第10話 夜景
アリッサは宣言通り電話をかけ、一方的に言葉を吹き掛けると来た道を戻った。
夕暮れ時に舞い戻った2人をネオンシティは不夜城然とした真の姿で出迎えた。
高層ビルの合間からは宇宙からも見えそうな巨大ホログラム広告が夜空を彩り、普通の屋上看板も、夜になると立体プロジェクションマッピング広告へと機能を切り替る。
銃器、サイボーグパーツの広告が、半現実的なアニメーションでその機能を謳い。下品か耽美な生活用品の広告が街の至るところで自己紹介を垂れ流す。
下品と喧騒と華美で見る者を惑わす、この姿こそがネオンシティの正体だ。
ホログラム広告の積乱雲を突き破る高層ビルには物質世界の天国が存在し、その階層に辿り着けるのはごく限られたマネーゲームの勝利者のみ。
一方でそんな世界を地上から見上げる事しか出来ずない人々はそれに憧れる、羨む事しか許されない。
一見煌びやか電飾の通りは、相対的に路地裏に完全な闇を跋扈させ、そこに潜むのは天上人やそれに憧れ一般人たちを虎視眈々と狙い、ありとあらゆる顔を持つ裏社会の面々。
そんな夜の熱を帯びたネオンシティに、地上最も過酷なコンクリートジャングルに、アリッサとツルギは舞い戻った。
夜行性の犯罪者が幅を利かせる街に入るとすぐ、2人の後ろに薄暗いヘッドライトの車が並ぶ。
「アリッサ。もう尾けられてる」
「この車は目立つから……間違いなくサンズね。でも、織り込み済み。この地区は縄張りから遠いから、すぐには連中も集まらないわ」
アリッサの言う通り、尾行はかなりの距離をとって行われ、数台の追手と装甲車を撃破した2人を単身で攻めるような蛮勇は発揮されなかった。
「でも、集まられたらお終いだぞ」
「大丈夫。すぐにいなくなるから」
粛々としかし落ち着かないように周囲に目を光らせるツルギ。
そんな彼女と対照的にアリッサは神託でも受けたように自信に満ちて、得意気な片手運転で車を走らせる。
そして、とある区画を境にアリッサの予言めいた発言が実現した。
中心街を抜け、ネオンシティの北西に位置する地区に差し掛かった時を境に追跡してきていたストーカーが不気味な静けさの中に引き返し、代わりとばかりにネオンシティでは異色の造形物。巨大な赤鳥井と赤丸柵を設けた木目調アーチ橋が出迎える。
「ここ……は?」
「来なかったの? 日本人なのに?
ここは日本人街ギオンマチ・タウンよ」
緩やかに隆起した橋を抜けるとそこには中心街と同じくらい明るく騒がしい、しかし決定的に異なる繁華街が広がり始める。
道のあちこちに花弁を散らす桜枝の立体ホログラムが投影され、それまで当たり前だった巨大で目を惹く広告群が消え去り、代わりに小型で所狭しと貼り付けられた数々の電光掲示板が、日本語話者でも眉を顰める難解な文言な似非日本語の数々で視覚情報をオーバフローさせる文字広告を縦横無尽に乱打している。
視界と同様に聴覚への刺激も独特で日本風と説明されれば確かにそう感じるが、実際の日本ではまず流れていない雅楽的な音楽ばかりだった。
「変な街だ」とツルギは突然変異した祖国の文化を評した。
「まぁ、元々はこの辺は日系企業の跡地。企業がコーポストリートに移った際に切り捨てられた日系移民の吹き溜まりだったのよ。
……日本人は、コミニティーの形成より現地に調和する能力が高いと言うけど、ネオンシティじゃ調和より団結が求められた。という話ね」
企業という単語にツルギは目を伏せる。
「私は企業に育てられた。心技体を企業に授かった人間だ。
……でも、彼らのやり方は好きじゃない」
「ネオンシャイナーの資格はあるわね。企業嫌いはこの街では美徳よ」
2人を乗せた車は、街行く作務衣や浴衣風にアレンジされた合成繊維を纏うサイボーグ市民たちを、変わる変わる車体に写しながら通り抜ける。
道の途中で、流麗華美な表社会が広がる上階と下階の分岐点に差し掛かり、2人は文字通りのアンダーグランド。半地下の空間に広がる地下街道オイラン・ストリートへと進んだ。
オイラン・ストリートは地下の利点を活かした常夜の風俗街であり、常夜灯すら薄紅に誂えられた桜色の世界は看板も往来の人々も、人目を憚るような蠱惑的な様式へと入れ替わっていく。
「見ればわかるだろうけど、ここはヘンタイとハンシャの世界よ。ヘンタイって世界で一番有名な日本語でしょうね。ふふっ」
嫌でも官能を意識させる雰囲気に酔った言葉を選ぶアリッサ。
しかし、ツルギはそんな街並みの中に溶け込んだ、一つの落書きが目に止まった。
「白蛇会見参……?」
「ハクジャ……? あっ、そうそう。クラン・オブ・ザ ホワイトヴァイパーって、日本語だとそう言うのよね。
ハクジャカイ。少しでも日本語を使って、親身な待遇を勝ち取らないと」
「ホワイトヴァイパーは、ヤクザか?」
「そうよ。ヤクザ。ジャパニーズマフィアって奴ね」
「つまり、あんたは……ヤクザから金を借りて逃げてたのか?」
「まさか! 逃げてはないわ。彼らはサンズとは格が違う。一回支払いを延長して、その期日が後数時間ってだけ。必ず返す予定だった」
「そんな言い訳が通じる相手だろうか……」
「その点は、大丈夫。ハジャジャカイのクズノキは、ヤクザというより冷酷なビジネスマンって感じだから」
「白蛇会だ。
ヤクザなのにビジネスマンか。あんたの言葉信じてるからな」
「ありがと」
「嘘だったら、この街にあんたの味方はいなくなる」
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続 熱処理。
ツルギは換装割合が大きく、身体能力を高めているので当然発熱量が大きい。(頭部では、センサーからの情報処理で生じるジュール熱。身体各種の駆動による部位毎の発熱など)
しかし彼女の場合は、血液を代替えの冷却液とする手法でこの問題に対策している。
(生身の人間が汗と血管の拡張で体温を下げようとするメカニズムをより効率、意図的に行えるようにした代物)
首周りと左右の脇腹に鎧戸型カバーがついた放熱装置があり、必要時にはここを展開して冷却性能を高める機能を備えている。
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