第22話 子蜘蛛2

「この体格差で顔を狙うのか」


 ツルギは僅かに顔を後ろに逸らしてパンチを避け、相手の腕が伸び切った瞬間を狙って手首を掴んで攻勢の起点に据え、少女を軽々と宙に浮かせ、頭上を通して背中から地面へと叩きつける。


「カッッハッッッ!!?」


 爆音が壁で反響し、ひび割れたコンクリートに雪遊びの天使のように少女の型が写る。


「大丈夫だ。お前ならこの程度で死にはしない。もう少し痛がってもらうぞ」


 ツルギは地面に打ちつけた少女の手をまだ離してはおらず、そのまま関節を捻り上げた。


「イギギギギッッッ! 折れる! 折れる!」


「痛覚は制限していないのか……。分かっていると思うが、私はこの手をへし折るつもりだ。………嫌か?」


 少女の顔は中性的で整っていたが、この一連の間に口紅を含んだ涎を垂らし、目は涙を溜め、おしろいが合わさって奇妙なカエルのような顔になっていた。


「嫌ッに決まってンッッだろッ!」


「では、答えろ。お前は鬼蜘蛛衆の者だな。何故、私を狙っている?」


「…………何の話だよっ!? おめーが肩ぶつけたから悪いぃんだよッ!?」


「返答の間。何か情報を選別したな。この腕は折る」


 優位を保ちつつ、相手の心変わりも狙ったツルギは、ゆっくりと少女の腕を捻る。


「痛みで学べ。もう片方の番ではちゃんと答えるだぞ」


 相当な激痛を加えられているにも関わらず、少女は無駄に耐え忍び、ツルギも“本当に折るしかない”と決断した時。


 少女が気を衒った。


「舐めてンじゃねぇッッ!」 


ヒュンッ!


 銀色の一閃が迫りツルギが飛び退く。さすがに時間を与え過ぎ、少女がもう片手で反撃するのを許してしまっていた。

 振り抜いた手の反動でバネのように跳ね上がった少女は、左手に鋭く尖らせた簪が握り、着物の肩を振り解きながら、サラシに巻いていた鉄扇を取り出し、武器こそ違うが典型的な盾と短剣による西洋中世の決闘様式を構えた。


「おうおうおう!! アタシをマジにさせちまったなぁ!!」


 声による威嚇と武器による攻撃態勢。そのどちらもツルギの心理に脅威を抱かせる要素はない。


「それが本気か。底が知れた」


「その余裕の顔、引き裂いてやるよ!」


 少女は高速で、しかし分かりやすく直線的にツルギに飛び込む。


「馬鹿なのか——!?」


 ところが、ツルギの間合いに入る直前に飛び上がり、頭上からの奇襲に切り替える。

 ツルギはそれを蹴りで迎え撃ち、脇腹を蹴り抜きながら、今度は壁へと叩きつけた。


「……軽い身のこなしだ。少し驚いた……」


「……余裕ぶるなっ!!」


 しかし、叩きつけたはずの少女は、壁に足をつき、そのまま次の攻撃へと転換させて、迫り来る。


「なるほど、だから閉所に誘い込んだのか」


「うるさい、死ねッ!!」


 速度の増した攻撃は躱したものの、少女はスーパーボールじみた動きで壁と壁を行き来し、その間にさらに速度を増長させていく。速度が乗れば、鉄扇も簪も相当な威力になってくるだろう。


 事務的な対処をしていたツルギは、変化に合わせて状況の再分析を行う。

 危険性は低いが負傷で済ませられるほど、劣ってはいない。ただ、殺してしまうとなると、この少女が属する組織とどのような問題に発展するかは予想できない。面倒な奴に絡まれたと結論に至る。

 だが、ツルギが最も得意かつ施行回数の多い解決策は、脅威対処の無力化。


「次。仕掛けてきたから君を殺す。引き返すなら今が最後だ………」


 一応の保険として投げかけた最後通牒に対し、路上裏低空を支配した少女は、姿を朧げにするほどの速度の中で言い返す。


「………今更……もう時間もねぇんだ」


 少女の壁を使った反復はさらに速度を増し、ツルギの視覚と情報処理能力をもってしてもラグが生じるほどの速度に到達する。


「これでケリをつけてやる……」


 魔弾めいた機動の歪曲を披露し、隼の速度で降下してくる少女。

 猛烈な速度を帯びていたが、近接武器は相手に触れなければならない以上、ツルギも、を狙っていた。


「———あっ!!?」


 しかし、呆気な一言を端に好戦的な高機動少女は突如として静止した。

 それも空中で、

 纏った風圧が少女を取り残して吹き荒び、保持していた物理エネルギーが、分散して壁にひび割れとして駆け抜ける。

 

