ネオンシティは眠らない

黒不素傾

第1章 インフィニティダミーコード

第1話 ネオンシティの日常

西暦2059年。

 満遍なく加速度的に進む技術の進歩は機械工学と生体工学の進歩の果てにサイボーグを実用化という一つの到達点至り、この技術は瞬く間に全世界の隅々までに普及していった。

 人体のサイボーグ化は、人々に有史以来最高の身体能力と演算能力を授ける一方で、それを提供する存在である“企業”の影響力を拡大させ、彼らを富と力を授ける現代の神とも呼べる存在までに祭り上げるに至る。

 そうして、世界は、自由主義的君主制と揶揄される歪な社会構造へと変貌を遂げた。


 その歪みの一例として、アメリカ合衆国カリフォルニア州は4度の経済破綻と民間企業への行政委託により、2059年現在『西合衆国・企業連合合同自治区域・旧カリフォルニア・ネオンシティ』という名に変わり、世界有数の都市であり、企業の支配する新時代の都市国家へと様変わりしていた。


 そんな時代のこの街にて、少しユニークな生き方を選んだのが、ならず者の2人の女性。アリッサ・コールマンとツルギ・ヤモリだった。


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ネオンシティ サウスランド地区


 その日の朝アリッサ・コールマンは、巨大マンション群の一つ“ドレドビル・ナンバーファイブ”の3300世帯の1人として、自室にて悶絶死を迎えたような表情で眠っていた。

 2000年代に流行ったキーボード用埃取りと同じケミカルな蛍光緑色の髪を扇状に枕に広げ、乾いてひび割れた唇で苦しそうな浅い寝息を繰り返す。

 彼女が本来のコンディションならば、整った顔立ちとミステリアスで物憂げなタレ目が印象に残る麗人の素質は備えているが、現在の彼女にはその一片も感じさせ要素がない。

 そしてその麗人の内面は、寝息を立てる外見ではなく、寝ているこの部屋こそが全て物語っている。


 熱気のこもった部屋は酒臭く、脱いだ順番のまま玄関からベットへ順を追って散乱する衣類。部屋の至るところには超小型データ基盤、切り抜かれた紙片、メモがゴミ集積場をしのぐ勢いで幅を利かせ、本人以外には物の配置の検討すらつかない酷い部屋だ。


「うぅ……」


 蒸れた部屋の中でアリッサは無意識にうめきながら寝返りを打ち、窓から注ぐ太陽に顔を向ける。


 まだ目を覚ましはしないが、瞼を通過する光に光学細胞が眉をひそめ、気を利かせた無意識が右手を日差しとして使う。

 その手は肩から指までが換装された精密作業用義手で、この真新しい合金の腕は、直前まで晒されていた太陽光を熱に変えて蓄えていた。


ジュゥゥ!

 

「熱っっ!!」


 夢に無自覚だった脳に唐突に火炙りの光景が幻出し、瞼が隠していた黒十字の人工眼球がカッと見開く。

 図らずも覚醒した脳髄が電算脳を起動させ、彼女の網膜内ディスプレイに幾つもの警告メッセージを表示させた。


 脳に接続された電気回路が、彼女に医学的データに基づいたプロトコルで二日酔いの警報を発し、いつのまにかインストールされていた健康アプリなるソフトウェアが彼女の健康寿命をマイナス3時間と表示する。


「……わぁお。本当に死ぬとこだ。……頭痛に吐き気……死んだ方がマシだった」


 吸血鬼さらながに差し込む太陽光から逃れ、青白い顔色が物語るように気分は最悪で、市場にタイムマシンが流通していたら昨夜の自分を撃ち殺しに出向いただろう。


「クソぉ。なんでこの部屋にいるのよ」

 

 彼女が寝ていた部屋は、3日前に向かいのマンションが爆破解体され、地球最高温を示すデスヴァレー砂漠と同じ日差しが差し込むようになった部屋だ。それを昨夜の彼女は完全に失念していた。


「あーーーー………。なんだっけ。昨日、何をしてたっけ?」


 最悪の目覚めを取り繕おうと、床にあぐらをかいて座り直す。

 頭痛にゆりかごめいた地球の揺れ、相当ひどい二日酔いだ。

 彼女を蝕んでいるのは、二日酔いとそれによる2次被害の波状攻撃。問題はそれだけに留まらず、断片的に残る記憶には不穏な映像や音声が散見される。


「サボテンは80%が水分らしい、つまり、コイツは水だ」そう言って、テキーラを指差す1人視点の映像。

「さて、酒と私の脳はどっちか強いのかっ!」そう言って10杯は並んだショットグラスを次々と煽る自分と、それを必死に制止する外野の声。

 これらは直視したはずの映像ながら、アリッサ本人はいたらずらで植え付けられたフェイク映像の可能性を考えるほど自覚に乏しい。

 

「いたずら……はないわね。並の奴じゃ、私のウォール防衛システムは破れない」


 自嘲と胃から立ち上る酒気を嗚咽に変え、サポートシステムをスリープからアクティブに切り替える。

 途端。今度は沸騰した湯水さながらに幾重ものデジタルメッセージが脳に轟いた。


「あー、うるさ。なによ」


 無数のメールが届いているが、彼女には非日常に誘い出してくれるような友人はおらず、音信不通に発狂するような恋人もいない。

 だが、今すぐアリッサに会いたいと鼻息を荒くしている何人かのには心当たりがあった。


 「はぁ」と視界を埋め尽くす催促メールをタイトルで判断して片っ端から削除していく。


「あー、リーだ。こないだ死んだよね。天国で返そう」


 遺言同然の催促は当然不履行なので、削除。


 「エルコロ・サンズのカルロ。殺すって言ってるけど、脅しね。さすがにボスがぶち込まれたばっかりで、上客はらないでしょ」


 こちらを殺しにくる危険がある人物だったが、アリッサが個人的にナメているので削除。


 「それから、ホワイトヴァイパー白蛇会か。この人には返そ。………一山当てた後でね」


 底辺生活者なりの生存本能が、本当に危険な相手だけは嗅ぎ分けた。

 そうして、もう一度横になりたいと乞う全細胞に鞭を打ち身体を起こす。


「……さて……遅ばせながら……今日を始めるとしますか……」


 寝室を出るというオデッセイを終え、1519年8月10日のマゼランと同じ意気込みで、廊下の端にあるトイレを目指す。今の彼女には全て大冒険だ。

 廊下まで到達。ふっと玄関を見ると扉が開けっ放しでドアのロックが千切れて火花を散らしている。


「ありゃりゃ。この新しい腕のパワーすごいわね。要修理だ……未来の自分に直させましょう……」


 やる事リストを組み立てつつ、玄関に背を向け、身体中の固まった関節をゴリゴリとほぐしながら関節とは本来可動部位であると思い出させる。


「あー、これ以上悪くしようがないくらいサイアク」


 体を伸ばす最中。アリッサの脳内に電子的にはバグに相当する無根拠なデータ群がノイズまたは“虫の知らせ”を発した。


「あれ? 玄関扉って爆薬じゃないと壊さないくらい丈夫だったような……うーん……」


 彼女のホルムアルデヒドに浸った脳は、その虫からの通告に意味を見出そうと徒労の池に漕ぎ出した。



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 ここまで読んでいただきありがとうございます。


 

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