第2話 ホールインワン

 アリッサな覚えた違和感は“第六感”とも言える存在しない脳の一部位から発せられた、何かしらの危機への危険信号だった。しかし、アリッサのアセトアルデヒドと癒着しているニューロンでは、信号を解釈する事が出来ない。

 重積だけを続ける違和感にコンマ数秒を費やし、意識上で何かがおかしいなと思い至る頃、彼女を囲む状況は非常に悪い方向に張り切っていた。


「うわっ———!?」


 耳を撫でる風切り音に始まり、グンと身体が持ち上がる。突如身長が突然伸びたかと見間違うほどの勢いで地面が離れていく。


 アリッサは誰かに首根っこを掴まれ、吊り上げられていた。


「誰だ!? 離せ!!」


 叫び捕縛された昆虫のように暴れるが、その時彼女ら手洗い場の扉を突き破っらされ、眼前にはクジラの如く大口を開けた大便器が待ち構えていた。


「ぎゃっぁぁぁ!」


——ゴボゴボゴボッ!!


 全てを理解した時、アリッサは襲撃者の手により便器に顔を突っ込まれた。


「———ぷはっ!」


だな?」


 体内に流れ込む空気と詰問。問いただす声はエフェクトで個性が脱色された女の声。


 「ゴボっ! ゲホっ!」と咽せ返るアリッサを「答えろっ!」と質問の主は、その言葉の意図とは正反対に顔を水中へ押し込む。

 

 その後しばらくアリッサは、溺死による殺害ではなく水責めによる自白が狙う襲撃者により、鰻の蒲焼さながらに何度も浸け出しされた。


「答える気になっただろう。お前はアル・コールマンだな?」


 アリッサのスペルはalissa。この頭文字2つをとってあだ名は“アル”になる。


「……部分的には……」


 つまり、アル・コールマンとはアリッサの通称の一つだ。

 

「……おへっ……。そうかもね」


 泥酔時に水を至上の美味と感じるように、水責め時の空気は彼女の心のオアシスとなる。

 その傍ら鼻、唇、顎を伝って滴る水道水が、彼女の手元に自身の生殺与奪権が無い事を思い知らされる。


「目標確保。アル・コールマン。逃げようとしてもそうはいかない。

 私は依頼主が貸した金を取り立てにきた者だ」


 言葉が重なるにつれ、取り立て人の声には東洋系のアクセントがある事が分かった。

 この特徴からアリッサが思いたあるのは、大半の構成員がアジア系を占めるギャング組織“ホワイトヴァイパーズ・アソシェーション”の集金人だ。


「クズ…………ゲホっ!」


 アリッサは、組織の大ボスの“クズノキに話をさせて”と言いかけた。


「ふん。上手な日本語だ。愚図ときたか。良い度胸だ。褒美をくれてやろう」


 誤解から彼女は再び水の世界に押し込まれた。


ゴボゴボゴボゴボ!!


「よく聞けコールマン。いまここで、お前が負っている借金1億西海岸ドルを耳を揃えて貸してもらおう」


「!?」


 アリッサには確かに借金がある。

 が、とてもそんな高額ではない、確かに相手は闇金融で、法外な利子と延滞料がついているはずだが、そんな自殺するしかない額に膨れ上がるのは彼らのビジネスモデルからもかけ離れている。


「待って、そんなの知らない」


「嘘をつくな! ・コールマン!」


「!?」


 アリッサは、アリッサalissa

 取り立て人が呼んだのはアリサalisa。確かに発音は似ていて、略称はアルだが、個体識別名となると全くの別物だ。


「待って、人違い!」


「ふん。まだ続けるか?」


 ゴボゴボと再び顔を浸けられる。


 だが、アリッサはしたたかに洗浄レバーを引き、拷問に使う水を下水へと押し流した。


「ゲホッ、ゴホッ! 水が……溜まるのには……時間が掛かるわよ。これで……話が……できるわね」


 腹を立てたのか取り立て人は、アリッサの体を持ち上げ、首を掴むようにして顔を見合わせた。


「……小癪な真似を」


 アリッサが見た取り立て人の姿は、想像より遥かに物騒な見た目をしていた。

 サイボーグ化が普及したこの時世でも異様なほど全身に施された換装の数々。アリッサを悠々と見下ろすほどの長身を誇り、拳銃弾じゃ傷すらつけられそうにない灰色の防弾人工肌、フィラメントのようにしなやかに動く関節と静と動の両方の性質を兼ね備えた人造の戦闘用筋肉。

 それらを駆使すれば、この取り立て屋がアリッサの頭を身体から引き抜き、頭を野球ボール大の肉団子に成形し直すのは容易い。

 そして、取り立て人の表情はその嫌な予想をいつ実行してもおかしくないほど無機質にこちらを睨んでいる。

 顔の鼻から上は光学的な補助を兼ねたバイザーで覆われ、額からはセンサーポールが2つ角のように天へと伸び、その相貌はサイボーグ化された東洋の怪物“鬼”そのもの。

 人間らしい部分は、唯一露出していて怒りに満ちた真一文字で結ばれている口元のみ。

 目の前に立っているのは、紛う事なく超一級のイクサ用サイボーグだった。


「あ、あなた、その装備……どこかの企業の人間?」


 自分の生命のか弱さを自覚しつつもアリッサは対話を持ちかける。

 それが丸腰で、性能面でもはるかに劣っている彼女が利用できるただ一つの武器だ。


「私に企業は関係ない。……縁を切った。

 無駄話の暇は無い。こうすればお前が誰かはすぐに分かるからな。」

 

 取り立て人はアリッサの顔を掴んで固定すると視覚での照合を始めた。

 スキャニングレーザーが、データを取り入れていくにつれて、取り立て人の口元は無表情から奥歯を噛み締める荒々しいものへと変貌していく。

 

