翠子さんの結び目はほどけない 〜浄化室怪異見聞録〜

野村絽麻子

序 ほどけていく

ほどける 1

 窓の外は重たげな白に覆われています。裏庭の隅に植えられた椿が葉を震わせて、ぼそりと呟き、雪を払い落としました。二重窓の外側の音はめったなことでは部屋まで届きませんが、冷たい空気の振動が聴こえてくるように思えました。

 顕になった深い赤色の花弁がまぶしく咲いています。その間から薄青く透き通った綺麗な蝶々にも似た影が現れてひらひらと舞い、陽に照らされるとそのまま砂のように蕩けて消えました。こんな日、庭の中を跳ね回る透き通った兎や、冬の淡い陽の光をわずかに反射しながらふらふらと彷徨う小鳥の姿が見えることがあります。

 あれらは私が幼い頃から時々姿を現していましたが、指差して教えても両親には何もないと答えられるのが常でした。祖母だけは応じてくれましたが、同時に、その存在はあまり口にしてはいけないものだと諭す事も忘れませんでした。

 私はそれらから視線を逸らすと、ひんやりとした窓の、外側に張り付いた雪が凍りついて作り上げた結晶の形を、内側からそうっとなぞりました。


 私の生家、梅小路うめこうじ家は片田舎のいわゆる名家です。父も母も、この家のお役目や跡取である兄の教育に忙しくしているのが常でしたから、私は幼いころから一日の大半を祖母と一緒に過ごしていました。

 私と同じようにこの梅小路家に生まれ、婿養子を迎えて子を産み、育てることで生きて来た祖母は、祖父から父へと家督が代替わりした今となってはすっかりと隠居し、まるで尼僧のような暮らしをしていました。

 祖母は物腰が穏やかで、優しくて、裁縫がとても上手でした。土地柄で雪も深いため、冬などは特に、足の悪い祖母は外へ出ることもままなりません。祖母と私は暖炉の前で日がな一日、刺繍や裁縫や編み物などをして過ごしたものでした。




 祖母が亡くなった冬のことでした。

 ある日の朝、暖炉の前で足の爪を切っていると、左足の小指に糸くずが付いている事に気が付きました。何とはなしに取ろうとしましたら、それがするりと伸びたのです。あら、ほどけた。そう思いました。

 でも変なのです。だって爪を切っていましたから私は素足です。では何がほどけたのか。覗き込んで驚きました。その糸は、私の足の小指に繋がっていました。繋がっていると言うよりもむしろ、私の足の小指が「ほどけて」いたのです。

 薄い桃色の、細めの毛糸のような感触の糸でした。ほどけてしまった足先は何となくむずむずとしてどこか座りが悪く、落ち着かない状況です。今までなら迷うことなく祖母に相談する所でしたが、もう、祖母はここには居ません。

 しばらく悩んでから、私はそれを誰にも相談せずに、ほどけた部分を小さく束ねて左足ごと靴下にそっとしまいました。


 翌朝、目が覚めて確認してみても状況は変わらず、それどころか、どんなに注意深く生活をしていても、私の左足は日を追うごとに少しずつほどけていきました。小指と、薬指が半分ぐらいにほどけた頃、今度は右足の小指がほどけてきました。こうなってくると思い起こされるのは足の悪かった祖母のことです。もしかしたら祖母は、今の私と同様に足先がほどけていたのではないでしょうか。冷えるからと言って夏でも手編みの靴下を身につけていたのです。


 思い余って切ってみようとしましたが、ハサミを入れた箇所が鋭く痛んだのでやめました。ほどけるのを食い止めようときつく縛っても痛く、縫いつけようとしても針を刺すことが出来ません。

 なす術もないまま、私の足は端からだんだんと、静かにほどけていきました。


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