第18話 蜘蛛の糸

「へー。面白い話」


 オウム返しのアリッサは説教の後の説教を受ける子供といった態度。

 そんな空気をものともせずクレハだけが饒舌の準備と唇に舌を這わせる。


「聞いてよ。ウチ白蛇会がサンズとコトを構えるつもりだったのは、連中の土地を地上げしたかったからの」


「ありきたり。絶対面白くないから別の話にして」


「まぁまぁ聞いて。その発端は日系企業のミクバがこっそり連中の縄張りで土地を買い集めてた事が原因なのよね。

 企業、特に日系の奴は変に細かい事が無駄に得意だから、ビールと麻薬漬けの連中相手にも、いくつも外注を挟んで、まるでパズルでも作るみたい用意周到に事を進めていたの。オセロで圧勝する準備みたいにね」


「ふー……ん………」


 アリッサの生返事は不自然な音階で揺らいだ。


「あのさ、……クレハ……その話やめない? ほら、私って別に猟奇殺人犯じゃないから、殺した奴の思い出話とか好きじゃないんだよね。胸が苦しくなっちゃう」


「悪いけどやめない。

 続けるわ。企業はそれなりに上手くやっていた。ところが、サンズが突然この計画の存在に気づいて、いくつかの土地を先に買い占め、ミクバに直談判を申し込んできたの。

 計画を白紙に戻すほどじゃなく、でも、買い得とは呼べないそんな塩梅の金額でね。

 で、そんなチンピラの強請ゆすりに困ったミクバは、同郷のよしみでウチに仲裁を頼んできたのよ」


 アリッサは話の区切りに飛び込み、取り繕った表情で目を丸くして見せた。


「わぁ。日本の企業とヤクザ勢力はやっぱり繋がっているのね。通りで従業員の質が高いわけだ!」


 話を無理矢理終わらせようとしたアリッサに、クレハは人差し指を振る。


「ちっ、ちっ、ちっ。オチはそこじゃないのよ。

 サンズが何故、この計画に気がついたのかってところ」


「うーん。普通に企業側がポカやらかしただけでしょ。それこそあなたたちの店だとオフレコがたくさん飛び交うでしょ?」


「確かにね。情報は知る人が多いほど流出しやすい。でも、今回はそんな単純な事だとは思えない。タイミングが完璧過ぎる。

 きっと」 


「まぁ……その線もあるかもね。企業は例えるなら金の実らせる木だもの。ダニみたいな連中の垂涎の的なのは間違いない。

 でも、それなら犯人に該当するのはネットワークに接続できる全人類という事になるわ。追うだけ無駄よ。見つける頃には犯人は天寿を迎えてでしょ」


「あなたがクズノキ様にそう助言してくれればよかったのだけど、クズノキ様は私にそいつを探して抹殺するように命じたの。

 いい迷惑だわ、企業に良い顔する為の雑用なんだから。

 でも仕事だから仕方ない。徒労と分かってて、いろいろ探ったの。それこそ八百万の神様にも問い詰める勢いでね。

 それに、リークした奴を殺せといわているけど、私的にはそいつを直接企業に売ってもいいし、そいつを半殺しにした後に強請ってもいいと思ってる」


「あははっ」アリッサは高笑いすると、涙を拭う真似をする。「お主も悪よのぉ」


 クレハも釣られたように笑みを見せ、対照的に目をキツくすがめた。


「あんたほどじゃないわ。調べて分かった。漏らしたのあんただ」


「ナニ? なに? 何? 私がどうやって知らない事をリークするのよ?」


 胸に手を当て、本当に驚いたような顔をするアリッサ。

 動作の合間にチラッとそれとなくツルギの動向を伺うが、彼女に浮かぶ疑心の色は完全にアリッサへ向けられていた。


「そのまま自分の胸に聞いてみれば?」と畳み掛けるクレハ。


「聞いてみるわね。……「冤罪だ」「濡れ衣だ」って言ってる」


 アリッサは瞬時に状況を分析し、ツルギが中立な事とクレハの読みの精度を推し量る。

 2人ともアリッサに対して不利な心象を抱いているが、細部まで見渡せば彼女たちは膠着状態だ。

 決断力のあるツルギは推測だけでは行動を起こさず、敵味方を識別できない。

 クレハも犯人を確定できる証拠を手に入れていないから、アリッサから吐かせようとしていると。

 

