第5話 二転三転

「ありがとう。ツルギさん。

 でも、ここからは私だけの問題。これ以上あなたを巻き込めないわ」


 邪心を秘めたアリッサはそう儚げに呟き、割れたガラスドアから入り込む風が髪を撫で、顔には自罰的美徳の覚悟を醸し出す力ない笑みを浮かべた。


「……いや、1人になるのは危険です」とツルギ。


 その目には経験に裏打ちされた確信と、この街では珍しい義侠心に満ちた善性の力が漲っている。


「あなたの為にも、私たちはまだ一緒にいるべきです」


 アリッサは感涙を堪えるように目を伏せ………安堵が漏れ出るように緩く結んだ唇の裏で


「いえ、それはダメ。2人なんてかえって目立ってしまうわ。1人の方が安全。それこそあなたの為にもね」


 アリッサが取り繕う闇夜の月下美人を思わせる幽玄な表情は、そのすぐ下に隠れた狡猾な理性をまだ隠匿し、本心であるサンズを怒らせたツルギを見捨てる為の計略を推し進める。


 アリッサの中でこのシナリオは、献身的な英雄そのものの行為に見える口当たりの良いストーリーだと考えていたが………。

 自殺志願者でないはずのアリッサ、藁にもすがりたいであろう人間が、投げ込まれた浮き輪を拒絶するその姿は、善性で人を見るツルギにすら違和感を抱かせる。


「なぜ拒否するんですか……」


 ある意味仁義そのものに酩酊しているともいえるツルギだが、ほんの僅かな違和感きらその裏の意図の見出す。

 きっかけさへ手に入れば、彼女の推察力がが感じ取っていた全ての怪しさがアリッサの正体を見破り始めていく。


「待て………。あんた、連中は私を狙うと考えているな?」


 アリッサは表情こそ、装いを維持したが、一瞬だけ、上目遣い気味の無感情な目でツルギを睨む。


「はははっ。そ、そんなんじゃないって………」


 2人の間に冷たい空気が流れ込み、アリッサが渡る綱を凍らせ、ツルギが抱いていた恩義の全てが反転して裏切り者に向ける冷徹さに変貌していく。


「ツルギさん。あなた、何か、勘違いしてるわよ。あはは……」


 失敗を隠そうと表情筋を緩めた作り笑いは稚拙で、ツルギへの自白と同じ効果をもたらした。


「…………お前」


 アリッサは根本的な誤解として、ツルギを無菌室で育った世間知らずな箱入り娘とみなしていた。害意に疎く、恩恵を拒絶する事が出来ない単純なカモだと。

 確かにその見立ては半分ほど正しい。

 しかし、実際のツルギはネオンシティの常識に欠ける点を除いて、知能に欠点はない。

 彼女の言動に現れる“鈍さ”は、善性への願望と奥ゆかしさに起因するポーカーフェイスでしかないのだ。


「良い人に見えたのに………。いいさ。お前なんか、好きなところでくたばるがいい」


 静かな怒りの呪詛を吐き捨て、ツルギは音も気配もなく目だけが敵意を向けてアリッサの横を通り抜ける。


「ちょーっと誤解があるわね………——!」


 反転した背に声をかけた時、アリッサの網膜ディスプレイに1本の電話通知が届いた。 


 相手は先ほど退散したカルロ本人。


「テメェ! よくもやりやがったな!」


 その声は鼓膜を通さない通話のはずがアリッサの耳をキーンとさせ、画像は無くとも電話相手が唾を飛ばしまくっている事を容易に想像させた。

 

「殺してパーツを抜き取った後、残った皮でソンブレロを作ってやる!お前もあの女もな! 必ず八つ裂きにして————」


「——カルロ。怪我がひどくなさそうで安心した。今忙しいから、また掛け直すわ」


 アリッサは電話を一方的に切ると、玄関扉に手を掛けているツルギを追いかけた。


「ツルギさん。や、や、やっぱ、あなたが正しい。2人で行動するべきよ!」

 

