八月七日 群馬 「真」

 時刻は十八時十分、辻塚留佳は、少し遅れて島田宅に到着した。

「遅くなってしまいごめんなさい!少し電車が遅れてしまって…」

 お昼の間に、電車でどこかへ行っていたのか。

「よし、じゃあ行こうか。」

 インターホンを鳴らすと、島田亜美はすぐにドアを開けた。

「お話はお昼に受けていたので、お受けしましたが……何度も何度も、何でしょうか?」

 はじめに見た淑女の印象は、やはり風体を見ると感じられるが、今見るとどこかそこに深い闇のような、背景が明るいわけではないことを感じ、相模原は、第一印象というのは実に当てにならないものなのだと知った。

「これで、最後になるかと思いますので。捜査へのご理解とご協力をよろしくお願いします。」

「最後なんですか……?まあ、はい、もちろん協力しますけど……」

 島田亜美と相模原は、静かに腰を下ろした。

 留佳は、ソファのそばで立ったまま、何か考え事をしているようだった。


「亜美さん、私たちは、何度も亜美さんに流され、振り回されてしまいました。今日、お昼に東京へ行ってきたんです。町田市です。私はあの町の雰囲気、好きですよ?失礼。亜美さんは行ったことはありませんよね。」

 留佳は、意図せず島田亜美を見下ろす形で話し始めた。

「なんの、話でしょうか?」

「いえ。前置きは苦手でした。何でもありません。まず、亜美さんの旦那様、島田宗吾を殺したのは、楠木蓮ではありません。今日午前中、楠木蓮と面会をし、話をしました。全て、話してくれましたよ。」

「全て……」

 島田亜美は、全て、の言葉がどこまで含意された言葉なのか、思案しているのだろう。「全て」と口にしながら、留佳の方を、試すように見た。

「要点をかい摘みますと、楠木蓮は、犯行を行なっていない事。そして亜美さんから、犯行方法等を聞いた事。この二点ですね。」

 島田亜美はどこか諦観したように下を向いた。

「楠木蓮は、島田宗吾を殺したのは亜美さんだと思い、歪んだ愛をもってして、亜美さんの身代わりになることを誓い、自首するという行動に移しました。楠木蓮の自首によって、捜査は大いに婉曲しました。もちろん、島田宗吾を殺害したのは、亜美さんではありません。確固たるアリバイがありますから。しかし、それによって、亜美さんが、自分を犯人だと名乗って、楠木蓮に身代わりになってもらおうとした理由が分かりませんでした。そこで考えられるのが、亜美さんは犯人を知っており、その人物を守るために嘘をついた、という真実でしょう。亜美さんがそこまでして守るとすれば、息子の昇太君ですが、彼にも友達の家で泊まりをしていたという確固たるアリバイがありました。他の人物となると、島田宗吾でも、楠木蓮でもない、別の亜美さんが想いを寄せる男性なのではないか、という考えです。恋愛のもつれですね。ですが、私が思うに、亜美さんが出会い系で男性と関係をもつのは、あくまで足りない欲求を満たすためですから、想いを寄せるのとは違います。その線はないのではないかと考えていました。」

「そのような言い方はやめてください。」

 島田亜美の声色からは、止まらない留佳の言葉に対する、苛立ちを感じられた。

「失礼。そこで私は、考え直しました。そもそも亜美さんがついた嘘は、「誰かを守るための嘘ではなく、自分のための嘘なのではないか」と。そのように考えた時、一つの仮説が組み立てられました。一体なぜ楠木蓮に身代わりになってもらったのか。それは、島田宗吾殺害事件を「解決」させるためですね。亜美さんは、島田宗吾殺害事件について、犯人は捕まらない、未解決事件になると考えていた。ですがその限り、遺族であり家庭内暴力の被害も明るみになった自分は、常に捜査線上にいることになる。世間からの憶測の風当たりも強いでしょう。場合によっては既にそのような思いをされたのかもしれません。それは、亜美さんにとって辛く、苦しいことです。そこで、楠木蓮の申し出を受けて、犯人不明ではなく、犯人が捕まり、事件解決にする。そうすれば、事件に対する世間の反応も風化していくだろう。それが望ましいと思い、楠木蓮の申し出を受け入れ、自分が犯人だということにした。といったところでしょうか。兎にも角にも、楠木蓮はこの複雑な事件に振り回されたごくわずかなワンピースでしかありません。」

「留佳、今の話は確かに島田亜美はなぜ犯人であると名乗ったのかの説明にはなっている。だが結局誰が島田宗吾を殺したのか、そしてなぜ島田亜美がその犯行方法を知っているのかが分からない。そこを教えてくれ。留佳の言う、その「捕まらない犯人」ってのは、誰なんだ?」

「それが、亜美さんが厳秘にしていた領域でしょう。大きなヒントになったのは、七月二九日、初めてこの家にきて、亜美さんから友達の電話番号を伺ったときです。あの時、はじめに通話履歴が見えました。私は瞬間記憶能力があるので、その番号を覚えているのですが、一つ、七月三十日の通話履歴に、気になる電話番号がありました。〇三から始まる番号です。亜美さんは、群馬生まれの群馬育ち、ご実家も高崎市だそうですね。〇三から始まる電話番号は、東京都の市外局番です。電話番号を調べてみましたが、公共的な電話番号ではありませんでした。学生時代のお友達が、東京に出ていることも考えられますが、亜美さんと同じ三十代前半の東京に出た人が、今時、家の固定電話を登録するでしょうか?ライン等のソーシャルネットワーキングサービスが主流になった昨今、家の電話機を使う人はどんどん減っているそうです。七月三十日、亜美さんは、東京の一体だれと電話をしたのか。はじめこれは、事件とは関係ない、別の男の人か、何か親戚とのやり取りなのか、本当にただの興味程度のものでした。」