「そう。まだシラを切るのね。それなら私にも考えがある……。

 私は組織の人間だから、上からの命令に背いてまで怨敵を見逃せないわ……この意味が分かるでしょ?」


 詩的な殺害予告にアリッサは、「えぇ」と短く答え、その返答の根幹について頭の中を動かした。

 クレハが度々強調する“組織への忠誠心”が、彼女自身にどう作用しているか。

 彼女が、もったいつけて言うように、本当にアリッサの殺害を目的としているなら、このやり方は手際が悪い。悪すぎる。まるで80年代のヒーロー映画の悪役だ。

 しかし、クレハが素でそんな醜態を晒すワケもない。その程度の人物ならこのコンクリートジャングルの稀有な更地の空き地で埋められているだろう。

 クレハの見せる三下悪役を言動の数々、それを厚顔無恥にもはなはだしい自信で勤め上げられるのは、全てハッタリだからだ。

 ハッタリに持つべき責任などなく、言動は匿名掲示板の与太話同然に本人から乖離していく。

 それは精神的にある種の無敵感を本人に与えるが、切っても切り離せない問題として言葉を放つのは脳なのだ。

 クレハの普段の言動と今の言動を参照すれば、彼女の内心だけを読み取る事が出来てしまう。

 今、連打している組織をチラつかせる高圧的な脅迫まがいの説得は、その実クレハに刷り込まれた組織の威光に対する盲信と、それに対する後ろめたさの発露に起因し、それを押さえれば、クレハの狙い。彼女が垂らしている針付きの餌が見えてくる。そして、その餌の種類から彼女の狙いが分かる。

 

 アリッサは頬の杖にしていた手を、空気を乗せるたように手のひらを上にして見つめ、何かを包み込むように握った。


「ははっ。マーロン・ブロンド並の演技とは呼ばないわね。かなりボロを出してる」


 挑発的に運転手に微笑みかけ、瞳に映る夜景のその奥を直視する。


「…………ボロ? なんの事かしら?」


 クレハの肉眼さながらの義眼が面白いほど揺り動き、瞼が動作確認のように素早く開閉を繰り返す。


「だって、あんた矛盾してるよ。

 組織の命令で動いていて、私を犯人だと断定しているなら、この楽しい楽しいおしゃべりの時間は存在しないわ。

 仮にホワイトヴァイパーが私を敵として容認しているのなら、あんたは自分の考えを表に出さない。そこまであんたはからね。

 つまり、このお話はあなたの独断と個人的な脅迫。それもバレバレだから、評価はC マイナスかな」


「………」


 クレハの目は落陽を思わせて下瞼に沈み、次に安堵が口元に現れた。


「慣れない事をしてしまったわ……伝承でも、人喰い蜘蛛は口下手なのにね」


 歪んだ表情は、そのままアリッサの推測の答え合わせとなった。


「推測だけど、あんたがクズノキから任されたのは本当に私たちの送迎だけ。しかも、運転手は自ら申し出た。

 では、それは何故か?