 自己都合この上ない要求が拒否されるのは当然。

 引き止めようとツルギの肩に手をかけると、瞬く間にその手を絡め取られ、関節を捻られながらツルギに背を向けるように拘束される。

 手首、肘、肩の関節が完璧な角度で固定され、それだけでアリッサの全身は完璧までにに緊縛された。


「イテテテ!」


「ふざけるな。上べだけのクズめ」


 明確な拒絶を受けたのにもかかわらず、アリッサは言葉を受け流し、見返りながら場と相反する自信に満ちた笑みを浮かべた。


「腕を折る前に聞いて。

 君子豹変す。私は悔い改めたわ。それにあなたでも連中から逃げるなら、車が必要でしょう?」


「はっ。では、こうしよう」


 アリッサはカウンターまで突き飛ばされ、振り返ると、鼻先に刀剣と見紛う鋭い手刀が突きつけられる。


「鍵を出せペテン師、そうすれば命は助けてやる」


 目と鼻の先の手刀は、アリッサの顔面を貫けると自負を持っていた。


「……あら、怖い」


 アリッサは口をへの字に曲げ、胸ポケットから鍵を取りだす。


「交渉の余地はなし? そこまでやるのね」


チャリチャリ鍵を疑似餌のように揺らし、あえてツルギにひったくらせた。


「つけあがるな調子者。

 交渉とはこうやって有利な立場で行うものだ」


 鍵が手元から離れると、ツルギからアリッサに向けられる視線はゴミを見るそれと同じになり、存在そのものに無価値の烙印がつけられる。


 それがアリッサに下された最終評価だ。


 そして、アリッサはその評価を不当とも理不尽とも思わない。降りかかった言葉はその音の意味以上に、相手の思考体系をアリッサに提供する情報源でしかないのだから。

 

「それはそれは勉強になるわ。

 あー、忘れるとこだったけど、あの車は私以外だと爆発するように仕掛けてあるわ。

 合計10kgほどのプラスチック爆薬でね」


 強者の風格が成しえる堂の入ったツルギの目に動揺がパルス的な硬直として映る。


「…………嘘だな」


 言葉の響きには、勘破ではなく願望が込められていた。


「愚者は経験に学ぶ。試してみればいい」


「解除方法を教えろ。じゃなきゃ、お前は死を経験する事になるぞ」


「分かった。分かった。ただエンジンを掛けるだけよ。たぶん、きっと、それで大丈夫なはず。

 


「ふざける———」


「ふざけてるのはあなた。おふざけに使ってる時間は無いわよ。

 例えあなたの脚がどんな速かろうと、あなたにこの街で隠れる場所は無い。

 遠くに行こうにも私の車は使えない。死んでも解除方法は絶対に教えないからね。

 さて、残りの選択肢は? 今を今生の別れとして、一人ずつ殺されるか。

 あるいは卓越したドライバーでもある私と共に反撃までの時間を稼ぐか。

 さてさて、人生は選択の連続よ。今朝からあなたはミスばかりだ。今度こそ正しい選択をしてみたら?」


 アリッサが逆の立場で詰め寄られていたら、そんな言葉は無視して他人の車を盗んだだろう。

 しかし、ツルギはそんな行動に出ないと確信があった。


「…………」


「こらこら、将棋ゲームみたいに考えてる時間はないわ。すぐサンズが報復に来る。最短距離でね。

 私もこの街のならナビにでないような道まで知ってる。

 さて、あなたは? ここの路地が何ブロック貫通してるかも分からないでしょう?」


 アリッサは最後の決断を迫る。

 理性と垂直思考を阻害されたツルギがどう決断するは既に決まっている。


「ついてくる? いや。死にたくないならついて来なさい」


 今度はアリッサがツルギから鍵を奪い取ってみせた。


————————————————————


 アリッサが言った“10kgのプラスチック爆薬”が炸裂した場合、さすがのツルギでも木っ端微塵になる威力がある。

 プラスチック爆薬は暴発の可能性が極めて低く、高威力かつ粘土のような性質を持ち、車内のどこにでも仕掛けられるという極めて使用者に好都合で、被害者に厄介な性質を持っている。

 ツルギのような戦闘用サイボーグでは、限定的な防刃、防弾性能の付与や血液循環システムの合理化などの生存能力向上機能を有しているが、それでも“爆風”に対しては耐えられるほどの強度は持ち合わせていないことに加え、爆薬を探し出し、解除するような時間的に猶予もない状況では、言及されるだけで無視できない問題になる。

 

 



 

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