八月六日 東京 「遺」
八月六日午前。
東京は群馬と違い、電車が主な交通手段である。使い慣れない電車を、時刻表アプリを見ながら何とか乗り継ぎ、神田龍弥の家へと向かった。
神田龍弥の家は、質素ながらも、近くに公園やスーパーがある、生活感のあるアパートの三階の一室だった。
相模原がインターホンを鳴らしたが、返事がなかった。
「今日、一応アポは取ったんだがな。」
しばらくすると、玄関が開かれた。
「待たせてしまってすみません。結のオムツを替えていて……。あまり整理されていませんが、どうぞ。」
神田龍弥の妻、神田咲である。
子どもの玩具や、龍弥のスーツのネクタイが椅子にかけられている所から、幸せな子育て家族の雰囲気が、家からまだ感じられた。
「お忙しい中、誠に申し訳ありません。お焼香、あげさせていただいても?」
「ああ、ありがとうございます。」
お焼香が終わった時、丁度赤ちゃんの寝かしつけを終えたらしく、リビングの机に向かい合う形で、留佳と相模原、咲は席に着いた。
「この度は、ご愁傷様でした……」
相模原の言葉に次いで、留佳は頭を下げた。
「いえ、何だかもう、分からないんです。悲しいのに、それどころじゃないと言いますか……感情が、追いつかなくて……」
席について、一言目のやり取りで、神田咲は涙を流した。
「お辛く、お忙しい中、誠に申し訳ありません。飾ってある写真を見させていただくと、神田龍弥さんは、とても素敵なお父様であったのが伝わってきます……」
「はい……いつも、娘の琴音と結のことを一番に考えてくれて……おかげで、琴音はパパと結婚するなんて言って、よくふざけて私と奪い合いなんてして……」
「本当に……素敵な旦那様ですね……。不躾な質問で誠に申し訳ありませんが、最近、何か龍弥さんの様子で気になるようなことはありましたか?」
「いえ、特にはありません……。最近は子育てで私が疲れているのを感じて、仕事から帰ってきても、仕事の愚痴も全く言わなくなっていました。何かあったとしても、私に見せないようにしていたのかもしれません。」
愛は、言葉なくして伝わる……。二人が、本当に愛し合っていたことを、これだけのやり取りで相模原に十分に感じさせた。
「そうですか……。お辛い中、お話をしてくださって本当にありがとうございました。一つ、お願いがあるのですが、そちらの額縁の家族写真、拝借してもよろしいでしょうか?必ず、お返しいたします。」
留佳が指差した写真は、楽しそうに公園で過ごす四人の写真だった。
「刑事さんたちのことなので、そこは信頼しております。何かのお役に立てば幸いです。」
咲はそう言って、留佳に写真を渡した。
相模原と留佳は、その写真を手に、悲しみと愛と、命の宿る家を後にした。
事件について進展のある情報はなかったが、留佳は深く考え込む様子だった。
「どんな人間だって、殺されていい人間はいません。「どんな感情でも、自分が可愛いからこそ起こる」、「人を審判する場合、それは自分に、しかばねを、神を、感じているときだ」。どちらも、太宰治の言葉です。殺したいという殺意は、誰かを想う愛が故だとしても、誰かを想うというその感情そのものは、自分が可愛いからこそなのかもしれません。それに、殺人という審判は、やはり人間の所業ではありません。神はいないので、人間の作り出した司法という屍に任せるしかないのです。はい……うん。やはり、殺人は許されざる行為です。」
留佳は、どこか一人会得したように話をしながら、そのまま別れた。
相模原自身、神田咲と話をして、必ず犯人を捕まえてやろうという気持ちが高まっていた。
神田龍弥を殺したのは一体誰なのか、必ず、遺族のためにも犯人を見つけてやる。
八月六日の昼、二人はそれぞれの捉え方をもちながらも、同様の決意を胸に東京を出発し、群馬へと戻った。
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