 あなたは、何かしらの断片情報から私が隠し事をしてると考えていて、それを暴いて口止め料をせしめようと考えた。そんなとこでしょう?」


 滔々とアリッサが語る中、クレハの顔は様々な色で喜怒哀楽を浮かべ、しまいには肩がぐっとさがり、長いため息を吐く。


「……ったくもう。あんたの土俵じゃ、なかなか勝ちを取れないわね」


 計画の失敗を認めた彼女の顔は、歯茎にレモンを塗られたようだったのに対してアリッサは高笑う。


「あはは。百年早いよ。まさか友達をハメようとするなんて」


 その言葉にあるのは、渾身のジョークの粗を摘み上げるような意地の悪さのみ。


「先に手を出したのはあなたよ」


「その時はまだ私たちは友達じゃなかったわ」


「はぁ、はっきり言っとくけど、別にハメようなんてしてない。ただ……」


 取り繕おうとするクレハに、アリッサはさらに粘着質な笑みを浮かべる。


「それも当ててあげる。半分は私への意趣返し、もう半分は私の保護。

 私は貴女に弱みと金を握らせ、貴女は組織への背信で同じ穴のムジナ。洞穴の同居人として守ってくれるつもりだった。

 まぁ、ネオンシャイナーなりの優しさね」


「えぇ、そうよ。でも、口止め料は友達価格のつもりだったわ」


「本当の友達なら、例え私が大罪人でも何も言わずに助けてくれるもんでしょ」


「あなたさぁ………よく言えるわね」


「こらこら、もうこれ以上私を傷つけないで。それにこちらにはツルギがいるわ。私への侮辱は彼女を怒らせるわ」


 頬杖を建て直し、大気から勝利の美酒を取り込むアリッサに後部座席のが呟く。


「……アリッサ。話は全部聞いた。私の感覚ではお前は罰を受けて当然の人間だと思う」


 そんな糾弾の声に、「そうね。私は罪な女かも」と返すアリッサ。


「あら、ツルギさんは私の味方みたいよ。これは想定外なんじゃない?」


 アリッサの背に、血に慣れた猟犬の令を待つ鼻息がかかった。


「ツルギ。私に手を出すとクレハがクズノキの命令を守れなかった事になる。

 あなたの独善的な行動を起こすと、何人もの人が迷惑を被るわ」


「ん? ん?」血を騒がしていたツルギは、キョトンとバックミラーに映る2人のの顔を交互に見つめ返す。


「アルは本当嫌な奴ね。……………もちろん。こんな事で私のキャリアに傷をつけたくないわ。

 クズノキ様の命令はあなたたちを無事に送り届ける事。まぁ、事情を説明すれば私が勝てるとは思うけどね」


 アリッサと対称に、運転手も頬杖をつき、不貞腐れて片手でハンドルを操り始め、暴力の気運が車内から駆逐されていく。


「そうよクレハ。


「どの口がいうのやら、まったく」


「2人とも訳が分からない……」意図を汲み損ねたが出る幕がなくなった事を察したツルギが、脱力の吐息を漏らした。「この街はまるで嘘つきの蠱毒だ」


「アリッサは本当に良い相棒を見つけたわ。それにツルギさんも、こいつは間違いなくカスだけど、この街の案内人としてベテランよ」


 走行音に混じったその言葉に、助手席からは小さな笑い声が起き、後部座席では、頷く動作で気配が小さく揺らいだ。


「これはこれとして………。

 アリッサ。一つだけ教えてよ。なんで私の考えを見破れたの?」


「さっき言った通りだけど、それに加えてあなたは一度身内認定すると甘くなるわ。。弱点とは呼べない人徳ね」


「気持ち悪い。何突然褒めてんの」


「あなたの行動原理って相互循環なのよ。

 養い働かせる、奪われたら奪い返す、踏みにじられたら盛り返す。貴女も、貴女が築いた鬼蜘蛛衆もこの原理で動いてるでしょ。

 だから、さっきの私にも白状させる為に、あんたはまず恩を与えた。

 でも、私はそれを鯨飲した。するとあなたは供給が足りないと考えて、今度は手札を切り始め、それを吐き出して尽くしてしまった。だから、足元を掬われたのよ」


「……………………」


「まぁ、言われても理解できないと思うわ。あなたは一方的な搾取に向いてない人間だもの。これは蔑むわけじゃないわ。あなたは理不尽に対して強いコンプレックスがあるのよ」


 アリッサの淡々とした言葉は、車内に沈黙を呼びつけた。

 汗ばんだ手がハンドルを握り直す音が、足元から忍び寄るタイヤノイズに滑り落ちていく。


「私の内面をそこまで分かってて……あんたには人の心がないよ。本当」


 クレハの言葉は、喉奥から無理矢理引きずりだされ頭の一音だけ低くく発せられていた。


「ははっ。よく言われる」」と自身の仕業の評価を知った劇場型犯罪者と同質の笑みを浮かべるアリッサ。


 そんな彼女をクレハは怪我や汚れを数えるように眺め、右手が僅かに放つ硝煙の残り香を嗅ぎ取ると、嘲るように頬を歪ませる。


「でも、全体的に見れば、今回はおあいこってとこじゃない?

 私は痛くもない肉と骨を切られたけど、そのおかげで一つだけ分かった事がある。

 今日のあんたは儲け損なった。それだけの推察力、そんだけの知力と時間をかけて練った策の利益がこんなボロ車一台ってなによ。

 これならホットドッグ売りの方が儲かるわ」


「はぁ」とアリッサは首を横に振る。


「そうね。今回はなんとか破産は免れた感じ。

 私とツルギが生きながらえた。今日はそれで満足してるわ」


「負け惜しみも鮮やかね」


「でしょう。死線と地獄の反復横跳びでもうヘトヘト。で、そろそろ着くのかしら?」


「えぇ。そろそろよ。

 消灯時間のない独房みたいな部屋が待ってるわ」


「それって比喩だよね?」





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オニヅカ・クレハについて


 漢字表記は鬼塚・紅葉。クレハというのは源氏名。


 彼女には仲間思いな姉御肌な面と、犯罪組織の血生臭い部署を担う冷徹さを併せ持ち、鬼蜘蛛衆を束ねあげ、白蛇会の暗部を円滑に機能させている。


 彼女は右手の平から手首まで蜘蛛の巣のタトゥーを描き入れ、背中(左肩甲骨辺り)には、体内から外を覗く蜘蛛(女郎蜘蛛)を刺青風のタトゥーで入れている。


 彼女は元々白井組系列の性産業の従業員だった。(キャバクラと売春が混ざった、花魁のような職種)その職務中に客の機嫌を損ね、手痛い私刑を受け顔面の再建手術とサイボーグ化の下地を手に入れる。

 傷の回復後クレハは、

 この産業では従業員は雇い主に飼い殺される消耗品であるのが常識で、客からどんなことをされても報復どころか反発すら許さないのが当然のしきたりだったが、当時白井組の若頭まで登り詰めていたクズノキだけが、そこに眠るビジネスチャンスに目をつけ、野望の為に裏方として組織に取り込んだ。

 

 

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