第3話 来店
嘘八百という言葉があるようにアリッサは嘘に嘘を重ね、その一つ一つの整合性を保つために、たった1ブロック先のダイナーまで車で移動した。
数々の嘘の中で最大の嘘は、出向いたダイナーが街一朝食の美味しい店というもの。
2人が訪れたのは“ジェフの店”という古めかしく陰ったネオンで看板で蛾のような客を集める典型的なドライブインダイナーで、料理の質は客が怒って店主を撃たないギリギリのラインを攻めて提供していた。
そんな店内は、構造にもひねりがなく玄関から入って左手の窓際にテーブル席が並び、右手にカウンター席と厨房が配置されている。
ドアに取り付けられた来客ブザーがアリッサの来店を伝え、厨房でサボっていた顔馴染みのウェイターが陽気な挨拶と共に週刊誌に目を戻す。
席の案内は当然なく、アリッサは我が物顔で奥へ進み、店中央に位置するテーブル席にツルギと向かいあって腰下ろした。
この位置取りは玄関口が常に見えるようにしたいアリッサのいつもの癖だったが、この状況でツルギの目を盗んで逃げるには不利な位置取りだった。
「やぁ、アル。コーヒーはいつもの物を二つ?」
席につくなり暇を持て余していたウェイターが、コーヒーポット片手に歩み寄る。
「えぇ」とアリッサがオーダーを独断で決めた。
そもそもネオンシティの常識として、コーヒーと言われる代用豆インスタントはブラックで提供され、砂糖とミルクは別途料金が掛かるシステムだ。
「お腹ぺこぺこなんだけだ、一番美味しいメニューはなに?」
アリッサの質問に、ウェイターはコメディアンがお決まりのジョークを言うようにニンマリと笑う。
「いつも言ってるけど、ここには不味いものしかないよ」
「じゃあ、いつもの」
「あ、ホットドッグはやめた方がいいよ。
なんか民共街から仕入れた油が、格安だったんだけどゴム臭いんだ。オーナーは返金は受け付けないし。すっごい臭いよ」
「じゃあ、フライドポテトは要らない」
「フライパンも洗っちゃったから、焼く物にはその油を使うよ?」
「じゃあ、安全な食べ物は?」
「BLTサンドかな」
「ベーコンは炒めるでしょ?」
「うちのはハムだよ。しかも挟んでからトースターで焼くから油は使わない」
アリッサは天を仰ぎ、油で黒く汚れた空調ファンを見つめながらオーダーを決めた。
「潰れてしまえばいいのにこんな店。そのサンドでお願い」
ウェイターが去ると、ツルギが不安そうに顔を寄せる。
「この店、大丈夫なのですか?」
「成人してるわよ?」
「今年で……たぶん、20か21です」
「ふーん……なら、OK」
この質問に深い意味はない。ただツルギが2040年前後の生まれと判明させた。
「あなた内臓は人工?」
この質問には、相手のスペックを推し量る意図も含まれていた。
このツルギという人物が、兵器クラスのサイボーグなのは間違いないが、全くロゴのないボディや、額から伸びたツノ状の部品などは単純な汎用品ではないと感じ初めていたのだ。
「はい。ほとんどは換装しています」
「それなら大丈夫。ここでメインディッシュを食べても……6時間の生存は可能なはずだわ」
ジョークを飛ばす裏でアリッサは全く別のことを思案する。
複数の内臓を換装するには当然費用が掛かる。彼女がその資本をどこから手に入れたのかと。
「アリッサさん。あなたは平気なのですか?」
「少量ならね。まぁ、この街では食中毒や不摂生より気にすべきは流れ弾よ。ふふふっ」
アリッサはそれとなく会話を終わらせ、無言の内に料理が届くのを待つ。その忍耐力は報われない事を届けられた料理が証明した。
「不味い。まるでダンボール紙です」とツルギ。
「アタリね。こっちは歯切れの良いガムみたい」とアリッサ。
「この国は……変な食べ物ばかりです。こっちに来てから、社食の
「レーション? あなた、軍か私兵だったの?」
やっとツルギから出た素性の糸口に、アリッサは何も気がついていないフリで尋ねる。
「元は
「豊枝……
「豊櫻をご存知ですか?」
アリッサは思わず吹き出して、粒状にバラけた成形ベーコンを口端から覗かせる。
嚥下という生物のOSが制御する部分にバクを生じさせるほどツルギの質問は馬鹿らしい。
「
広告や商品を見ない日がない大企業。
サイボーグパーツから武器、医療品まで幅広い分野に進出し、世界の覇権に王手をかけている企業の一つだ。
「私が所属していたのは豊櫻の下請け企業豊枝でした。そこで製品試験要員として主に……製品の性能試験です」
陰りのある物言いにアリッサも合わせて目を伏せた。
企業の人間には、優越感から発せられる傲慢で鼻持ちならない臭いがつきものだが、ツルギからはそれがしない。
豊櫻は例えるなら巨木の幹だ。下請けと称される数多の企業はそれを支える根であり、木が大きければ大きほど、根も長く複雑に分岐していく。
それもこれも土である消費者から養分を吸い上げる構造を構築していく為だ。
そう自分に説きながらアリッサは改めてこの全条件から外れた目の前のサイボーグを見聞し直す。
「そうなのね。でも、武装した製品試験要員なんて聞かないわね」
「……………実地での性能試験を行う部署でしたから」
「ということは戦争は行った?」
「………その話はしたくありません」
企業の人間は、辞めた後でも所属していた過去を誇示する。ツルギはそれと全く逆の反応を示している。