「なんだ………?」


 ツルギが不自然な空中浮遊をする少女に目を凝らすと、その四肢にはか細いワイヤーが絡みつき、本当に蜘蛛に絡み取られていた。


「はぁー……。何をやっているの、アカネ」


 呆れ果てた声が路地裏を形成する建物の屋上から降り。

 続いて散った花弁を思わせる和服の女性が窓枠、壁の室外機を伝って地上へ舞い降りた。

 その人物は、鬼蜘蛛衆の頭目とうもくオニヅカ・クレハその人だった。


「ク、ク、クレハ姐さんっ!? こ、これは違いますっ!!」


 それまで怒りで全ての感情を固着させていたチンピラ少女『アカネ』の顔に、羞恥の赤みが増し、ついで焦燥の青が増え、最終的に青白い絶望が浮かび上がった。


「何がどう違うの? アカネ?」


「その、これは、その女が、あ、アタシに無礼を働いたからの……折檻なんっすよ………」


「そう。。どのような無礼を働いたの?」


「あっ、その、それは………」


「教えて頂戴。きっと貴女の事だから、大層な理由があるのよね? アリッサ・コールマン。ヤモリ・ツルギ。この両名に私が直々に敷いた接触禁止命令を破ってまで行ったこの行為に対して」


 この会話を聞くツルギには、クレハの操るワイヤーより怖いものが、チンピラ少女の首に巻きついているように見えた。

 少女の顔に浮かんだのは、“指摘されて思い出したが、ダメな事は分かっていたけど、いつも間にか頭からすっぽ抜けていた重要事項を思い出した”という自責と焦燥を煮詰めた表情で、とても浅慮で感情的な間抜け面だった。


「クレハさん。私たちは、双方同意の上でただじゃれついていただけです」


 その表情がこの一連の出来事の真実をツルギに悟らせた。

 このアカネというチンピラ少女は、助けないと罰があたりそうな、好奇心旺盛なバカなのだと。


「クレハさん。彼女は腕試しのつもりだったのでしょう。過分に自信過剰ですが、筋は悪くありませんでした」


 隙のない佇まいのクレハは僅かな間を置いて、機敏だけがオートモードで自律稼働している何気ない表情でツルギへと振り返る。

 鬼蜘蛛衆の頭目は、化粧の下にある顔は、その遥か下に真意を包み隠し終えているようだ。


「鬼蜘蛛衆として、ツルギさんがどう思おうと、どうなろうとも関係はないのです。

 ですが、アカネは、私の言いつけを破った。規律と躾の話しにおいて、この問題はとても重大な事なのはお分かりいただけますね?」


 暗に口出しするなと言うシンプルなメッセージだ。

 アリッサがこの場にいれば、ツルギの口を塞いで、尻尾を巻いて逃げただろう。しかし、この場に直面しているのツルギのみだ。


「……私には、何故彼女が叱責されているのか分かりません。彼女がなんのルールを破ったのでしょうか?」


「聞いていなかったの? 貴女への接触禁止命令の無視。我々のルールは厳格なの」


「一部、私から触れさせるように仕向けましたが………厳密に言えば、彼女は私に触れてはいません。すべて躱してました。

 彼女は貴女の言いつけを破ったとは言えません」


「…………あら、そうなの。………そこまで必死に庇うのなら、そうゆう事にしてあげる」


 ピュンとSF映画のレーザー銃のような空間に走ると、吊り上げられていたアカネの右腕が解放された。


 ピュン、ピュン。


 左脚、左腕と解放され、最後に右脚が自由になると、蜘蛛の獲物はツバメさながらに顔から地面を目指す。

 アカネの脚に絡んだワイヤーを操り、クレハは屋上へ吊り上がり、重力を相殺しながら互いの目的地へ。

 

「アカネ。何故、接触禁止命令が出ているか分かったでしょう?

 この人たちは、貴女たち子蜘蛛の分際ではとても手に負えない人たちなのよ」


 地に落ちたチンピラ少女は、「分かりました」と苦々しく大地に拳を叩きつけた。


「私は行くわ。彼女を大鳥居まで見送って差し上げなさい。そこで寝ているツルギさんの相棒に引き合わせてあげなさい」


 声が2人に届く時にはクレハは忽然と消え、次の仕事へと向かっていた。


「ちっ。いくぞ」


 頭を降り、よろよろと立ち上がりながらも主導権を握ろうと声を張るチンピラ少女に、ツルギは頷きながら答えた。


「頼もう。それと、君はもっと重い武器を使うべきだ。刀剣か鉈がいいだろう」


「私は誰の指図も受けない。ついてこい」


 捻くれて者と気真面目な性質を混在させた少女アカネは、わざとらしく先導を始めた。

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