「………お前は……誰だ……?」


 アリッサは、上瞼を点検するように目をくるりと回し、鬼の首を取ったとばかりに取り立て人のミスを指摘する。


「お茶目な優良債権者のアリッサよ。

 で、あなたが探しているのは?」


「アリサ・コールマン………」


「あっ」と声にならない声で鬼の口が真円を作ると、アリッサの身体は拘束から空中に解放され、落下先の便器にそのまま座り込む。


「ちょっと無実な被害者なのよ、優しく扱って!」


「……す、すまない………あなたは……人違いだった………本当にすまない……」


 取り立て人は、鬼が逃げ出す厳つい見た目と裏腹にその声は覇気を失い、絶望感を全身に漂わせ……ふらふらと踵を返す。


 その動作は搭載されている高性能パーツからは想像できないほど、ギクシャクとしていて1960年代のロボットのような足取りだった。


————————————————————


「はぁ……サイアク」


 人違いによる小規模嵐が去った後、アリッサはトイレットペーパーで顔を拭いた。

 その頃には、酸素欠乏と二日酔いはアドレナリンとノルアドレナリンのコンボでどこかへ消え去り、一仕事終えた顔で手洗い場を出た彼女は……。


「げっ……」


 そこで、何一つ解決してないと舌を打つ。

 

「あの、どうかしたの?」


 先ほどの取り立て人が手洗い場から玄関へ伸びる廊下のど真ん中でこぢまんと体育座りでうなだれていた。

 さらに、ガンッとやかましい事この上ない勢いで膝に額を打ちつけ、分かりやすく後悔に苛まれている。

 

「あのー」と恐る恐る尋ねるアリッサ。


「私は、ダメな奴だ」


 アリッサは言葉に詰まりながらも、なんとなく状況を察する。

 目の前のサイボーグは、ハードウェア身体は完璧でも、ソフトウェアメンタルはボロいようだと。


 しかし、まだ楽観はできない。


 下手な言葉ではソフトウェアの鬼の部分を再起動させてしまうかもしれないからだ。


「大丈夫。誰でも間違いはあるよ。

 私は怒ってないし、ドアも私が直しておくわ」


 アリッサが見せたのは、慈愛や任侠ではなく、弱者の生存戦略としての迎合。


「誰でも間違いはあるけど、それを重ねちゃいけないよ」


 明らかに精神的に不安定な戦用サイボーグを慰める彼女の心境は、ダイナマイトを密造する者と同じ緊張感を持ち、カミソリを滑る繊細さを要した。


「私を別の人と間違えていたという事は、あなたは今この部屋に正当な理由なく侵入しているワケだから、住居不法侵入の現行犯にあたるの。

 つまりね、私は善良な市民として……あなたを警察に通報する義務が生じているの。

 でもね、私個人、人の子のとして、あなたの未来の事を考えると、今すぐ帰ってくれれば全て無かった事にするわ」


 実際にはアリッサに“通報”という選択肢はない。

 現場急行のサイレンを聞いた犯罪者は100%激昂するので、かえって危険なことに加え、通報したところでこの街の腐敗し切った警察がわざわざ貧民街に出向いてくる確率は天文学的な確率だからだ。


「すみません。ここには来たばかりだったんだです……」


「……そうでしょうね。ここ私の部屋だもの」


「そうじゃありせん。日本から訳あってこの国に来たばかりなんです。……それなのに、それなのに……」


「あー分かる分かる。実は私もあなたよりちょっと先輩ってだけの流れ者よ。

 そうね、先輩として言えるのは、“ジャングルへようこそ”ここは過酷な土地よ。

 あ、でも大丈夫よ。この街ではやり直せるチャンスはまだたくさんあるわ。

 だからね、いや、だからこそ、この失敗を巻き返す為にも早く行動を起こすべきよ」


 取り立て人は、心の傷がさらに裂けたように額を膝に完全につけ、さらにコンパクトに萎縮。

 同時に顔面保護のバイザーが格納され、細くも人工筋肉の詰まった太ももに水滴が伝った。


「うぅぅ………。なんで、私は、こんなダメなんだ………」


 そう独自する顔は涙で歪んでいたが、色白の凛々しい顔立ちの日本人女性だった。


 「1人になると何も出来ず、教わった事は全然役に立たない………」


 本当に泣きたいのはアリッサのはずだが、先に泣き始めた取り立て人の横に腰を下ろし、その背中をさする。

 追い出すための説得も別の方法を取らざるえない。


「よしよし。そんな図体で泣かないの。

 そうだ。ここで会ったのも何かの縁ね。

 よかったら朝食を一緒に食べに行きましょうよ?

 街1番の店を知ってるの。ほら、お腹が膨らめば、少しは気持ちも前を向いて、良いアイディアが浮かぶものよ?」


 取り立て人は小さく頷き、いまさらの隠蔽工作なのか目元を手で拭う。


「私の名前はツルギ。ヤモリツルギ名前です。このご恩は忘れません」


「OK。ツルギさん。じゃあ、車を取ってくるわ」


 アリッサは、言葉と裏腹に車で逃走することつもりだった。


しかし………。


「いえ、もう歩けます。一緒に行きます」


「……そう…………。朝食は私の奢りよ」


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プロフィール


アリッサ・コールマン

生年月日(2030年4月1日)

身長169cm

体重74kg


ツルギ・ヤモリ(剣・屋守)

生年月日 2039年11月11日

身長191cm

体重150kg

 

 小話

 サイボーグの体重は体の換装度合いに比例して重くなる傾向がある。換装により、本来の肉体より比重の重い物質で体が構成させる為。


 

 

 


 

 


 

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