 留佳は、背筋を伸ばし、島田亜美を一点に見つめ、話し続けている。

「その電話番号が、私に再度大きく思い出されたのは、島田宗吾殺害事件とは、全く関係のない事件を追っている時でした。東京都町田市立翡翠中学校の神田龍弥先生殺害事件のために、神田先生のクラスの生徒個人調査票を見た時です。亜美さんのスマホで見た〇三の番号と、全く同じ番号が見つかったんです。その人物が、車谷明子さんのお宅でした。そして、話をしました。車谷悠介くんと。」

 島田亜美の表情に、大きな翳りが見えた。

「車谷悠介君は、携帯がLTEモデルではないため、家の電話番号を使って様々登録しているようです。そして、その携帯に、出会い系アプリ「ループ」が入っていました。亜美さんと、楠木蓮を結びつけたアプリですね。悠介君にそれとなくメールで聞くと、作家ともし繋がれたら、という気持ちでインストールしたが、全然ダメだったという話をしてくれました。ですが、ここで、私にある仮説が浮かびました。」

 

 相模原は、話を聞きながら、留佳のいう仮説を想像した。

 そして、頭の中で否定した。

 

「群馬における島田宗吾殺害事件、そして東京における神田龍弥殺害事件。この二つは、深く、そして歪につながっていたんですね。島田宗吾を殺害したのは、東京に住む車谷悠介君です。そして、神田龍弥を殺害するはずだったのが、島田亜美さん、あなたですね。出会い系アプリ「ループ」を通して、あなたと悠介君は出会った。そして、悠介君は、亜美さんに交換殺人を申し込んだ。そして、亜美さんはそれを承諾した。この事件は、群馬と東京をつなぐ、交換殺人だったんです。亜美さんが犯行方法を知っているのは、七月三十日の悠介君からの電話で、その詳細を聞いたんですね。」

「私は、私は神田龍弥という人を殺していません!!本当です!そんなのはでたらめです!!」

「はい。あなたは殺していません。亜美さんはあくまで「殺すはずだった」人物です。車谷悠介君とはじめて話をした日、私は交換殺人の可能性を考えました。ですが、ここに決定的な矛盾が生じます。神田龍弥が殺害された八月二日、何があったか覚えていますか?」

「いえ、あまり…覚えてません…」

「あなたは楠木蓮と会っていました。死亡推定時刻に多少の前後があっても、群馬と東京、数十分で行き来できる距離ではありません。つまり、あなたには八月二日にもアリバイがあるんです。」

 そうだ。島田亜美には、島田宗吾が殺された七月二七日、そして神田龍弥が殺された八月二日、この両方の事件の日にアリバイがある。これが、交換殺人の仮説を否定した、相模原の理由だ。

「だから、私じゃないって言ってるでしょう?」

「では、あなたが殺すはずだった神田龍弥を殺害したのは、誰なのか。ご存知ではないでしょうが、想像できてしまうから、考える事をやめ、蓋をしているんじゃないですか?」

「何を、言ってるんですか?もう、やめてください。」

「やめません。八月二日、なぜあなたは楠木蓮を家に入れることができたのか?家に息子さんがいる中、不倫相手を家にあげるような愚行はありえません。八月二日、夜遅くに、昇太君は、一体どこにいたのでしょうか?」

「まさか……」

 相模原は、なぜ留佳に、七月二八日と、八月二日の夜、島田昇太と車谷悠介という、中学生二人のアリバイを調べさせられたのか、恐ろしくも合点がいった。

「神田龍弥を殺害したのは、あなたの息子さん、島田昇太君です。代わりに昇太君が殺人を実行することにした。」

 そんなことがあるのだろうか…

 島田亜美は、普段は意識しているであろう、どの振る舞いが望ましいかという考えなど一切捨て、かつての淑女の風体は、微塵も感じられなかった。

「どこまでいっても仮説でしょう?昇太が殺人なんてするはずない!!」

「はい、仮説でした。信じたくもない、仮説でした。これが真実であれば、私はあなたを通して、この世を憎んでしまいそうでしたから。ですが、探偵といえど、仮説で息子さんを殺人犯呼ばわりするのは、許されません。そのために、今日東京に行ったんです。先刻、悠介君に会いに行っていました。」

 そう言って、ソファに腰掛け、留佳は出されたお茶を飲みながら、ゆっくりとまばたきした。

 

 一瞬、空気が張り詰めつつも、穏やかなように感じられる時間が流れた。

 その時、相模原の携帯に着信が鳴った。

「すまん、少し出てくる。」

「はい、きっと出るべき電話のはずです。」


 電話を耳につけた相模原は、はじめ声を呑んでいたが、徐々に得心した様子となっていった。

 携帯をしまった相模原は、留佳達の方を見て言った。

「車谷悠介が、今、群馬県の島田宗吾殺人事件の犯人として、自首したそうだ……」

 決して、息をついたわけではなく、空気全体の呼吸は荒いにも関わらず、異様に静かな時間が、そこに流れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る