第12話 ターゲット

 クズノキと商談を成立させたアリッサは蛇の巣窟から再出発してハンドルを握っていた。

 車の速度が増すごとに薄紅色の常夜灯と宵闇がパルス波のように激しく入れ替わり、エンジンの脈拍が閉鎖的な地下街にこだまする。


「とりあえず、完璧ではなくとも問題は一つ片付いた」


 ホワイトヴァイパーとの交渉を成立させた2人は逃げ帰るようにオイラン・ストリートを遡り、次の試練へと向かっていた。


「おい。そんな言葉で済ますな。おまえには聞きたい事が山ほど、それこそ

富士山ほどある」


「何を聞くのよ? この結果が全てだわ」


 アリッサは断言するとツルギは被告人に証拠を突きつけるように、クズノキと会う直前に車内に飛び込んできた折り鶴風ドローンをつまみあげた。


「これはなんだったんだ?」


「あー、それはデーモン・スパイダーズ鬼蜘蛛衆っていうヴァイパーの下部組織のおもちゃよ。

 普段は職場の女の子の世話係に紛れている連中だけど、本職は用心棒を兼ねた秘密警察って感じの連中」


 これは事実だったが、アリッサがわざわざ説明を始めたのは八つ当たりの感情に近い。

 しかし、ツルギは不快になるどころか、納得した表情で深く頷いた。


「なるほど、さっきの場で物陰にいた奴らか。……てっきりお前の隠し球かと思っていた」


「え、あの場に連中が? 気づかなかった……。

 それでもまぁ今生きてるって事は、連中の仕事リストに私の名前は載ってないってことね。

 今はただ単に神様よりしっかり私たちを見てる連中がいるってだけ」


「それは同感だ。

 もし殺す気ならさっさと仕掛けているだろう。あの場にいた人は、ただこちらを眺めてるって感じだった」


「そうでしょね。蜘蛛っては巣にかかった獲物を捕食するだけ。それ以外には見向きもしない」


「やっぱり。妙に詳しいな」とツルギは侮蔑を込めた流し目でアリッサを見つめる。


「ん?」とアリッサ。


「お前はなんで……それだけの事が分かっていて、人に対して不義理を働くんだ? 道理を分かってるのに、それを無下にしてる」


「道理ってねぇ、道理とか筋がどうこう言うなら、結果的になんとかなってるこの状況は理に叶っているわけよ」


「意味が分からない。お前は不誠実だ。

 金を持ってたなら、最初からクズノキさんに、それ以前にあのレストランにきた男に金を払っていれば、こんな事にはならなかったはずだ。

 それが1番理に叶ってたし、義理も果たせていた」


 ツルギの正論に対し、アリッサは彼女だけの理屈で反論した。


「義理で死ねって言うの?

 カルロに対してはまだ返さなくても済む段階って分かっていたからよ。

 サンズの連中の資金繰りは厳しい。だから、あの時は急場凌ぎの小銭を渡せばそのまま帰ったわ」


「あの時、お前は銃をつきつけられていた。私が動かなければ、おまえは殺されていた」


「あはっ!あんな奴が私を殺せるもんですか!

