第19話 操演

 左サイドウィンドの向こう側目的地が顔を出した。トーフ・マンションと名付けられた、誰の目もひかないありきたりな集合住宅で、灰色の外壁はひび割れ、その隙間からは涙跡のような錆が地面へと流れている。

 その外観は豆腐よりも箱詰めされた骨粉を思わせた。


 眼窩を思わせる規則的な窓と死相色の外壁に見下ろされ、車は敷地へと進み、地下格納型車庫の貨物室に入るとそこで3人は降りる。


 トーフ・マンションのあるのは、ネオンシティに腐るほどあるスラムの一つ、企業の抜け殻となった社会住宅が立ち並ぶサウスウエスト地区。

 外気に触れたアリッサを夜気が撫で、ついでに、どこかの通りで空き缶を転がす。

 墓標のような街並みに、さらに寂寥感に満ちたBGMが加えられた。


 停止したエンジンが冷却の寝息を立てるが、それもすぐに個別住居者用車庫のシャッターの駆動音が掻き消してしまう。

 改めて音に注目すると数ブロック先からバウンス音楽と銃声が混ざって聞こえた。


「馬鹿騒ぎ用の音楽と小口径弾の銃声。治安は街の平均水準ね。“今日の天気は晴れときどき曇り。通り雨と通り魔にご注意を”って感じ」


「運試しが好きなあなたにぴったりの場所よ。

 ほら、部屋はそこの建物の8階。893号室」


 アリッサは、クレハが示す指先を追い、落書きと黒煙に汚された白い外壁のマンションの8階に焦点を絞る。

 部屋ごとに取り付けられたベランダと十部屋毎に設けられているカフェオレ色のボロボロの非常階段。

 心許ないボロ屋に見えて、893号室は複数の避難経路と隣接した、匿われるには心強い設備を整えていた。


「まぁ、これで地獄の底から降り出しには戻れた。お互いひと段落ね」


「あなたたちにはひと段落ね。私たちはサンズとので忙しくなるわ」


「くひひ。ギオンマチの外まで鬼蜘蛛の名を轟かすチャンスね。私は幹事をやらずに済んでよかった」


 ヴァイパーが画策した抗争という一大行事とアリッサが目論んだ歯車も上手く噛み合って、事象の焦点が急速に彼女たち2人を押し流した。

 今の彼女たちは、サンズ、ヴァイパーズどちらかにとっても構っている暇のない部外者だ。


「ここにはどんだけ籠る事になるかな?

 ヴァイパーとサンズの抗争は続いて1週間くらい?」


「あなたが人類の為の思うなら、一生じゃないかしらね。

 真面目な話だと、クズノキから鬼蜘蛛衆にも仕事の通達が出てるから一週間も掛からないわ。

 あの手の連中ってのは、有名どころを数十人殺せば、蜘蛛の子を散らすように崩壊するでしょうから、かかって四日かしらね」


「首狩り戦術ね。貴女たちは本当にソレをやるけど」


 アリッサはクレハの思惑は実現するだろうと思う一方で、散らした蜘蛛の子が子蜘蛛の群れとして再び群雄割拠する事も推測する。

 そこから生じる混乱は、無数のビジネスチャンスを生み出す一方で、延焼する災禍も巻き起こすだろうと………。


「後は………後始末の諸費用まで計算しているかどうかだけね」


「あなたの心配は不要よ。

 むしろ、あなたは自分の事を心配するべきだわ。どれだけ狡猾でも個人は、集団の力に勝てない。

 今回は運が良かっただけと思って、どこかの組織を怒らせる前に、こんな馬鹿な事はやめなさい」


 アリッサは口をすぼめて目を泳がした。何人かを殺す計画を立てている人物から、命を大切にしろと叱られるのは……滑稽でありながら、親愛と気恥ずかしさも授けられる、珍妙な気分を抱いたからだった。


「生き方なんて人それぞれよ。ただ、あんたを返り血で汚させはしないと思うわ」


 クレハは呆れたように目を回すと、予備動作なく数メートルある敷地の壁に飛び上がる。


「そうしてちょうだい。あなたの言い当てた通り、私はあまり人を殺すのが好きじゃないわ。特に顔見知りわね」


 夜の裾野へ飛び上がると、その姿は夜空に溶け、2対の妖星のように赤い目だけが浮かびあがる。


「2人とも。今夜はご苦労様」


「あ、クレハ」


「何?」


「機会が合ったら、ミクバの連中に伝えて、サンズの縄張りで当たり屋に合った従業員を責めないでって。

 悪いのは、彼がギャングに凄まれて“終わった感”を出して時、偶然を装って現れた美人で、そいつは事故対応するフリして、ダッシュボードから作業目録のファイルを盗み取ったの」


「ッッ!!? ………ふふふっ。伝えないわ。その美人がどれだけ無様か知ってるもの」


「そう。じゃあばいばーい」


 塀の上から眼光がフッと消えると、風切り音が彼女の気配すらも連れ去った。


およそ人の範疇にない機動に「………速い」とツルギが呟く。


 アリッサより優れた動体視力を持つ彼女は、相対的にアリッサよりゆっくりと時間が流れる世界の住人だ。

 そんな彼女からしても、クレハの見せた三次元空間での高機動には目を見張るものがあったのだろう。


「あの動きは……どうやって……」


 初めて火を見た原始人のようなツルギを、

「だだのトリックよ」とアリッサは一蹴。


 「あの動きは、すごく細いワイヤーとドローンを組み合わせて、全方位バンジージャンプをしてだけ」


 首を傾げるツルギに、左手の親指から薬指を曲げ、三次元ベクトルを示す。


「それと視線誘導。わざわざ目を明るくしてたのも、それを気づかせないための小細工。

 人間の目は見易いものを追うからね。

 ま、理屈は分かっていても、私じゃ戦闘能力の差は埋めれないけどね」


 いつでも自分を殺せた存在の解説を終え、アリッサは肩をすくめる。

 ツルギはそんな彼女に納得を示すも、もう一つの疑念にも答えを求めた。


「なるほど……。しかし、もう一つ謎がある。あのどこからでも目が合っているような奇妙な感覚はなんだったんだ?」


「それもなんて事ないわ」アリッサは頭にトサカのように手を乗せ、うなうなと動かした。


「実際見てるのよ。派手な髪飾りにたくさんの視覚拡張装置が入っていて、複眼みたいに機能させてる」


「なるほど………どうりで」


「あんな感じだけど、クレハはスパイダーズのボスという座に胡座を掻いてるわけじゃない。

 首を取る事に関しては、連中がこの街で一番よ」


 続けて危険性を語るアリッサは、解説を終え途端に笑い声を上げた。


「そんな奴にあの態度って、私ってすごい度胸よね!」


「いや。ただの卑劣な馬鹿だ」

 

 ぴしゃりと言い切られた言葉にアリッサは口を尖らせた。


「結果的にそうだとしても。彼女が手を出せない存在だった私の勝ちよ」


 踵を返し隠れ家はと向かうアリッサ。


「本当の悪人が野放しのままだ………。でも、それがこの街ではそれが正論なのかもしれないな……」


 ツルギは言葉の語尾を減音させ、肩をすくめた。





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特記なし

 

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