八月五日 東京 「転」

 翌日八月五日。余裕をもって身支度をし、午後一時に、駅で相模原は留佳と合流した。留佳は先にいた。

「きちんと遅れず、素晴らしいですね、お互い。」

「時間を守るなんて社会人として当たり前すぎるくらい当たり前だ。」

「当たり前の積み重ねが、素晴らしいを創るんですよ。」

 留佳と会い、他愛もない会話をすることで、相模原は太陽を感じ、ゆっくりと時計が再度動き出す。

 二人は東京行きの新幹線に乗り込んだ。


「新幹線って、本当に素敵ですよね。早い。本当に早いです。」

「ああ、かつては東京大阪間を二時間半で移動できるなんて、夢にも思わなかったな。」

「そうなんですね。紀元前の哲学者であるセネカの「人生の短さについて」という本では、多くの人は財産などには拘って、大事に使ったり貯めたりするが、こと時間となると、急に扱いが雑になり、簡単に他人に分け与えてしまうと語ります。それが、人生の短さの原因であると。」

「俺なんかは、仕事してるうちにもうこんな歳だ。人生なんてのは、確かにあっという間だな。いかんせん、時間は貯められないからな。」

「おっしゃる通り時間の貯金はできません。なのにみなさん、した気になってますよね。「将来のために今は我慢しよう」とか、「ここは我慢の時だ」というような気持ちは、有意義な時間の貯金に思えて、これこそが人生を短くしている原因です。現代社会人は、過去を振り返る時間もなく、先の不透明な将来に期待して、目の前の今を手一杯に生きています。そうして、あっという間に人生を遂げるのです。ですが、新幹線の開通によって、その短さに幾分かの変化が訪れたことと私は思います。蔑ろにされている時間の価値を大事にしようという叡智の結晶が、新幹線です。本当に、素敵です。」

「移動時間を有意義に使う人種もいるぞ?おれなんかは充実した読書タイムだ。」

「だから、交通手段が多岐に渡るんです。それぞれの今ある命、時間を有意義に使うために、たくさんの選択肢が用意されています。お金をかける=早く行ける。だけでなく、早く行った先に自分の時間をどう使うのか、どう生きるのか。それもなく新幹線に乗るのは私は財産と時間の無駄遣いで勿体無いと感じます。セネカが言っている通り、時間の勘定は、大事にしていくべきです。」

 時間の価値。人生の短さ。若者の言葉は、相模原に後悔を与えた。

「そうだな。このやり取りは、いい時間だった、ありがとう。」

「タイムイズマネーとか、時は金なりとか言いますが、私はやはりお金より時間の方が価値高いと思います。時間をかけずとも、博打に出ればお金は一発で増やせます。それで幸福にもなるでしょう。ですが、その幸福は性的快楽と同じ一時的なものに過ぎません。真の幸福には、愛が不可欠です。その愛を満たすのは、時間と教養が必要です。そして教養を身に付けるのにも、時間が必要です。太宰治は「教養のないところに、真の幸福は絶対にない」と言っています。」

「真の幸福ってなんだ?」

「愛することができることだと、私は考えています。」

 「愛する」という言葉の意味を考えあぐね、黙っていると、留佳の方から本を捲る音が聞こえてきた。こうなると、後は個別の時間である。相模原も鞄から本を出した。

 

 町田市に着くと、既に時刻は四時頃になっていたため、真っ直ぐに翡翠中学校へと向かった。

 翡翠中学校では、教頭先生が、二階小会議室で対応してくれたが、やはり相模原はよくても、刑事ではない、言ってしまえば一般人の留佳に生徒情報を見せることはできないとの話を受けた。

 しかし、相模原は教頭先生に小さなメモを渡し、何がしかの紙にサインをした後、何故か対応が変わり、留佳も小会議室に招かれた。

「何をしたんですか…?」

「先生だって、普通の大人だ。今回は、本物の刑事の側近への情報開示。事件解決のための本気の手段として、教頭先生も飲み込んでくれたらしい。ま、これもあるけどな。」

 そう言って、相模原はオーケーマークを逆さにして留佳に見せた。

「お手数おかけして申し訳ないです。ありがとうございます。」

 留佳は教頭先生にお辞儀をしたが、教頭先生は目もくれず、「私は知らない」という風を貫こうとしている様子だった。

「こちらが、三年二組の生徒情報の入ったファイルです。しつこいようですが、何かメモ等に残したり写真を撮ったりはやめてくださいね。」

「承知しております。」

 名簿を開くと、「小島岬」という名前が目に入った。

「彼女、小島さんというご名字でしたね。ご両親が自営業をされてる。店名から考えるに飲食店でしょうか?」

「彼女とはもう話した。彼女のような人物像ではなく、神田先生について話を聞くに合った、少し養育環境が乏しい家庭を探してるんだろう?」

「そういう言い方はやめてください。神田先生を必要としているお子さんに、話を聞きたいってだけです。」

 名簿をパラパラとめくっていくと、留佳は一つの名簿を見たときに、手を留めた。そこには、「車谷悠介」という名前が書かれていた。

「小島岬達が言ってた、同級生を殴ってそれ以来不登校になってる子だな。母子家庭じゃないか。」

「この子の、お家に話を聞きましょう。」

「だが、ここ一ヶ月学校に来ていないんだぞ?神田龍弥の印象等を聞くには、あまり不向きじゃないか?」

 神田龍弥の人となりを、実際に神田が担任にもっていた生徒達から聞く。その上で、事件へのヒントも得られるかもしれない。

 これが今回東京にきた目的のはずであるため、学校に来ていない車谷悠介に話を聞くのは、相模原は不向きであると感じたのだ。

 

「ええ、そうなんですけど…。私たちは、何か、とんでもない事件に手を伸ばしているのかもしれません…。車谷さんのお家に、行きましょう。」

 留佳はどこか、大きな不安に飲み込まれるような表情で、相模原を見た。

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