第25話 職人気質

クリアの隊長を伴いユニットバスへと入ったアリッサは、予想していた真紅の一色の匂いに思わず鼻を手で覆う。

 焦茶色のシックな浴室の撥水処理を施されたタイルには、液化したルビーの如き血飛沫が輝き、天井からは赤い小雨が、壁から緋色のヒルのような雫が排水口へと群れをなしていた。


「ひどいわね。これなら価格設定をグラム単位にしとくべきだったわ。

 たぶん、これ下顎で、その上がないけど頭部よね、ってことは下のこれが胴体。

 うーん。死んでる。あなたたちの仕業?」


 隊長は死体を直視すらせず、手で臭気から鼻を守りくぐもった声で答えた。


「俺たちが来た時にはこうだった」


「でしょね。あなたたちの趣味っぽくないもの。この人を見てどう思う?」


 アリッサの鼻は血塗れに慣れ、思考に至っては戸惑ってすらいない。短い会話と隊長の態度からして、この惨殺死体の制作者がこの者たちでない事を確信していた。やっと仕事に本腰を入れ始める。


 露骨に死体を忌避していても、クリアの隊長は兵士としてのプロフェッショナル性は保ち、客観的な事実から推測を口にする。


「何がまずい情報を掴んだのだろう。

 拷問でそれを吐かせた後、口封じに殺した。俺たちやあんたら保護を依頼されたのとも辻褄が合う」


 アリッサは小さく頷き、ぴちゃりと血溜まりの一つに靴跡を残してながら、死体によりつぶさな観察の目を向けた。


「よく見てよ。義手が内側にひしゃげてる。酷い激痛による過負荷で自壊したのよ。

 それにバスタブの不自然な血痕はコードの後ね。たぶん、電算脳にインポートして痛覚リミッターを切ったんだわ」


「それ以上触ってやるな。とりあえず死んでいるのは間違いないだろ」


 興味で死体を眺めるアリッサを、正義感の声が差し止める。


「痛覚リミッターにアクセスできたのなら、情報も抜き取れたはずよ。感情や記憶といった概念的情報でない限りね。

 それなのに拷問を加えてる。そんな手間をかけたのは、この男は情報を頭の中には保持してなかったからよ」


 クリアの小隊は人助けに来たが、アリッサの“護送対象”は“人”そのものではなく、その“中身”故に、2人の齟齬は任務の性質の違いから生じる軋轢だった。


「それがマザーグースの目的か。………この男は最後まで情報を吐いていないから、拷問者は情報を吐かせる前に殺しちまったわけだ」


「そんな感じね。命を賭してまで何かを守れるのは偉大だけど、こんな最後はまっぴらよね」


「人間は負けるようには作られていない。殺される事はあってもな」


「ヘミングウェイね。護衛対象が死んだあなたたちには関係ないけど、私は彼を勝たせる事ができるかもしれない」


 アリッサは言葉が上手く相手の琴線に引っかかる感触を得て、胸の内で自画自賛の拍手を打った。

 ツルギにも言える事だが、“規律ある武装集団のメンバーは、大義に対する犠牲に信仰的な達成感を感じる”という読みがあったていたからだった。


「それならここを捜索する間、俺たちがあんたらを守ってやる」


「…………お人好しね、ツルギと気が合いそう」


「それで、手掛かりはあるのか?」


「この部屋って、コーヒーの匂いがするわよね。誰か飲んでる?」


「現場では飲まないさ。だが、キッチンに粉末コーヒーがあったな」


「この血臭い部屋でもコーヒーの匂いがする。通常の残香ではありえないわ。つまり、ここでコーヒーは大量に持ち込まれ、一部はエアロゾルとして飛散したと考えられるわ。

 つまり、コーヒーの粉末をトイレに流したの」


「……コーヒー缶に何かを隠す為か」


「えぇ。電算脳に取り込んだ電子データは外部出力して、脳から消す事もできる。

 拷問官に“知らない”を言い通すにはぴったりの方法でしょう」


 アリッサは浴室を飛び出すと、ツルギとクリアの隊員に目で追われる事を意に介さずキッチンへと向かう。


「アリッサ。急にどうした?」


「仕事を終わらせるついでに、全員にコーヒーを淹れようと思ってね」


 キャビネットを一つずつあけ、目的の缶を見つける。


