第8話 全てに見放される土地

 2人はネオンシティを抜け出し、デッドリーデザート致死の砂漠へと落ち延びていた。

 環境破壊が生んだこの灼熱の不毛地帯はワシントン、ユタ、テキサス、カリフォルニアを跨いで広がる広大な荒野であり、司法の目が行き届かない、神にすら見放された土地ウェイストランドとしても知られていた。

 この土地に公共サービスというものはなく、道のなれ果てに点在する給油施設の全ては法外な額で燃料を売り、そのような人が立ち寄る施設の周りには、ほぼ必ず“廃品業者”を自称する武装強盗が潜んでいる。


「アリッサ。これ以上は進むべきじゃない」


 ツルギが無鉄砲な運動手に警告を促す。

 彼女がいかにアメリカ大陸の世間知に疎くとも、人目のつかない広大な砂漠に潜む危険性は簡単に予測できた。ましてや、稼働部品全てが異音を立てるボロボロの車がこの土地の過酷さに耐えられるはずがないのは明白。

 なによりも、ツルギ自身はこんな距離までネオンシティを離れる予定すらなかった。


「アリッサ。こんなところまで来て、どこに隠れるつもりだ?」


 目に映る光学的な情報はボンネットから立ち昇る陽炎と地平線の遠く向こう暴れる砂嵐の稲妻。稲妻の正体は舞った砂塵の静電気のはずだが、生物の本能に訴えかける力を振り撒いていた。


 「危険だ。日本でも過去に災害の起きた地域に禍々しい地名をつける。

 この地のデッドリーデザート致死の砂漠という名もただの比喩では無さそうだ」

 

「大丈夫。道に間違いはないわ。私は敬虔でないけど、貴女がいるなら


 サンシェードからサングラスを取り出したアリッサは、まるで週末の小旅行という風体で片手運転を披露し、黒の遮光レンズが目元を隠し、白い歯が映える笑みを浮かべる。


は遊牧民じゃない。これ以上の巻き添えは御免だ。

 それともこんな一本道で方向を見失ったのか?」


 無愛想で無知な戦闘用サイボーグからの洒落た返答にアリッサは、親切心を被せた説教を始めた。

 

「戻るつもり? 目を覚ましなよ。

 ネオンシティに戻るわけにいかないわ。東もダメ。企業の州境があるもの。

 そうね。向かうなら循環農場を迂回してカナダか、砂漠を突っ切ってのメキシコね。メキシコは治安が悪いけど、今のネオンシティよりはマシ」


 説得と題したアリッサの口車には目の前のサイボーグを啓発し、感謝される事すら許されるだろうと誇大表現をふんだんに使っていた。が、ツルギ決意はアリッサの想像の何倍も固く、彼女には度し難い性質を孕む。


「ふざけるな。私はネオンシティに用があるんだ」


 アリッサは、さらに恩着せがしく話を運ぶ。


「ネオンシティに拘らなくても、あんな街は世界にいくらでも存在するわ。

 いっそ南米とかどう? 企業紛争とテロの世界だけど、ほら、住めば都というでしょう?

 これは


「もういいから車を止めろ」とアリッサを拒絶するツルギ。


「歩いて帰る気? ネオンシティにどんな価値があるの?

 あの街で新世紀のアメリカンドリームを狙っているのでしょうけど、あそこにはもう金脈なんて無いわ」


 会話のボルテージは平静ながら2人の内面には、相手を分からず屋と非難するする気持ちが臨界点に近づいていく。


お前に何を言っても無駄だ。だから車を止めろ」


「その言葉着払いで送り返すわ。でも、車は止めない」


 自分の考えを譲る気のないアリッサに、ツルギも同じ態度でより攻撃的に反論する。


「早く車を停めろ。こっちはお前を運転席から追い出してもいいんだ」


「はぁー……」と聞く方に嫌悪感をうえつけるため息の後、アリッサは相手の目を見据えての再三の説得を試みる。


「だからさ、ネオンシティに何の価値があるの?」


 その言葉がツルギから引き出したのはストレス源に向ける敵意、まだ短絡的に殺意を抱くほど強力ではない敵対心だった。


「分かった。教えてやる。………ネオンシティには、私たちを、私たちの部隊を裏切った奴がいる」


 狂気と信念が混雑する言葉だが、アリッサは、その割合に興味を惹かれ話を進める。


「は。わざわざ太平洋を渡ってここに来た目的が復讐?

 このありとあらゆる詩や映画が復讐は無意味と謳う時代に?

