第13話 脆弱性

 アリッサが前座として向かったのはネオンシティ中央区と南区のちょうど境にあるホーン・ヒル。

 この地区には壁画の一角獣を思わせる切り立った崖があり、この地理条件がちょうど富裕層の多い中央区と貧困層の多い南区を切り分け、強者が弱者を見下ろす構図を、母なる自然が作りあげていた。

 大半の住人はこの高低差をただ下人を無意識に見下す展望台として使うが、アリッサたちには都合の良い偵察ポイントとして訪れた。

 目標地点から800mほど離れたこの高台からは、忍び込む敷地が丸裸で見えるのだ。


 崖を攻略する坂道で街灯と街灯のちょうど中間に停車した車の中で、運転席側のの影が「見える?」と尋ね。「見える」ともう一つの影が事務的に答える。


「ステップ1。今、私たちが尋ねたらカルロは迷惑な顔をするかどうか。完璧なサプライズは呼び鈴を鳴らすタイミングから吟味すべし」


 2人の眼下にまばらな窓灯りが広がる人口密集地帯が広がり、その中に恒星のようにぽつぽつと町工場が散見する。

 その一つがサンズの事務的な拠点となる車工場コヨーテ・カーパーツショップがあった。


「サンズの裏稼業は幅広よ。強盗、窃盗、麻薬の密売、それに当たり屋。コーポの連中は金で人を黙らせるから、この詐欺は地味に儲けてたりする。

 でも、1番の稼ぎ頭はストリートレーサー向けの車両改造と盗難車の密売。あの工場には全ての関係者の名簿があるの」


 アリッサが盗み出すと言った名簿は、サンズの事業と密接に紐付いており、この名簿がヴァイパーに渡る事は、敵対者に組織の生命線を抑えられる事を意味する。

 、この結果がもたらす利潤は、顔に泥を塗られたクズノキがアリッサを赦すに足るほど莫大だ。

 

「とは言ってみたものの、ちょっと予定と違うかも……」


 偵察の結果としてアリッサは、終業後なのに妙に明るい工場を見下ろしながら呟いていた。

 移民はえてして勤勉だが、工場に残っているのはどう見ても整備工ではなく、皆タトゥーと銃で威圧感を振り撒くギャングのメンバーたち。


「あんたの計画だと、閉店後のパーツショップに忍び込んで、こっそり名簿を奪うだったよな?」


 アリッサにとって、ツルギの指摘は的確で手厳しい。


「えぇ。その予定だった」


「人影がある。しかもあの動き、哨戒だ」


「そうね、そこは予定と違うわね。

 でも、引き返すなんて出来ないわ。それに人がいるのいう事は、動体センサーは作動しないという事よ。ヒューマンエラーは機械の誤作動より発生率が高いわ」


「…………センサーがなくても、人間の五感は侮れない。サイボーグならなおさらだ」


「悪く考えると悪い結果を呼び込むよ。

 計画はこのまま。ただ……少し予定よりシビアなだけ」


 この事態にツルギは呆れたように空を見上げ、計画変更を申し出る。


「少し変えよう。まず私が工場を一掃してやる。お前はその後に入れ」


 占領のプロセスではツルギの意見が正しいが、窃盗という点に関しては一つ見落としがある。


「いや、あなたを信用してないわけじゃないけど、万が一でもセキリティを起動させられると全て台無しよ。2人同時に動きましょう」


 防犯システムが厳戒態勢に移行されると、アリッサでも金庫を開けられなくなる可能性があるのだ。


「信用しろ。私は……ミスをしない」


「今日一日の記憶消したの? 人違いで私を便器に押し込んだくせに」


「——ッッ! ……隠密行動での話だ!」


 アリッサはツルギの能力に関して信頼していたが、行動においては常に最悪を想定し、名簿奪取までの所要時間を最短に収める事が成否に最も重要だと結論付けている。


「わーってる。あなたはビビり過ぎよ。

 あんなボロ小屋に忍び込むだけだから、不安要素は一つもないわ」


 そうして、2人は車を置き去り、最も静音性の高い移動方法徒歩で工場へと向かった。


————————————————————


 工場の見張りは、屋根の上に狙撃銃を持った者と正面門に2人、裏口に1人。

 建物には無数の監視カメラが設置され全ての出入り口を見張っていたが、このカメラは旧式の角度固定式で、敷地に入るまでは無視できる代物だった。

 その点を突いてた2人は、宵闇に紛れてあっさりと裏口まで忍び寄る。


「屋上の奴は素人だ。こんな入り組んだ場所で、あの配置は死角が多すぎる。

 本気で見張るならドローンで見下ろさなきゃ無意味だ」


「まぁまぁ、お陰で私たちは助かったわ」


 アリッサは囁きながら路地の影に身を潜め、裏口を俯瞰する監視カメラとその対面で金網フェンスにもたれかかる見張り番の対処について指し示す。


「あのカメラは無線型ね。わざわざ壊さなくても回線に負荷を掛ければ、映像を掻き乱す事ができる。

 ハイテクは私に任せて、あなたはローテクの方を対処して」


「分かった。先にカメラを始末してくれ。そうすれば、


「はいよ」とアリッサは瞳をうっすらと光らせた。


 脳内でカメラの内部システムにアクセスし、何事もない日常が無限にロープする録画映像を回線に流させた。


 「完了。連中が見てるのは静止画よ」と小さな頷きで伝えると、ツルギは静寂を隠れ蓑に攻撃ポイントへ配置につく。


 サイボーグ化された手足を駆使し、巨大なトカゲように低姿勢でフェンスまで近寄ると、静かに立ち上がり空手の抜き手に似た形の構えをとり、フェンスの鉄条網ごと見張りの体を貫いた。

