべきか考えるてるこの状況からして、相当馬鹿らしいモノだわ」
アリッサは頬を緩ませながら、玄関を開け、来客を見送るドアマンのようにファルコンへ行動を促した。
傭兵が帰り、玄関を閉めた事で、アリッサの問題はやっと巨大な一つの大問題だけに絞れたのだった。
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