第28話 斥候

「テス。テース。これは通信テスト。本日はとてもとてもお日柄もよく」


 唐突に電波の波形から現れたアリッサの声は音質の明瞭さと共にツルギとファルコンが置かれている過酷な環境を盛大に皮肉った。

 2人のいる地点は、確かに雲一つなく太陽はさんさんと輝いているが、地平線まで砂と岩が続く大地は徹底して荒廃し、大気は湯立って陽炎を生じさせている。


「ツルギだ。感度良好。どうぞ」


 無線通信に対して条件反射的に堅苦しい返答をするツルギに、急造の相棒もしきたりかと倣う。


「……ファルコン。感度良好。………どうぞ」


「OK、OK。お互いの声はよく聞こえるわね。まるで私たちの心の距離と比例してるみたい。

 さて、ナビの表示する限りでは、あなたたちは目的地にはついた感じかな。そこから何が見える?」


「何も見えない。ゲッコーより……どうぞ」


「同じく。サンド砂埃ダスト埃っぽい砂漠ダスティーデザート。ここはDDだぜ」


「分かりやすい説明をありがとう。それじゃ、車で200mくらい東に向かって。

 軍が使う地図でアルファベット2つ分よ」


 プツと通信終了の音を聞くと、すかさずファルコンがぼやく。


「俺たちまるで高価なラジコンだな。な、ゲッコー?」


「…………癖なんだ。揶揄わないでくれ」


「ゲッコーってのはコードネームか?」


「昔使っていたものだ。今の私はヤモリ・ツルギだ」


「なるほど、俺は紳士だからそれ以上は聞かないぜ」

 

 2人の乗る車は砂に足を取られない程度に早く、しかし砂を巻き上げない程度の警戒心を待って砂漠を進む。

 モーター駆動の静音性と錆びた車体は、同系色の大地に上手く溶け込み、タイヤから伸びる歪な影だけが彼女たちの存在を匂わしていた。

 

「ビーコンで追う限り、お二人さん子鹿みたいに慎重ね。まぁいいけど。

 そのうち目的のゴーストタウンが見えてくると思う。

 あ、廃墟群の事よ。幽霊屋敷の事じゃない。幽霊屋敷といえば………」


 耳障りなナビゲーションを遮るようにツルギが送話モードをオンにした。


「目標地点に到着。推測通りの町が見えた」


「せっかくのツアーガイドだったのに……OK。今あなたたちは昔の国道の上にいる。そこが街の玄関だった辺りなの。

 町はあなたたちの辺りを起点に賽の目上に広がっていて、東北700mほどにガソリンスタンドの慣れ果てがあるばずよ。そこが目的地。欲しいものはその中。

 建物の情報として、給油設備は南に面してて、そこから北西に整備ガレージ。北東に事務所跡がある。

 たぶん、高さ10mくらいの看板も残っているはずよ。少なくとも基礎はあるはず」


 ツルギが誘導通りに目を走らせると、確かに廃墟の町とそれを悼む墓標のように町外れに看板の残骸が立っているのが見えた。


「見えた」


「OK。こちらでスキャンしたところ、その辺りはグリーンランプを灯せる。知的生命体の活動は確認できない」


 ゴーサインを受けたツルギの中で、任務への献身と経験から警戒がせめぎ合い、言語化の難しい胸騒ぎのような違和感が芽吹いた。

 それがアリッサへの猜疑心からくる疑心暗鬼なのか、第六感が告げる警告なのかを考えている横で、相棒が会話に割り込んだ。


「………おかしいだろ。企業から持ち出された物が護衛も何もつけてないはずはない」


 それだ。とツルギも目で頷く。自分たちの計画は攻撃に関して有利だが、一筋縄で完全勝利に結びつくほどの優位性はありえない。

 程度の差こそあれ、敵も誰かが荷物に手を出そうとしてる事は想定しているはずで、アリッサがそれに言及していないのは、作為的な意図を抱かせる。


「その通りね。言葉選びが悪かったわ。あなたたちがつがいを見つけたら発情期のウサギに荷物に突き進んでく可能性を失念していたわ。

 よく聞いて、“私は存在しない”じゃなくて、“確認”できないと言ったの。

 つまり外部と連絡をとっている者は確認できないけど、無線機に鉛テープを巻いて息を殺してる連中はいるかもしれない。

 言ってしまえば私たちの電子的諜報シギントはこの程度の結果だ。

 ここからはあなたたちの人的諜報ヒューミントに頼るわ。

 こっちも無線を封鎖するから後はそっちでよろしく」


 至極当然の返答だ。一方で雑念の入る余地のある指示は緻密な計画とは呼べない。そこまで考えたツルギは不意に“素人の集まり”とこのメンバーを称したアリッサを思い出していた。