 なんなら、2000年前には、“敵を愛せ”って説法があるのよ?」


 もしツルギが自身を正義の代弁者と妄信していれば、否定的な言葉には強い反発が現れる。アリッサの言葉はその分量を知るための餌だ。


「関係ない。当事者にしか分からない事だ」


 しかし、ツルギは面倒くさそうに目を細める。


「私のツルギという名は、部隊長から“季札剣を挂く”の意味を込められた与えられた名だ。私にはこれしかない。だからこそ、必ず目標はやり遂げる」


「そう。でもさ——」


「でもは無い。

 お前たち西洋人には分からない事だ。私が生きているのは家族だった部隊の、彼らの無念を晴らす為だけだ」


 アリッサの目には、目の前の人物の言動が理解できずにいた。

 目的は曖昧で感傷的なのに、行動力と精神力は健全かつ合理的。無理矢理当てはまるなら、冷徹で、冷静で激情型。

 人格以上に影響力を発揮する、感情抑制システムか、信仰心のような何かがセットアップされているような不気味な性格だ。


「誇りかしらね」アリッサは推測を元に相手を怒らせてみたくなった。


「元軍人ってのはみんなそう言わね。


「……分からないなら、分からないなりに弁えろ」


 誇りを否定するアリッサのこの企みはツルギの琴線に触れた。

 アリッサの首に、助手席からゆるりとツルギの右手が回り込み、優しく首に触れると、精確無比に頸動脈を指圧した。


「——!!?」

 

 苦しみはなく、ただ急速に眼球が萎んでしまったような視野の狭窄が襲いかかり、目の中で星がきらめき始める。

 冷水に飛び込んだような危機を体は感じ、精神は全身の細胞が一斉に悲鳴をあげたような焦燥を味わう。

 しかし、脳だけは微睡むような心地良さを感じる。

 アリッサが受けている技術は、一瞬で気を失わせる格闘術の極致だった。

 生殺与奪をツルギに奪われ、アリッサは途切れかけた意識でブレーキを踏み。車をエンストさせながら路肩へと滑り込む。


「これでいい。あんたには一飯分の恩がある。だから、殺しまではしない」


 首元から手が離れると、アリッサの脳に間欠泉の如く血流が流れ込む。


「ッッ! これで……満足?」


 アリッサの全身から冷や汗が吹き出し、血管が空になったような脱力感がゆっくりと全身を巡る。 


「あぁ。殺しはしない。だが2度と顔を見せるな。お前みたいな負け犬とは、一緒にいたくもない」


「誰が負け犬だって? 貴女だって私の事なんか分かってないわ」


「いや分かるさ。お前みたいなのはどの前線にも一杯いた。自分の保身しか考えない臆病者で、矜持プライドもない本物の害悪だ」


「言ってくれるわね!

 貴女みたいに恵まれた人間じゃないと、生きるのに手一杯でプライドなんていう贅沢品は待てないの!」


「ふん。笑わせるな。あんたは羽根すらないダチョウだ。逃げ足だけ鍛えて、何も掴もうとしない……」


 声が離れていきながら車が軋み、サイボーグ1人分車体が軽くなる。


 「……さぁ、どこへでも行けよ。恥知らず。地の果てまで自分の影からすらも逃げればいい」


 アリッサはバックミラーの中で陽炎に眩んでいくツルギの後ろ姿をしばらく睨み続けた。


「……分からず屋の馬鹿者。例え進んでも、止まっても、戻っても、待っているのは死だけ。それなら、せめて1秒でも長く生きるべき………よ」


 聞く相手の無い捨て台詞を吐くとアリッサは頭を振り、キーを回し、エンジンを始動させ直す。

 ハンドルを握り直し、今度こそと前方に広がる砂漠を見据え、シフトレバーに手を掛けた。


「…………」


 そこでシフトノブに彫られた1速ギアと後退ギアの位置に目を移す。

 シフトレバーはまだニュートラルにあり、彼女は最後の一動作に迷っていた。



————————————————————


 設定として、元のアメリカ合衆国から、外資系企業がカリフォルニアを買取、法をねじ曲げて独立を果たした結果、北アメリカ大陸は東西に分裂して東のアメリカ合衆国と西のカリフォルニア連合が存在する。

 

 パナマ運河も中南米の騒乱により通行不可になっている。

 この為、アジア圏からの物資や移民がはじめに辿り着く経由地がネオンシティとなっている。

 

 

 

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