第20話 合致
トーフ・マンションの内部は白骨を思わせる病弱な白で統一され、落書きだらけの壁やドアは最安値の集団墓地を想起させた。
「………静かな建物だ」
窓が極端に少なく閉塞的な環境では、独り言、足音、虫の羽音、そのすべてが構内で反響し他人の声のように発生源に跳ね返ってくる。
「面倒事はこりごりって雰囲気ね」とアリッサが指差す先には、散弾がコンクリートを抉った真新しい跡が残っていた。
「6ゲージ弾かしら。ロックフェス並みのすさまじ銃声だったんじゃない?」
2人はエレベーターを呼んだ。
ぼんやりと階層灯を見上げるアリッサとエレベーターに背を向け、尾行者を警戒するツルギ。
何事もなく一階表示に明かりが灯り、エレベータードアが、怪物にでもこじ開けられるようにガリガリとガタつきながら人がなんとから通れる程度の中途半端さで開く。
「おっーと。これは……イカれた罠だ」とアリッサが呟いたのは、開いたドアの向こうに底の見えないエレベーターシャフトが顔を出していたからだった。
「紳士向けのレディファースト仕様ね。一番乗りに拘っていたらペシャンコだったわ」
ドアが開いた後、しばらくしてエレベーターゴンドラ本体が降りてきた。
「これ明らかに壊れてる。大丈夫だろうか?」
「大丈夫よ、知らないけど、メーカーが日本製だから」
「反響音からして地下まで6m……この高さなら、私は問題ないだろう」
「その時は下で受け止めてね」とゴンドラに乗り込むアリッサ。
底が抜けたりする事はなく、根拠としては薄くともツルギも後に続く。
2人とも並び立ち、怠惰に下がったアリッサの目線の端に、背筋を伸ばして立つツルギの薄い半身が映り込む。
ドアが再びこじれるようにガコンガコンと閉まり、閉まってしまえば、エレベーターは非常にゆっくりとたがスムーズに昇降を開始した。
2人の肩に上昇に伴う気怠さがのしかかり、コンドラの中では、外の世界よりも流れの遅い時間が計測され始めた。
しばらく終わりそうにない拘束にアリッサが口を開く。
「2人とも生きてる。ひどい1日だったけど、なんとかなったわね………。
ツルギ。今日は……その、ありがとうね。
短い間の付き合いだったけど、あなたの事は一生忘れないわ」
ガガガと客室吊り上げ装置がシャフト内で嫌な騒音を立て、それが静まってからツルギが答える。
「ふざけるなよ。私の抹殺対象を捜索をお前も手伝うんだ。忘れたとは言わせない」
「あなたが忘れてないか確認したのよ」
アリッサは居心地悪そうに、なかなか階が切り替わらない階層標示に目をやる。
その視界の端で解雇し損ねた相棒の冷たい直視も確認できてしまっていた。
「よし。備忘録にチェックマークをつけるわね。で、具体的にどうするの?」
「私のターゲットはこの街にいて、離れられないのは確かだ。優秀な兵士たちだったから必ず情報がある」
「たち? 複数いるの?」
「2人だ」
「そう。じゃあ、標的の情報は2倍漏れやすいわけね、集めるのも2倍手間が必要だけど。
しかも、企業の人間なんでしょ?」
「恐らく。別の企業に寝返って、この国に移ってきたと睨んでいる」
「なるほど、よく分かった。何も分かってない事がね。不可能じゃないけど、とても大変よ」
「情報収集ならお前の得意分野だろ?」
アリッサは、向けられた期待に対して、どうやったら復讐を穏便に諦めるか、せめてアリッサを主体に計画させられるだろうかと、抜け落ちそうな床パネルに目を落とす。
「根本的に勘違いしてるようだけど、私ってダウジングとかで金脈を探してるわけじゃないの。
情報っていろんなコネを築いて、パズルみたいに集めて、一つの結論をだすものなの」
「構わない。お前のやり方で探してくれればいい」
目でパネルの繋ぎ目をさらい、運良くツルギだけ落ちないかなと思考を寄り道させた。
それくらい劇的な事がないとツルギの考え方を変えないだろう。
「……分かってないわね。あなたを見る限り、追っている元お仲間も、相当な手練でしょ。
企業がヘッドハンティングするなんて相当な人物よ。
そして、優秀な人材ってのは現金化されにくい。
どの組織も優秀な人材は囲うし、どんな理由であれ、その情報を漏らす側は相当なリスクを背負い込む事になるからね。
探してるのが金塊とかなら、「在処を教えるから、10パーセントの取り分よこせ」って具合になる……つまり、取らぬ狸の皮算用と言っても、狸の皮の市場価値が分かっていれば、利益は予想できるって事。
それが人となるとね………交渉は売る側の言い値よ。所在を教えてもらうだけで大金か、金以外の価値で交渉しなければいけない」
「つまり?」と片眉を吊り上げるツルギに対し、アリッサは説法を説く僧侶のように寛容に現実を教えた。
「だから、あなたは企業とその取り巻きっていう、地上で最も強欲で、金の匂いに敏感で、人間性を失った連中と話をしなければいけないの。
そう言った情報や情報網を持ってる連中に付け入るには、貸し付ける恩や信頼も必要だわ。
ポケットを裏返してみなさい。あなたは今何を持ち合わせてる?