 この計画自体が杜撰であるから、成功させるにも個々の能力を最大限に使う以外に方法はないだろう。


「………ファルコン。敵がいると仮定して、気づかれていると思うか?」


 窓からゴーストタウンを漠然と見るようで、つぶさに気配を探し回るツルギ。彼女の頭の中では作戦立案と索敵という全く別の作業が同時平行で行われていく。


「その点は心配ないだろう。

 車はモーターオンリーで走ってた。何よりこの風だ。音も砂埃もかき消されてるはずだ」


「同感だ。こっちが風下で、町の中に臭い、音、動く気配は感じ取れない」


「しかし、ここで得られる情報はこれくらいだな。

 スコープを使おうにもこの気温じゃ熱探知は役に立ってない。

 家屋内を見たくともこの光量じゃ、暗視のしようがない」


 ファルコンの視覚に対する意見は、ツルギも納得していた。赤外線も光量増幅も真昼の砂漠では相性が悪い。

 残る遠視も索敵に掛かる所要時間に対して見返りが多いとは言えない。


「アリッサの言葉を解釈すれば、敵は少なくとも厳重体制にはないと言う事だろう。

 それなら時間をいたずらに消費して射程距離外からの攻撃に慎重になるより、いっその事走って目標建造物に到達して、回収物を手に入れれば済むかもしれない」


「………その場合、起こる戦闘は不意の遭遇戦だぜ?」


「近距離の戦闘なら私は負けない。ここで狙撃や爆撃を待つより、銃を突きつけられるほうが気が楽だ」


「イカれてる。でも、悪くないな。西海岸人の好みに合ってる。

 それに“危険を冒す者が勝利する”というからな。あんたは日本人で、すごいサイボーグなんだから、いっそニンジャパルクールで家屋の屋根伝いに移動するのはどうだ? 

 俺がついていけるか分からないがな」


「…………何と言ったらいいか……ファルコン。君を信用してないわけじゃないが………君には監視任務を頼みたい」


 その言葉に一番怪訝な顔をしていたのは発したツルギ自身だった。

 もっと上手く兵科上は似ている2人の役割を現場レベルで擦り合わせた際の際に言及していれば、ニュアンスは変わっていたかもしれないと。

 そんな言葉足らずに表現されたツルギの意図を、ファルコンは高精度に読み取った頷いた。


「そうだな。実は撃たれた事はないが、鼻を折られた事は2回もある。

 間違えられて3回目を体験するのはごめんだ。

 お互いの一番得意な分野でカバーしあう、それでいいな?」


 今度はツルギが頷いた。


「了解したぜニンジャさん。

 あんたは8分の間に最西の建物まで到達して、余った時間はそこで待機してくれ。

 その間に俺は監視ポイントを見つけておく。

 ポイントに到達したら、俺は通常作戦規定から性別と年齢の制限を省いて監視対象を識別する。

 つまり、あんたを除いた誰が現れた場合、そいつが男でも女でもアメリカ人だろうが日本人だろうが、年齢関係なく明らか攻撃行為の確認時のみ発砲する」


「分かりやすい」


「だろ?

 それ以外では俺はあんたの頭から離れたもう一つの目玉だ。

 あんたの死角を取れる奴がいるとは思えないが………それでも俺のライフルが多少の気休めにはなるはずだ」


「気休めなんてものじゃない。私は背中を気にせずに動ける。とても頼もしい限りだ」


————————————————————


 作戦行動に移ったツルギは匍匐前進の要領で進み、人が残したとは思えないガラガラヘビの足跡に似た軌跡を残してゴーストタウンへと潜入した。


 第一目標の建物に到達したのは示し合わせた時計で2分後。

 家屋の影で待機に移ると狙撃手の準備を待つために砂漠の起伏に体を埋めた。

 ツルギとファルコンの意思疎通は、戦闘教義の下で統一された阿吽の呼吸をつくり、意図的な信号を発する必要なく連結されていた。

 8分が経過。ツルギは地面から体を起こし、猫の身軽さで、猫以上の静かさで屋根へと飛び上がる。


 狙い通り一番頑丈な梁の上に飛び乗り、高い視点と広らけた視界の中でちらりと味方狙撃手の潜伏先に目を向ける。が、視界が捉えるのはごく自然な砂漠の風景のみだった。

 どこかに存在するはずの人間の輪郭と自然界に存在しない銃口の真円は、巧妙な技術で自然界に溶け込んでしまっていて、感覚器官を信じる限りツルギを見守っているのは、形而上学で追及するべき存在だけにすら思えた。


