第7話 出発

 気が済むまで泣いて泣いて泣いて。


 ポラリスは泣き疲れてくったりとなった体をリヒトの胸に預けていた。


 いつまでそうしていただろうか。

 気づけば車窓しゃそうの向こうの夜空には、ぽつ、ぽつときよらかな星々の光。道路沿いの瀟洒しょうしゃな街灯も点灯し、まばゆいしろいろの輝きが夜の高級住宅街を照らしていた。


「そろそろ神殿長たち、戻ってくるか」


 まさかリヒトの上司たちの前で抱きしめられている訳にもいかない。

 名残惜しくもポラリスはリヒトから体を離し、座席に腰を落ち着けてシートベルトを装着する。久しぶりにするシートベルト。


 たくさん泣けたお陰で、清々すがすがしい気分になっていた。


「もたれていいぞ」


 言われるがままにリヒトの肩にもたれかかる。誰かに寄りかかることのできる安心感で、ポラリスはうっとりとまぶたを閉じる。


 神殿長ビアンカと先ほどの男性騎士が車に来たのは、ちょうどその時だった。


「待たせてしまってすまない」

「いえ。お二人ともお疲れ様です」


 苦笑して謝るビアンカに、リヒトがいたわりの言葉を返す。

 ポラリスからすればむしろ待たせてもらえたおかげで、リヒトの腕の中で泣けたのだったりするのだけれど。


「神殿長。話は終わったのですか?」


 リヒトが質問する。ビアンカとイヴォンとの会話、で間違い無いだろう。


 刹那、薄く沈黙が車内を満たして。


「リヒト。君にはあとで詳しく話す。今は神殿に急ごう。ポラリスは?」

「この通り、疲れているようで」

「分かった。騎士長、帰りも運転お願いします」

「了解。出るぞ」


 男性騎士の合図と共に、黒塗りの公用車が動き出す。エテルノ王国では自動運転車が車の八割を占めるが、今の時代に珍しくこの車は手動運転らしい。


 ポラリスは薄くまぶたを開けた。

 遂に家を離れるのだ。曲がりなりにも十八年間を過ごした実家を、離れるのだ。


 良い思い出なんて一つも無いはずだったのに、不思議と一縷の寂しさ、裂かれるような感傷が胸に去来きょらいしてつんとしびれたように痛む。


 すがるようにしてリヒトの肩に体を預ける。淡く伝わる体温が、胸に渦巻くものをそっとなだめてくれた。


「疲れているだろう? 眠って良いぞ」


 言われてポラリスは、魔法をかけられたかのように眠りの湖に沈んでいった。



 ポラリスが寝入ってしまったのに気づいてか、ビアンカが起こさないようにか小声で言う。

 ポラリスの境遇を詳しく知る彼女は何かと案じていた。


「眠ってしまったか」

「はい」

「なんというか……君とポラリスは本当に仲が良いのだな」

「そうですね」


 ポラリスを愛おしげに見つめながらリヒトが小声で答える。


「予定通り彼女――ポラリス・クライノートを次期聖女として神殿に迎える。イレギュラーなことが立て続いていて聖女のすることも本人には説明できていないから、しばらく書類上は一般市民を虐待から保護したということにはなるが…………」


 やるせなさを滲ませて、若き神殿長は守護騎士に命ずる。


「ポラリスの守護騎士は君だ、リヒト・アンブロワーズ。養成学校から積んできた努力の結晶を、次期聖女をお守りすることに存分に発揮しろ」


「了解」


 ――やっとまた会えたんだ。もう離れたりしない。


 これまでいろんなことがあった。ポラリスにもリヒトにも。


 これまで会えなかった日々を思い返しながら、リヒトは優しくポラリスの髪を撫でた。

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