 武器なんか奪い取ればそれまでよ。それから“交渉”する算段だったのに。私に言わせれば貴方が果たしたがこの事態を招いた。

 貴女の通した義理は理に叶ってないわ」


「……それでも私は義を貫いた。その結果お前を野放しにしてしまったのは恥じるべきかも知れない」


「今更何? 思い出し後悔でハラキリでもする?」


「正直分からない。

 結果がこんな状況でも、あの場で私は間違っていなかったと思う。

 お前を信じれば私は間違っていたのだろうが、私はお前を信じていない」


「義理固いっていうか馬鹿ね。割り合わないじゃない。私が言うのもなんだけど、あなた、私のせいで損してる気にならないの?」


「……なる。でも、それは損得の話だ。

 お前がどうであれ、私はあんたの義を見てるんだ……あんたの行動に義を見出してるというべきか。

 あんたはクズなのは間違いないが、あんたが私にくれたモノは……金じゃ計れないものだ」


「…………何の話? 借りで言うなら店に飯代払ってないから、払う相手はジェフよ?」


「はぁ…………。分からなくていい。でも、これが武士道なんだ」


「……ブシドー………?」


 妄想癖の哲学者と話していた気分だったアリッサは、突如胸の奥から迫り上がるユニコーンを轢いたような衝撃が起こった。

 それほどまでにツルギの放った“武士道”という言葉が意外性に富んでいた。

 アリッサとて、サムライかぶれのタトゥーやシャツのロゴとしてその単語は知っていたが、実践しようとする人間とは初めての遭遇だ。

 そして、その独自の精神性こそがアリッサがツルギを掌握できない根源だ。


「あんたへの義理を果たしたい。

 私はあんたの言い分を信じないが、あんたの本質までは見くびってない。

 この問題の責任は、半分私にあると認めよう」


「あぁ……そう。ありがと」


 かろうじて会話の体を維持しつつ、アリッサは目の前のサイボーグに下していた評価を刷新する必要に迫られていた。


「……あなたが言いたいことは何となく分かった。あなたが私を責めたい理由もね。

 でも、私はクズノキさんと、カルロに金を借りたから、もっと大きな仕事ができるような装備を整えられたの。

 これは教養とか教義の入り込まない単純なビジネスの話なのよ。あなたがどう思うか、というのは金の流動には関係のない事なの」


 結局アリッサはツルギを理解できないと結論づけた。

 完全な未知の存在だと認めてしまい、未知の追究ではなく、既知への当てはめで場を取り繕うように選んだのだ。


「分かってないな。

 はっきり言うぞ。

 私はお前の為に命を懸けてやる。

 鉄砲玉になってやるんだ。だから、この暗殺任務は私だけで行く。

 お前はクズで、私はバカだ。

 だから落ちるとこまで落ちたけど、お前はそこからの逃げ道を私に示した。

 お前の蛇蝎も反吐を吐くような汚いやり方のおかげで、私は隊長へ……あの人への忠義を果たすチャンスを取り戻せ可能性を取り返せたんだ。

 だから、ここからの危険な汚れ仕事は私がやる。それで私たちの問題責任はきっちり等分だ」


「………は?」


 アリッサは自分が運転手である事すら忘れて、ツルギに顔を向ける。

 わざわざ面倒事、それも命の危険が伴う行動を自ら勝手でると言える精神力を目の当たりにして、思考が一瞬停滞したのだ。


「それ映画だったらあなたは死ぬ役柄よ」


 それが汚れ切った街の住人としての率直な意見だった。


「私の好きな映画は、全部悪党を皆殺しにして主人公は生き残る。

 だが、ギャング相手とは言え、これから起こるのは戦争だ。

 現実の戦争では律儀なほど“性能差”が生死を分ける。サイボーグ同士なら特にだ。

 あんたは身も心も戦闘用じゃない」


 アリッサの平常心に“全て任せてしまおうか”と囁く。

 しかし、口から出た言葉は、ツルギの精神性に触発されていた。


「大丈夫。自分の身は自分で守れる。それにサンズのメンバーをただ殺しても意味がないわ。私たちは連中の顧客名簿を奪わないといけない。むしろ、そっちの方が肝要よ」


 アリッサは触発されたように率先して面倒事を引き受けた事自体は後悔しつつも、理屈の通らない陶酔を覚えていた。


「で、名簿はサンズのアジトになってるジャンクヤードのオフィスにあって、鉄骨直付けの埋め込み式金庫に仕舞ってある。その金庫はチャールズロック社製のCRS4988型で、電源内蔵型電磁ロック仕様。開錠する以外の方法じゃ、まず開けられないわ。いわば守銭奴の神様ね」


 腕を組み目を伏せるツルギ。「…………金庫破りなんてした事ない」


「でしょ。機械的な鍵に、サムライの心意気は通じないわ。私がいなければ無理よ」


「だが、私は……人を守る訓練を受けていない。お前に気を遣って戦えないぞ」


 真剣な心配をされたアリッサは、楽しげに眉を吊り上げ、指を振るアリッサ。


「そもそも黄金期のハリウッド映画みたいに暴れるつまりはないわ。

 幽霊のように忍び込むの。金庫をこっそり開けてカルロをこっそり殺す。勃興期のイギリス戦争映画みたいにね。

 それこそ戦闘用のあなたの方が足手纏いだわ」


「私の身体は……特殊作戦用だ。

 隠密行動なら任せてくれ。正道から外れた不浄の技術でも得意分野だと自負している」


 ツルギは力強く拳を握る。その単純な動作の中に機械的に精密さと生物的な力強さが共存し、サイバネティクスの到達点が具現化していた。


「願ったり叶ったり。神様がいるかは知らないけど、とりあえず2人、この街に悪魔が存在しているわね」


 アリッサは森羅万象を嘲るような笑みを浮かべた。


「お互いの得意な汚れ仕事を担いましょう」


 アリッサがアクセルを踏み、エンジン音がえずく。騒がしいネオンシティの夜景にミスファイアの音が信号弾のようにこだました。

 今夜も街は熱狂的な活力に満ち、不穏な企みが蔓延っている。アリッサとツルギの大勝負すら、この街では日常の風景だ。






————————————————————


 ミスファイアとは、日本語にすると飛び火不良などという車の故障症状で、本来エンジン内で燃焼するはずのガスが、排気系、マフラーなどにまで燃え残って到達し、そこで着火してしまう現象。

 エンジンで起こしたいはずの爆発がマフラーなどで生じるので、周囲に分かる形で爆発音と火炎が生じる。

 

 作中では、アリッサが変なタイミングでアクセスを踏み、エンジンに必要以上のガソリンが供給された為に発生した。(ベロニカは、キャブレター式システムを採用している)

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