一円も持ってないわね。有名人でも無い。
あなたの望みが叶うとするなら、この街の裏社会に復讐に付き合って、タダ働きで骨を折ってくれる救世主並の聖人が爆誕する時でしょうね」
ビジネス誌の表紙を飾れそうなキメ顔で、ツルギが、どれほど無謀で無駄な事を決行しようとしているか論破を試みるアリッサ。
トドメの一言を放とうと顔を上げた時、そこにあったのは、とても相棒に向ける類いではない、空気の読めない無礼者の死相によく焼きついている
「…………はっきりと、完結に、言ってみろ」
彫刻さながらの形相の中で目だけが殺意を込めてアリッサを射抜き、彼女の本能が全細胞に生物学的な終焉が迫っていると警告を告げる。
しかし、この警告を、無警告で実行される前に受け取れた事は彼女にとって幸運だった。
“あ、殺される”と思ったアリッサは、一瞬で改心に似た思考の転換を済ませ、すぐさま物事の終着点に修正を行う。
「は、は、は、はっきり言ってあげる。わ、私がその救世主よ!」
“決断”の早さは双方同格。
しかし、アリッサの方が決断に対する責任感が格段に低く、それは良くも悪くも回答への慎重さに表れる。
「私の悪い癖だわ。少し悪ふざけが過ぎたの。
まさかこんなに言葉の重さが違うなんて思ってなかったわ」
「…………そうか。それなら良い」
狭いゴンドラに殺意はまだ籠っていた。
だが、ツルギの全身から放射されていた殺気は僅かに薄まり、アリッサはそれを機敏に察知する。
「やっぱりあなたは完璧なまでに兵士だわ。
まるで日本刀。唯一無二の使命の下にのみ存在する機能美の権化。おそらくこの街でもトップクラスの名刀でしょう。
でも、あなたはそれだけなのよね。刀という武器は言ってしまえば単能だわ。純粋過ぎるほど殺人に特化した道具なのよ。
それに比べて、私はマチェーテであり、トレンチスコップであり、スイスアーミー・ナイフだ。刃は鈍くとも用途は万能よ。
そんな私は大恩をあなたに感じてるからあなたの復讐に最後まで付き合ってあげる」
人質交渉の鉄則が話続ける事だと知っているからか、あるいは本能的な命乞いなのか、アリッサ自身、ここまでポコポコと言葉が思い浮かぶ理由が分からない。
だが、結果的に彼女の行動は自分の命を拾い上げた。
「冗談で済まなくするところだったぞ」と鼻を鳴らし、怒りの炎へ注いでいた呼気を大気へ吐き捨てるツルギ。
「えっーと、何の話?」
「お前を殺す理由付けだ。理性的に理性を失う寸前だった」
そう告げる戦用サイボーグの目つきは鋭いまま、攻撃体制を解いていく。
内心で“やっぱりね”とアリッサは自分が本当に殺される寸前だったと確信する。
アリッサに味方したのは、ツルギは敵を殺す達人であって、人を殺す事に関しては素人という兵士としての完成度の高さだった。
「そ、そう。でも……短気は損気というでしょう……」
喉元から死神の大鎌が離れると、性懲り無く、豪胆にアリッサは表面上の自分を取り戻す。
「……通に言わせれば復讐は冷やして食べる物なのよ?」
それが呼び水として、ツルギの目も敵意から侮蔑の目へと変化した。
「目的の為にはお前を頼るしかないのは認める。しかし、お前の事は信用できない」
「復讐は冷やして食べるってのは、本当にある
「そこじゃない。けど、そうゆうところだ」
ツルギは見下すように顔をあげ、背を壁へと預けると分かりやすく辟易とする。
アリッサはすかさず、まるで数回の人生を共にした竹馬の友のようにその横にもたれ掛かった。
「私は少し性格に難がある。試し行動をする重いタイプの女なの。
でも、心からあなたが与えてくれた恩に報いたいと思ってるのは本当よ」
すり寄るアリッサを、ツルギは緩慢な動きで肘で引き剥がす。
「おまえは恩なんて感じてないよ。
はっきり言うが、お前の心は底なしの邪悪か、心そのものが存在してないとすら思える」
アリッサは突き出された肘の上に背を乗せ、再び同じ距離でもたれ掛かり、ニヤッと笑った。
「ひどい言われようね。まぁ、部分的には当たってるかも知らないけど………」
肘はサッと引き抜かれ、アリッサの汗ばんだ背中が冷たい壁に張り付いた。
「一つだけ正直に答えてくれ。私を騙そうとしてるのか? それとも私の復讐を利用しようとしているのか?」
「それ信用できない相手に聞く事じゃなくない?」
「頼む。分からないから言葉で答えてくれ。正直に」
その頼みは思考容量を超えたツルギの実質的な敗北宣言だった。
アリッサからすれば勝負などしていたつもりはないが、結果的にエレベーター内に粘着質な詐欺師と不運で良心的な被害者が誕生した。
これ行幸とばかりに、彼女が選んだのは勝利宣言と不平等な契約の申し出。
「正直に答えると、あなたの復讐を利用して金を稼ぐ算段よ。もちろん最終的な目的はあなたの願いの成就。
例えるなら、惚れた上にセンスのあるストリートミュージシャンをマネージャーとしてオファーするような物ね。
