第23話 ヤブヘビ
実質の鬼蜘蛛衆による警護をつけた彼女は、初めて町を観光していた。
和装、和柄、和風。太平洋の反対でサイボーグ化人体改造と文化のガラパゴス進化を起こした人々が、まるで八百万の神々が人の形を真似てこの世に紛れ込んだような界隈が、このネオンシティ、ギオンマチ・タウンの感想だ。
一種の異界に取り残されたツルギにとって一つだけ確かな事は、ここを通る誰よりも自分の方が強いというだけ。
アカネに案内され、ツルギはギオンマチの端、大鳥居アーチにまで辿り着く。
「言われたところまでは、送った。私は帰る」
「ありがとう」
「礼なんかいらない」
「では、感謝の証として、また手合わせしよう。私もたまには思いっきり体を動かしたいからな」
「……………覚悟しとけよ。私に同じ技は通用しないからな」
街に害する存在を追い払う狛犬のように鳥居の前に立って知人に見送られ、ツルギは次の目標へ向かった。
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ネオンシティ中心街とギオンマチを繋ぐ橋のたもとまで来ると、そのすぐ近くで銀色のベロニカクーペが停まっていた。
エンジンが掛かったままの車体は武者震いのように揺れ、4本のエキゾーストマフラーからの音に混じって、エアコンのコンプレッサーベルトの音が嫌な波長帯で存在感を醸し出している。
搭乗者は運転席に1人。射殺体のようにシートに体を預け、覆い打ちのように雑誌を顔に被せていた。
「…………」
車体フレームにに足をかけ、車を押す。
ツルギの脚力でそれを行えば、搭乗者を稼働中の洗濯槽に放り込むのと貴女事ができる。
「何すんの?! サンアドレス断層がイッたかと思ったじゃない!」
飛び起きたアリッサは、サイドウィンドウが少し下り、顔の上半分だけを覗かせる。
本人は悪者の指揮官でも気取っているようだが、側から見れば、今の彼女は車内放置された可哀想な人とというのが適切だろう。
「……お昼寝とはいい御身分だな。アリッサ」
「やれる事が全部終わったから、貴女を向かいに来たの。むしろ、そっちこそ、やけにのんびりしてたわね」
「鬼蜘蛛衆の子に絡まれて、少し手間取った」
アリッサは目を眇めると、自分が地雷原にいた事を突如悟った表情で窓を全開にして辺りを見回す。
「子? そいつを殺してはないよね?」
「殺してない。仲裁が入るまで……語り合っただけだ。確か名前はアカネと呼ばれていた」
ツルギの返答に安堵をこぼし、首をしまう亀のように席に戻ると多重人格者めいた切り替えで、中断した話を仕切り直した。
「あの子か。クレハ直属の子分だけど、あまり頭は良くない奴。
……鬼蜘蛛衆といえば、サンズとの一件での連中の役割を覚えてる?」
「当然だ」
「抗争での連中の役割は掃討のはずだったのに、あなたが遭遇したように、連中はもうサンズの縄張りからもう戻ってきている。さて、どういう事でしょう?」
会話の体裁のはずの質問をするアリッサだが、その目はツルギの顔を透かして遠くを見つめていた。
「……言われてみると、早すぎな…………サンズは壊滅したと聞いていたが、本当は白蛇会が敗走しているのか?」
「いえ、抗争は白蛇会の圧勝よ。いまやサンズは崩壊して、分散した小規模グループが内部抗争の準備に着手し始めてるらしいわ」
アリッサの頬に邪悪な亀裂が走り、子供が虫を痛ぶる時に見せるのと同じ笑みが浮かびあがる。
「…………それじゃあ……どういう事だ?」
「クズノキの怖い所ね。サンズを叩く利益は見出していたけど、奴らの縄張り自体は要らなかった。企業は土地を手に入れたでしょうけど、白蛇会はそれ以降の支援は一切行うつもりがないのよ」
アリッサはシニカルなサディストを隠さずに恍惚とし、ハンドルを撫でまし初めた。
「金を取れるところから取れるだけ取って、損失は生じる可能の時点で一切合切を切り捨てたのよ。抗争というよりもまるでインサイダー取引だわ。抗争とそれから波及する事柄に関して、ホワイトヴァイパーが一人勝ちしたようなものよ」
「それは、戦略的に価値のない都市に、爆撃だけをするようなモノか」
「そんな感じ、爆弾の使用実績とか運用データが目的で、吹き飛んだのが何なのかというのは考えてない」
ツルギの胸を寒波の中で息を吸ったような、浸透圧の高い悲観が襲う。
「それじゃ、企業と同じだ。私たちまで戦争屋と変わらない」
その感情を知覚するとほぼ同時にアリッサの目が彼女を見据えた。
「戦争屋が私たちと変わらないのよ。善悪を語る気はないでしょ、元戦争屋さん?」