「…………」


 関心の名を持つ雑念を断ちツルギは作戦行動へと再び移る。

 屋根から屋根へ、機械工学で造られた身体が創作物の忍者さながらに建物間を飛び移り、目標の建物へは壁を伝って窓から忍び込んだ。


 炎天下から屋内へ、閉鎖された空間では、反響音、対流、磁場といったツルギだから捉えられる感覚で周囲を探り、無人を確信する。

 同時に手に入れていた視覚情報から、この建物は、使われなくなった車両整備用のガレージらしいとも推測を立てた。

 過去には建物門番を務めていたであろうシャッターは、今や完全に閉まらず、隙間風が砂埃を呼び込み、その砂で床と整備ピットが、砂漠の一部と化している。

 天井からは断熱材が臓器のように垂れ、壁一面には工業機械の残骸と空の棚ばかりが並び、部屋の中央には車両点検用の昇降装置が朽ち果てるのを待っていた。

 総じて紫外線で褪せ、建物全体が古いポラロイド写真から切り出したような佇まいで、それが内部まで侵食し、しゃぶり尽くしている。


「諸行無常か……」


 アリッサがここをありきたりにゴーストタウンと呼んだ事を思い出していた。

 実物を目にしたツルギからすると、幽霊よりも腐乱死体の方が正しく思える。

 腹を刺され少しずつ生命力を失っていくように、この町は少しずつ人の手が離れて壊滅していったのだろう。

 ここはもう墓場同然で………それ故に墓石と生花のように、ごく最近新しく人の手が入った物は簡単に見分けられた。


 ガレージに吹き溜まった床に真新しい集団の靴跡があり、シャッターを開けて侵入したようで、入り口付近は既に消えているが、奥に行けば行くほど鮮明に残っている。


 見回りに入った者が一名。何か箱状の物を運び込んだ2名の足跡だ。歩幅からみて3人は男性。

 ツルギはその中から運搬者の足跡に注目した。

 一定間隔で並列した2人分の足跡は、2人ががりで箱型の荷物を運んだ事を物語り、恐らくその重量は100kg程度。

 そして、足跡がもたらす最も重要で明確な情報はその人物たちがどこへ移動したのかだ。

 これに必要な推察力はごく僅かで、目玉を動かせば彼らの目的地と、そこで何を成したかは一目瞭然だった。


「やっつけ仕事か………罠の2択のようだ」


 足跡はガレージ奥の一つだけ金属製の長テーブルまで続き、テーブルのツルギに面した部分を壁から取り外した工具ラックが多い隠し、反対側は不自然に壁にぴたりと寄せてある。

 しかも、その机の足には摺って動かした後があり、何かを机の下に隠してあると判断するのは難しくない。

 

 ツルギの目測では片手で十分動かせる机だが、彼女はまず慎重に机の周囲を見回し、覗ける隙間は全て覗く。

 警戒しているのは、ツルギの所属した部隊で“ネズミ避け”と呼んでいた仕掛け爆弾の類い全般だ。

 この砂塵の舞う廃屋という状況であれば、レーザー光線タイプの起爆スイッチは誤作動の危険が高く選ばないだろう。

 そうなれば、使うのはワイヤーやスプリングといった物理的な動作によって作動するタイプの起爆スイッチだ。


「……電気回路と性格が悪いほど効果的な爆弾。アリッサなら天才的な腕だろうな」


 そもそも爆弾があるかどうかも含め、目視の確認とセンサーで磁場を探る。

 

「無いな。こんな埃と振動が多い場所で使うなら電気信管しかない。電気信管なら、回路内の電磁波を感知できる」


 唱えたのは経験と教本の一節。自身以外の何かに根拠を求めたくなる程度にツルギは爆弾が嫌いだった。


「絶対ない」

 

 再び唱えると、机を壁から摺り動かす。脚が軽く何か重く硬い物に触れた感触があったが、ツルギの体が爆風に引き裂かれるような事は起こらなかった。


「……………アリッサが本当の事を言ってたなんて、それこそ嘘みたいだ」


 ツルギは、おざなり隠されていたテーブルの下から目標らしいケースを発見した。

 

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