第4話 それはまるで、夢のような。

 そう告げられた瞬間、ポラリスはいかずちに打たれたように固まった。

 ビアンカは言った。守護騎士が、ポラリスの婚約者となる男性がもうそこまで来ている、と。


 会いたくない、と言うのは許されないだろう。 

 相手もある程度は覚悟がある上で守護騎士という立場に着いたのだろうし、腐っても次期聖女となる自分が、いたずらに守護騎士となる人を拒むのは身勝手に当たる。


 それでもポラリスの心境は穏やかで無い。

 胸の内の真っ白な画用紙を絶望という漆黒の絵の具で塗り固めて、初恋は叶わぬものなのだと思い知る。


「必ずしも今日会う彼を選ぶ必要は無いんだ。ただ次期聖女のお披露目は守護騎士との婚約式も兼ねているから、あんまりとっかえひっかえという訳にはいかないけどな……。大水晶が君を選出したのは、恋人がいないということも理由のひとつだったんだ」


 大水晶の選出基準が妙に人間的だなと思いつつ、ポラリスはその場に棒立ちしている。


 世は自由恋愛が当然の時代だ。性やパートナーシップの在り方の多様性を幅広く受け入れる、エテルノの法律と世論と逆行する扱いをポラリスは受けるのだ。


 けれど。けれど、彼女は。


 ――決めなくては。前に進むと。

 ――どうなるのであれ、身の回りのことは変わるのだから。


 神殿での生活がどんなものなのかは未だ分からない。分からないゆえにそこで幸福を得る可能性だってあった。

 たとえどんなに厳しく過酷だったとして、地の底に這いつくばる今を考えればどうということ無い。


 これ以上状況を悪くなるなら、戦火に晒されるか一生監獄に幽閉されるかでもしないといけないだろう。

 そのくらい酷い状況にあることを、虐げを受けていると言うことを、十八歳の少女はなんとなしに理解していた。


 どのみちいつまでもここで、ぐずぐずしている訳にもいかない。


「分かりました。その方にお会いさせてください」


 ポラリスが意思を示すと、ビアンカがほっと息を吐いた。


「そうか。こちらも急に来てしまったし、神殿に行くのに荷物を運ぶくらいはするよ」


 つかえた物がすっきりした様子で、神殿長と呼ぶには若いビアンカが言うと。


「お願いできるのですか?」

「ああ、騎士にも手伝ってもらおうかな」

「へっ」


 思わずポラリスののどから変な音が出た。


 こうして他人から丁重ていちょうな対応をされること自体久方ぶりで、無意識に涙が出そうなのを必死で堪える。


 心は真っ暗に塗りつぶされて、最早何が何なのか分からなくなっているけど。


「リヒト! この子の荷物を頼めるか?」


 ポラリスの騎士の名はリヒトというらしい。

 ……………………リヒト? リヒト?


「神殿長、彼女本人は――」


 言いながら現れた人物に、ポラリスの全身が涼風すずかぜを通ったような鳥肌が立った。

 

 その人物は、紫黒のジャケットにネクタイの騎士制服に身を包んでいた。騎士だけあって鍛えられた体だ。

 丁寧に撫でつけられた、少し長めの黒髪。聖女を守る守護騎士にふさわしく精悍に整った顔立ちに。真昼の海の水面を思わせる美しい碧眼は、陽光を反射するが如く眩い光を秘めている。


 紅を引いたような赤い唇が、弦楽器のような深みある声を紡ぎだす。


「次期聖女ポラリス・クライノート様。再びお会いできて光栄です。エテルノ王国王都シレンシオ市にあります、クレアシオン神殿から参りました。あなた様の守護騎士、リヒト・アンブロワーズと申します」


 ポラリスの心にあった漆黒の画用紙が、黒いままで輝きを放った。 


 一瞬だけ、同姓同名の別人かとも思ったけれども。彼は言った。再び会えて光栄だと。


「リヒトさん…………? あなた、なの、ですか?」


 









「はい、リヒトです。いつかシャボン玉が飛んだ日を、覚えていらっしゃいますか?」



 それはまるで、夢を見ているかのような二人の再会だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る