ツルギに貼れるラベルの中で、最も相応しい文言だろう。
「……………それならお前は吟遊詩人だ。頭の中で刷ったタブロイド紙のクロスワードでも解いていろ」
ツルギの言葉を、アリッサは“修理した機器が新品同様の性能を発揮した”とでも言うように、気味悪いほど嬉しそうに受け止める。
「では、話を戻すわ。このサンズが壊滅した一件、言うならばサンセット・ショックは少し面白い混乱をもたらしているのよ。
元サンズメンバーとそれに関係した者たちが、一斉に自己保身に走り始めたの。
で、私は貴女がお使いしている間に、この問題で少し慌ててる奴と話をつけてきたの。
街にそこそこの影響力があって、サンズと共倒れするほど脆弱ではないけど、この件で今月の食事代を少し質素にしなきゃいけない程度に困ってる奴とね。
電子諜報の聖女グレンダ・ジョージアナよ」
会話と同時進行でツルギはアリッサの直前の言動の意味を考えていた。
「知らない名だ」
「マザーグースって通り名のフリーの情報屋。主に『クリア』相手に商売してるけど、あいつはそのメンバーじゃないから、上手く付き合えば、あなたの人探しにも役立つはずよ」
「また知らない言葉だ。クリアってなんだ? 透明のことか? 制圧完了ってことか?」
「C、R、I、Aでクリア。カリフォルニア共和国の独立を目指す軍団の略称よ。元企業連合軍の退役軍人が徒党を組んで作られた、宗教色の濃い自警団。あるいわ、聞き分けの良いカルトってとこかしらね」
「危険な連中だろうな。宗教家は暴走すると手をつけられない。団結力だけなら軍隊と同じだ」
「危険と言えば危険な連中だけど、隠れ家の周りにもちらほらいたでしょう? 男も女も髪を刈り上げて、妙に装備が整って銃に手馴れた連中がさ。あれがそうよ。ミドルサウスが連中の拠点だからね」
気兼ねなく仕事の話が進む中で、ツルギが理解したのは、自分が彼女をあまり信用していないのと同じように、アリッサもまたツルギを信用していなかったという事だった。
ただこの感情には明確な相違点がある。ツルギはアリッサを、いけすかないから信用していないが、実力は信頼している。
一方のアリッサは、ツルギの内面を未知として信用していないのだと。
この会話を始める前の“信頼の日常点検”がアリッサの先ほどの言動の意味だったと推測した。
「………あの炊き出ししてたり、チンピラを追い払ってる人たちか………かなり、と言うよりこの国に来てから唯一まともだと思った人たちだ」
「そうなのよね。傭兵っぽい事もするけど、基本的には反企業で弱者の味方。なんせ、通常交戦規定が彼らのルールなんだから。
連中と連中が庇護してるミドルサウスの市民さは手を出さなければ、基本的には敵じゃない。その代わり、私たちの味方にもなってくれないけどね」
ツルギが以前所存していた組織なら“総員点呼”で済む事を、この女はネチネチと破壊検査するように確かめてくるのだと。
「でも、グレンダは違う。あいつは金で動く。私たちが上手く立ち回れば、多少クリアの意向に反しても、協力してくれる奴よ。何より企業に嫌がらせするのが病的に好き。でも、今はそれどころじゃないから、私たちが彼女を助けてあげるの」
「助かるってどうやって?」
「彼女は、サンズにも内通者を持っていたのだけど、そいつサンズの内輪揉めで殺されかけてる。だから、私たちがその内通者を街の外まで逃すのを手伝うの」
「簡単そうに言うな」
「実際簡単。そいつの隠れ家に行って、連れ出して、空港に送り届けるだけ。危険もミスも起こるはずないわ」
ため息をこぼしつつ、ツルギはアリッサの横へと乗り込んだ。
やっぱり、この女は嫌いだ。だが、この女は確実に披露している以上の能力を隠し持っているのだと呆れながら。
「あらゆることを想定したのか?」
「統計学的に成功しかあり得ない」
「……………嘘つけ。それなら1人で片付けてるだろ」
「鋭いわね。やっぱ私たちいいコンビ!」
駄弁を聞き流しながら、ツルギは何人もの人間を殺めてきた腕を握ったり、閉じたりした。
この手は、先ほど一戦交えた鬼蜘蛛衆の小娘を殺さなかった。生かしておく事にそこまでメリットはなかったが、その意味は言語化まではいかなくとも納得できている。
そして、今はその気になれば、アリッサを彼女の中枢神経すら感知できない速度で絶命させられる距離にいるのに、デメリットが多すぎて実行する気も起きない事に、納得したくなかった。
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