原石を磨き、才能を周知し、音楽サブスクとグッズの印税をあなたが7割私が3割くらいの利率で受け取るの。
そして、あなたはマイアミで、私はカリフォルニアに豪邸を建てるのよ」
夢のような計画を打ち明けられた相手は、ぐったりと天井を見上げ、拷問から逃れるために自白する無罪者を彷彿させる顔で目を閉じた。
「それが本心だろうな。で、具体的には?」
「この街の有力者に取り行って、仕事をこなす、そうして信頼と報酬を貯蓄しつつ、それを活用してあなたの敵を探しだす」
「本当に出来るのか?」
「もちろん。私には“知”があるけど、“武”が足りない。あなたはその逆。つまり、コンビになれば最強って事」
ツルギに倣って見上げた天井には、目が痛いほど明るい蛍光灯が白々しく灯っていた。
「お前は……口だけだ。今日だって無策で自分で地獄に降りて、手ぶらで登って帰ってきただけじゃないか」
「本気でそう思ってるなら、やっぱりあなたには私が必要ね」
その物言いに引っかかり、顔をこちらに向けたツルギに対し、アリッサは頬肉を吊り上げ、笑顔に分類するしかない凶相を披露すると、おもむろにシャツを掴むと服を捲くり上げる。
「何のつもりだ、やめろ。私にそっちの趣味はない」
アリッサは、あらぬ誤解に思わず失笑しながらも、問答無用で服を捲り上げ終える。
側から見れば可能な限り素肌を露出させる癖の発露だが、彼女がツルギに見せたい物は、そこに隠されていたのだ。
「あら堅物に見えたけど、そっちの知識はあるのね。
でもね、私が体型を維持してるのは、ただセクシーに見られたいだけじゃないのよ。ほら見て」
捲くった先に現れたのは、ベルトから少しせり出たジーンズ地。そして、ベルトに腹巻きのように差し込んである現金の札束。
「正味300万。地獄巡りの果て、私は今朝起きた時の倍はリッチになっていたのよ」
冷静さを一貫していたツルギが驚き目を見開き、理解不能故の恐怖感で後ずさる。
「なっ、なっ、なっ!? どこでそんな大金を!?」
アリッサはさらに笑みを強め、人が内蔵する暴露欲の説を立証するように語った。
「くひひ。カルロの金庫よ。クズノキはデータだけが御所望だったからね。これは私の物」
「ふふん。これ良いウェイトトレーニングよ」としたり顔で服を着直す。
「この金と私は、あなたが今一番必要としている物だと思うけど……まだ私が口だけの人間だと思う?」
ツルギの目は何度かアリッサの腹部と顔を往復すると、思い出したように口を開いた。
「お前は信頼は出来ないが、その……強かさは信用には値するかもな」
「それで充分よ。仲間意識ってこの街で一番貴重なんだから」
再びツルギのため息が響き、それを目的階到着のベルがかき消す。
「着いたわ。まるで成功へ通ずる城門ね」
エレベーターは完全に扉を開かず止まり、廊下への道を開いた。
廊下はほとんどの電灯が破壊、消耗して真っ暗だったが、893号室の前だけは煌々と照らされていた。
「やっぱ、私たちってなんかツイてるよね。デコボコ名コンビって感じ」
「……………」
アリッサが先導を切り、ツルギがその後に続く。部屋の戸はツルギが開け、アリッサが手探りでライトのスイッチを入れ、隠れ家を確保する。
はみ出し者と新参者のコンビはこうして同じ方向に進み始めた。
一章完結
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ここまで読んで頂きありがとうございます。
とりあえず一章を完結させる事ができました。よければ次章もお付き合いください。
一章の後書きとして、少しアリッサについて解説しておこうと思います。
………本来なら、この解説は物語の中に溶け込ませた言葉から読者の皆さんに届くべきで、しかも、皆さんの頭の中で熟成されて味わうべきものに、作者である私が口出ししているという禁じ手の愚行にも思えますが、恥をしのんで書き記します。
この作品を読んだ人は恐らく全員が、主人公であるアリッサのチグハグな言動に違和感を覚えると思います。
それには作者の稚拙さ故もあると思われますが、もう一つの理由として、キャラクターデザインとしてアリッサは、犯罪心理学と精神病質に関して知見があり、それを利用している人物だからです。
常に他者を思い通りに動かすかを考え、他者への配慮より自身の目的を優先して行動する。
サイコパスの真似をする常人というキャラクターが彼女を構成する要素の大きな部分を占めているために、彼女は変な事をしでかすのです。
この文章が、『ネオンシティは眠らない・第1章』を私が書きたかった物語として、読者様に受け取ってもらえる足かがりになることを願って書き記します。
改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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