日本出身。特別注文パーツ。戦闘経験者。そして年高は20才前後。
アリッサが立てた推測は、ツルギ・ヤモリは、企業代理戦争、恐らく第二次朝鮮戦争か、東南アジア危機あたりに従軍した少年兵だというもの。
そう考えれば世間知らずながら市場にでないような高性能パーツを備えた人間がアリッサの目の前にいる理由に一定の根拠が確立する。
「嫌な事聞いたわね。ごめんなさい」
「いや。いいんです。ただ過去の話はしたくありません。自分の無力さを突きつけられるだけですから……」
アリッサは一つの結論に達した。
目の前のサイボーグは、サイボーグ化した企業の人間ではなく、企業の商品の一つなのだ。
アジアで乱発した一連の紛争は、企業が催した代理戦争で、すべて商品の実践プロモーションでしかなかった。
日、中、韓、露ありとあらゆる企業が兵士の人体換装を積極的に行い、実践データ収集と宣伝広告で莫大な利益を上げ、この新しい死の商人のビジネスモデルは、太平洋の反対側でも一波乱を産み落とすほど素晴らしい成果と犠牲を出したのだ。
「企業の行いであなたが気負う事は無いわ。
あなたはただ時代を生き抜いただけの被害者。
言ってしまえば戦争なんてのは、時代が移り変わる洗礼だからね。救いもないし、救いようもない。
まぁ、この国、この土地はその“洗礼”が特に多いけどね。元々の合衆国は内戦で砕け散ったし、分裂後は西海岸も東海岸もカナダとメキシコそれぞれ戦争したわ。
それで笑っているのは企業の連中だけよ。都市鉱山と死体の山の上の玉座でね」
この時アリッサは、サンドイッチを手に取っていたが口には運びはしなかった。
それは喋っているからではなく、アリッサの言葉に耳を傾けるツルギがそうしているからだ。
言葉がツルギの過去を巻き込んで心の表面をチクリ刺す感触は、彼女の顔に物の見事に現れ、アリッサはそれを喜怒哀楽で模倣する。
そうして話術に視覚的な共通点を混ぜて、相手の心に同族意識を練り込んでいく。
「その言葉……最後だけは同意します」
そう答える芯のない声は、アリッサにとっては手応えでしかない。
「そうよね。この世界は鬼畜の所業で成り立ってる。
こんなのおかしいわ。あなたを見ていると、企業への憎しみが湧き上がってくる」
奥歯を噛んだまま話を続け、音にも感情を馴染ませる。
「いつかあいつらには煮湯を飲ませてやりたい。
ま、今朝は煮湯ならぬものを飲まされたけどね。
今回だけはゲン担ぎにトイレ掃除をする習慣が役立ったわ」
2人の間に咀嚼音とアリッサの含み笑いだけが残った。
「さっきの事は本当にすみませんでした。ですが、これからは変なところから金は借りない方がいいと思います」
「あははっ。そうね。これから良く選ぶようにするわ」
アリッサに連られてツルギも口元緩める。
行動心理学を悪用したアリッサの話術は、目の前で食事を共にしているサイボーグの孤独感を少し癒し、共感というインポートを通してアリッサとの間に仮初の信頼感を構築していく。
ツルギがアリッサに合わせて感情とは乖離した笑顔を見せたのは、その最たる証拠でしかない。
アリッサの人心掌握術の手腕は、2人だけの世界にいる限り催眠術レベルだった。
「私が言うのもアレだけど、取り立て人があなたで良かった。これはもちろん話が分かる人って意味よ———」
チャリン——。
その時。玄関のベルが鳴り3人組の男たちが来店した。
トリオの内2人がそのまま玄関口を塞ぐように陣取り、1人が真っ直ぐアリッサたちの方へ進んでくる。
明らかにアリッサを見据えている顔に、彼女は見覚えがある。
「ちっ。今日は守銭奴ばかりに会うわね」
アリッサの上辺だけの友好的な世界が崩れ去り、ツルギの目に危機に遭い慣れた者特有の警戒心と洞察力が舞い戻る。
向かってくる男の首にはギャング組織エルコロ・サンズのメンバーを示す黄色バンダイがたなびいていた。
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サイボーグ化手術のあれこれ
サイボーグ化の基本的な改造の段階として、脳の電子機器対応化を行い、それに合わせて視覚や知覚などの情報処理関係の能力をバージョンアップを行う。この際に眼球のデザインなど、ファンション要素の強い改造を施すのも一般化している。
この辺りまでが、一般的なサイボーグ化と言われる範囲。
これらを前提として、さらに身体機能の向上を目的とした内臓の換装や手足の兵器化、電子戦能力などを付け足す事が当たり前に行われているが、この手の施術は自衛や職業的理由を除いては、基本的に違法な手術やパーツの入手に手を染める必要がある。
また本来人間に備わらない機能の拡張につれて、補助的な身体能力(筋力や関節、骨の強度など)の向上や脳や電算脳に掛かる負荷への対処が必要となり、超人的で万全の肉体を得るには必然的にコストが上がっていく。
つまり、アリッサは一般的に見て、何かの専門職の従事者かガラの悪そうな人程度の印象を周囲に与える。
一方で完全な戦闘用サイボーグに見えるツルギは、傍目から見ても異様な出立ちの人物に見えている。
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