 大容量サイズの缶が2つ。一つは使い掛けで、取り外し式の蓋に穴を開いていた。もう一つは梱包こそ剥がされているが、蓋に開けた痕跡はなかった。


 アリッサはその両方を取り出し、中身を流し台にぶち撒け、缶の底を見る。

 一見新品に見えた方の缶の底に、蓋を加工して作られた即席の格納ポケットを見つけた。


「ほらあった。データチップだわ」


 コーヒーの粉と気密パケで梱包された親指爪大の基板を手に入れたアリッサは、中身を確認せずにそのまま収納ケースへと差し込む。


「積荷確保よ」


 アリッサを除いた全員が不満そうな顔で揃えるなか、クリアの隊長が呟く。


「………その中に、男が1人の命を賭ける価値があると思うか?」


「さぁね。私はただマザーグースに使われてるだけ。これの中身なんてどうでもいいの。

 プロは自分の役割を分かっているものでしょう?」


 アリッサの言葉に誰も返答はしなかった。

 職業軍人の系譜であるクリアのメンバー

は、厳格な指揮系統を用いて戦力に万能の対応能力を持たせている。指揮系統は目的を達成する為に求められる行動を脳から四肢に伝達するのと同じだ。そこにはリレーコイルと通電機構と同じように論理的な性質があり、脳の命令に四肢が異を唱える事はない。

 この性質に似たものが、知るべき事の原則”として、アリッサとクリアのメンバーの間でも発生した。


 アリッサは必要以上な事は話さず、クリアも人間として抱く好奇心を自制して必要のない事は尋ねない。

 アリッサが伝える必要があり、クリアが受理すべき文言は“任務完了”ただそれだけだった。


「そうだな。状況終了。撤退だ」


————————————————————


 理性を保った武装集団から別れたアリッサは車まで戻り、車体側面に寝転んだ。


「何やってる? 撃たれたかと思うだろう」


「発作的な被害妄想に襲われてるのよ」


 ツルギや通行人の好奇の目も厭わずアリッサは、ズリズリと背中で音を立て、ベロニカクーペの車体下へと顔を突っ込んでいく。


「………爆弾か? 車体を持ち上げるか?」


「やめて、サスペンションに仕掛けらてたら、その時点でドカンよ」


「普通の爆弾なら遠隔操作で起爆するだろ?」


「そんな爆弾を持ってるならさっきの部屋で私たちより先にクリアが吹き飛んでるわ。

 仕掛けられてるなら、50パーセントくらいで見つけられる、並の仕掛けだと思うのよ」


 車体下部を調べ、次にボンネットを開けて運転席パネルの裏を調べる。

 アリッサが探したのは、走行中に運転手を爆殺するように、サスペンションの軋みやエンジン電装に取り付けられた起爆装置の配線だった。


「無さそうね」


 念入りに調べ上げた後に運転席に乗り込むと、バックミラーの取り付け部に備わったサングラス用の収納部を開口させる。


「貴女には教えとくけど、これは普通の漏電検知機よ。それをキーシリンダーの配線に繋いで、一度でも切断された例え繋ぎ直しても分かるようにしてあるの。で、今回は大丈夫だったみたい」

 

 ツルギが乗り込むのを待ち、エンジンを始動。

 車体はエンジンの動きに合わせて振動し、全ての機能が問題なく起動した。


「クリアのメンバーが私たちを殺そうとしているとビビってるのか?」

 

「違うわ。誰が何をしようとしているかわ、分からないの。ただ何かしているのよ」


「データチップを隠したのは、あの哀れな挽肉男じゃないわ。

 コーヒー粉末はトイレの給水タンクに捨てられていたの。捨てた事がバレない方がいいのに、わざわざあんなとこに捨てない。

 誰かがあのデータをクリアか私たちに見つかるように隠したの。マザーグース経由で誰かに渡す為にね」


「何の為に?」


「分かるわけないじゃない。これこそ“知るべき事の原則”よ。私たちは、今のところ“誰か”の意に沿って動けているみたいだから、このまま通過させてもらいましょう。

 私の計画とは関係ないからね」


「また、あんたの計画か」


「貴女の為よ。ここで恩を売っておけばグレンダは、必ず私たちの要望にも応えてくれるわ」

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