 精確無比な一閃は敵の心臓を直接穿ち、胸を貫通した腕は、腹腔から飛び出した蛇のように男の口にねじ込まれた。

 一瞬で機能停止した心臓は、血管に出血の暇を与えずに、口腔を完全に閉塞した拳は、筋肉が弛緩する際の声にならない断末魔さへ遮った。


「排除完了」


 血まみれの手を引き抜くと同時に今度はチョップでフェンスを引き裂き、急造の入り口をこしらえる。

 そこから2人は敷地は侵入を果たした。


「わぁお。あなたがすごいのか、こいつが骨無しなのか………」


「敵地だ。私語は慎め」


 戦闘モードに精神統一したツルギの態度は冷たく、アリッサの軽口を一蹴。


「名簿は任せた」


 その場から無音のままに数メートル上の窓枠へと跳躍すると、引っ掛けた指の力だけでさらに体を弾き上げ、瞬く間に屋上へ攻め上がる。


「すげーぴょんぴょん跳び。ま………こっちは任せてちょうだい」


 ツルギの離れ業を見届けると、アリッサはシンプルに一階の半開きの窓から建物内へと侵入した。


「ふふっ。おじゃましますよっと」

 

 工場内は無人。動いていない空気にはオイルの臭いが蒸れて籠り、気配らしいものはどこかの機械で生じている空気漏れと空冷ファンが回る鈍い音だけが虚空に響くだけだった。


「………やっぱり、頭隠さず尻隠さずって感じねぇ」


 この歪な防犯意識は、“俺たちを襲う馬鹿がどこにいる?”というタフさへの願望と“そう思っていた間抜けを殺して成り上がったじゃないか”という危機感のせめぎ合いで生まれた矛盾する警戒体制だ。

 

「律儀な連中だ。上り詰めた奴はだいたいそのプライドに殺されるのに」


 鬼の居ぬ間にとアリッサは素早く階段を登り中二階へ、床塗装が剥げた人工の獣道を辿り、錆と油によく馴染んだ工場内で唯一綺麗なオフィスへと向かう。


 オフィスのドアは施錠されていたがアリッサのサイボーグ化された自慢の腕は、ドアノブとそれに接続されている内部機構までを引き抜き、あっさりと入室を果たす。


 消灯時間の過ぎたオフィスには、サンシェードが寸断したい月光が櫛状に振り込み、無人の防犯モニターだけが夜番に起きていた。


「あら、夜勤お疲れ様。その調子で続けてちょうだい」


 アリッサは備品には目もくれず、部屋の片隅に向かい、その壁に貼られた色褪せたヌードポスターを引き剥がす。


「さて、我ながら完璧な情報収集ね。もうほとんどデジャヴ」


 ポスターの日焼け跡の真ん中に予想通りのチャールズロック社製隠し金庫が鎮座していた。

 金庫は綺麗な長方形の箱型で、小さく脆そうな取手を備え、分厚い鋼の扉を強力な電磁石で締結している。

 壊れやすい取っ手は、無理に開けようとすれば簡単に破損し強引な開閉を受け付けない。

 鍵に関するシステムは内部で完結しているので外部からのハッキングによる解除は不可能。解鍵するには製造会社肝入りの電子キーと従来の物理キーを必要とし、これの複製はまだ誰もなし得ていない。


「理論上は完璧よね。あくまで理論上は」


 しかし、この型番の金庫には致命的な欠陥が存在した。

 

「さて、開けますか」

 

 アリッサは、そう言うと先ほど剥がしたポスターの一部を破り取り、指で更に薄く潰すと、金庫の扉と本体の僅かコンマ00単位の隙間に差し込んだ。

 新調した腕の精密動作性は素晴らしく、スムーズに紙片を差し込んでいく………。


ピィー……カチッ!


 それだけの作業で、強固な鉄扉が磁場の拘束から解放された。


「ふふふ。この欠陥。有名なんだけどね」


 この金庫の施錠は、扉の締め位置を光線センサーが読み取りロック時の磁力を発生させるというものだったが、発売直後に設計ミスが発覚した。

 それは開閉途中に金庫に手を入れるとセンサーが手を閉じ切った扉と誤認識し、磁力締結を作動させ、自慢の締結力で、顧客の腕を食い千切ってしまうという重大なミスだった。

 応急処置としてチャールズ・ロック社がとった対策は、という安全機構の追加修正だった。

 しかし、この修正は新たな欠点として、起こして施錠を無効化してしまうという問題を産み落としていた。

 この弱点を突いたアリッサは、中の有価物を全て抜き取り、着膨れしないように身なりを整え直す。


「この欠点、軟シリコン塗っとけば防げるのにね」


 したり顔で呟き、後は退散するだけとなった、その時。


ガチャリ。


「——!」


 聞き覚えのある音が背後で響き、後頭部に硬いものを押し付けられた。

 

「よぉ、アリッサ。また会えて嬉しいぜ。……クズノキの言った通りだ」


 その声にも聞き覚えがあった。


「……こんばんは。カルロ。珍しい所で会ったわね」





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特になし

 

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